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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案の要約

私たち日本の生産性はどうすれば上げる事ができるか?

「なぜ私たちは、このHPで説明する事から洞察力を培う行動を取れないのか?」

私たち1人ひとりがこのHPの説明を理解し行動に移す為には、ここで行っている説明を十分に理解し納得する必要があります。

この十分に理解する事が、私たちはできないのです。

私の説明と言うより、洞察ある説明を理解する為には必要条件があるのです。
必要条件を説明します。

論理を解明するには階層があるのです。

ある1つの論理を解明理解しないと、その上の論理は解き明かせないし理解できないのです。

1つの論理を解明したとします。
解明した論理を使わないと、その上にある論理を解明できないものは多いのです。

論理解明には階層があるのです。
いっきに高度な論理は解き明かせないのです。

私たちが、欧米で行っている洞察ある企業経営や社会システム作りを理解できないのみならず、妹尾教授が書いた技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか、と言う本を洞察できない様に、私たちは洞察力を身につけていませんので、洞察ある事を見抜けないのです。

ある階層の論理を理解する為には、以前に解明したその下の階層の論理を理解していなければ現在理解したい層の論理は理解できないし、解明する事もできないのです。

私たちの習慣はどう言う訳か、目に観えない物事の裏側などを追求する様に考える事を殆ど行いませんので、洞察力が培えず、身につかないのです。

その為私たちの理解できる論理は、一般的な知識で理解できる様な欧米と比較して下層の論理しか分かりませんので、欧米や妹尾教授が行っている事を十分に理解できないのです。

このHPの説明は、妹尾教授の本まで洞察ある説明にはなっていませんが、私たちの平均レベルより高度な論理なのかも知れませんので、私たちには理解できない事なのかも知れません。

そうすると、このHPの説明を読んでも、私たちは十分に理解し納得できないかも知れません。

なぜ、洞察ある事は、洞察力を身につけていないと理解できないかは、ここ をご覧ください。

理解し納得できないと行動に移す事も行わない為、何時まで経っても生産性等の問題を解決できないのです。

多分、私と同じ様なことに気づいて、洞察力を培い身につける事を推奨した人はいたのかも知れません。

しかし、周りに理解して貰えず、洞察力の重要さを広められなかったのではないでしょうか。

私はこのHPで、できるだけ分かり易く説明したつもりですが、十分に理解し納得できないかも知れません。

ここは、日本の現状をよく考えて頂きたいのです。

欧米と比較して、日本には生産性だけでなく格差社会が多く残るなど劣る事が多々あります。

この環境では、少子化が進むのは当然で、国力の低下は当然です。

国力を回復できる様な有効な手を打てないと、現実に日本は世界から見放されます。

これからのグローバル市場は益々知恵や発想力が必要なってきます。

優れた判別判断発想が必要になると言う事です。

なぜなら、グローバル市場が高度化複雑化を増しているだけでなく、IT技術でできない事を行わなければ差別化できず、生産性等の問題は解決できないからです。

IT技術の使い方も、欧米の様な優れた使い方ができなければ、住みやすい質の良い生活はできないのです。

又私たちの働き方は、ストレスを抱え長時間働いても、見返り賃金は欧米より少ないのです。

愚かな働き方を続けている訳です。

これらの事を考えると、洞察力を培い身につける行動にはメリットが大きいのです。

最初は苦労すると思いますが、習慣化する取り組みですので、慣れてしまえば苦労の意識はなくなる取り組みです。

洞察力を培い身につける行為は私たちの習慣とは違い、けっして楽ではありません。

他の人が苦労するから一生懸命行動すれば差別化できるのが本質ではないでしょうか。

又、私の提案より有効な手があるなら、それに集中して取り組んでもよいと思いますが、ないなら試しに実践する価値はあるのではないでしょうか。

なぜ、行動する事を進めるかと言うと、実践して洞察力を少しでも身につければ、私が提案する論理を十分に理解できる段階に上がるから論理が納得できる様になるからです。

理屈は抜きに、洞察力を培う行動を起こしてみませんか。

なぜなら、私たちの論理的思考の階層を、私が説明している論理的階層に上げなければ十分に理解し納得して貰えず、私の提案を行おうと思って頂けないからです。



「このHPの要約」

このHPは複雑に出来ています。
その為、私たちが理解するには苦労すると思います。

この苦労を少しでも減らす為、このHPで言いたい事の要約を説明して今後読み進める時に、頭に入れて読んで頂くと、理解し易くなるので3種類の要約文を掲載します。

ここで説明する要約は、いずれも生産性が上がらない原因の要約で、もっとも簡略化した説明、中間の要約文、少しこのHPが理解できる要約文の3種類です。
解決策の要約は、他で行います。

もっとも簡略化した文
1 日本には国力の衰退を招く様な多くの問題があります
→ 2 原因は私たちが日常行っている判別判断発想が悪いから起きる訳です
→ 3 悪い原因は、私たちの行っている論理的思考が根拠を追求して考えない論理的思考だからです。
欧米では根拠を追求した論理的思考を行っています。
→ 4 この差は長い間に洞察力が身につくか否かの差になって表れてきます。
→ 5 日本は洞察力が身につかない為、欧米様な優れた判別判断発想ができなくなり、生産性などの様な問題が多発するのです。

次に中間の簡略文です。
1 日本には欧米と比較して国力が衰退する様な色々な問題がある
→ 2 原因は私たちの日常の判別判断発想が欧米の様に優れていないからです
→ 3 その原因は私たちの習慣的な物事の捉え方観方が浅く狭い為、判別判断発想する対象物を広く深く見て理解していないからです
→ 4 なぜ私たちの習慣が判別判断発想する対象物をよく理解していないかと言うと、私たちが行っている論理的思考が根拠を追求しませんので、根拠が曖昧か分からない論理的思考を行っているからです。
欧米では根拠まで追求して考えますので、根拠の理解できる論理的思考行っています。
→ 5 わたしたちの習慣的な物事の捉え方観方は、根拠を追求しない論理的思考なので、何時まで経っても判別判断発想の基礎として働く洞察力が身につきません。
欧米で行っている根拠を追求する論理的思考を長く続けていると、洞察力が培われ身につくので、洞察力が身につくか否かの差が、ビジネスで日々行っている判別判断発想が、優れた判別判断発想になるか否かになって表れ、私たち日本は欧米の様な優れた判別判断発想ができなくなって表れてくるのです。
洞察力が身につくとなぜ、優れた判別判断発想ができる様になるかと言うと、洞察力とは、見えているものから本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない部分まで自ら物事の論理を解き明かす事を習慣化し、物事の背後にあるメカニズムや関係性、本質や原因等、物事を支えているものを包括的に理解する事を継続して行い、多くの物事の論理を広く深く理解し、その論理の理解を基に1つひとつの物事の見極めや判断をして優れた物事の取捨選択を行い、取捨選択した物事が目的に対して最適に働くか否かを見通したり、先を予測したりする力、と定義できるからです。

最後に少しこのHPが理解できる要約文です。
1 私たちには欧米と比較して生産性が長期間低い等国力の衰退を招く様な色々な問題があります。
→ 2 これらの問題の直接の原因を考えると、私たちはできる事はできるのですが、欧米と比較してビジネスで日常行っている判別判断発想が、欧米の様に優れた判別判断発想ができない事が原因です。
→ 3 なぜ私たちは、欧米様な優れた判別判断発想ができないのかを考えると、私たちの習慣に原因がある事を見つけ出しました。
どんな習慣かと言うと、私たちの物事の捉え方観方が、判別判断発想をする対象物を欧米の様によく見ていない事が原因と思われる習慣です。
私たちの物事の捉え方観方のどこが欧米との捉え方観方の差になっているか調べると、私たちの観方は、物事の裏側など目に観えない物事がどうなっているかを殆ど追求して考えません。
欧米では論理的思考で根拠を追求して考えている事からも、目に観えない物事まで追求して考えている習慣です。
→ 4 この捉え方観方の違いを論理的思考の仕方で説明すると、私たちの習慣は、論理的思考をしているつもりでも、結論と根拠に分けてみると、根拠が曖昧か分からない論理的思考になってしまいます。
一方欧米では、根拠まで追求して考え結論と根拠を結びつけて考えている事が分かります。
この差は、同じ論理的思考をしているつもりでも、原因や本質を理解できる欧米の論理的思考と、本質や原因が理解できない私たち日本の論理的思考の差になって表れてきます。
根拠を追求して考える論理的思考をしていると原因や本質が理解できる様になり、根拠を解明する論理的思考を長く続けていると、優れた判別判断発想の基礎として働く洞察力が身についてきます。
なぜなら、根拠まで追求して考えますので、自ら物事の論理を解き明かしている訳です。
自ら物事の論理を解き明かす時に、関係性や構造などと一緒に原因や本質も解き明かしているからです。
又根拠が分かってくると、原因や本質も観えてくる場合もあるからです。
→ 5 私たちの習慣的な物事の捉え方観方では洞察力が身につかないのに対して、欧米では洞察力が身につく習慣なのです。
→ 6 今までの論理を2に戻って考えると、なる程私たちが行っているビジネス等での判別判断発想が欧米の様に優れていないので、日本には色々な問題が起きる事が分かります。



「物事の論理を自ら解き明かすとは、実際にどんな事を行い、どんな効果とどんな結果を出せるのか?」

このHPで追求する様に考える、とか、自ら物事の論理を解き明かす、と表現している事がどう言う事を行い、どんな効果が生まれるか説明します。

自ら物事の論理を解き明かすとは、一般的には、問題意識を持って日常生活の中で、問題の答えと思われるものを見つけ出し、気づき、問題がどんなメカニズムで出てきていて、どんな関係性があって、どんな本質的なものがあるから問題はこうなのだ、と言う様に問題を解明し、問題がどう言うものかを解き明かす事を言います。

○○が起きる原因は、△△と□□に××の関係性があるから○○になるのだ、と言う様に解明する事を言います。

この物事の捉え方観方は、目に観えている物事だけではなく、裏側で行っている様な目に観えない事まで行わないと、優れた判別判断発想の基礎として働く効果、洞察力を身につける効果は出てきません。

又、この行為を継続して多くの物事の論理を広く深く解明理解できないと、洞察力の効果は発揮できません。
要するに、自ら物事の論理を解き明かす事を習慣化する必要があるのです。

問題を解明する際、他の物事の論理とつじつまが合う様に考え出す必要があります。

又、論理を解き明かす際、世の中にある法則に則って解明する必要があるので、他者が解明したものでも、つじつまが合うのです。

自ら解き明かした論理は、他の物事とつじつまが合っている為、その上の論理を解き明かす基礎の論理として働くので、上の論理を解き明かす際役立つ論理解明となるのです。

逆に言うと、基礎になる論理を上記した様に自ら解明してつじつまを合わせていないと、上へ上への論理展開が、つじつまが合わなくなって上層への論理展開ができなくなるのです。

論理展開できなくなる事を防ぐ方法は、その問題の本質を追求するとつじつまを合わせやすくなるのですが、私たちは本質を追求する事も行いません。

自ら物事の論理を解き明かし、解き明かした論理を基にその上の論理を解き明かす為には、私たちの習慣である色々な所から知識を入手する方法ではつじつまが合わせにくくなるので、上へ上への論理展開ができ難くなります。

その為私たちの習慣では論理の積み重ねができないので、欧米の様な高度な論理で企業経営を行っている企業が日本には殆どないのです。

私たち日本人が、非常に多くの事を知っていても、物事を洞察できないのは、自ら物事の論理を解き明かす事を行わないだけでなく、つじつまの合う論理展開をできない事に高度な論理を作れない、理解できない原因があるのです。

他からの知識を集めても、つじつまが合う論理展開はできないのです。

なぜなら、1つひとつ論理はつじつまが合っても1つひとつの論理展開は少しずつ違うつじつまの合わせ方をするからです。

次に、自ら物事の論理を解き明かしていると、どんな効果があるかです。

物事の論理を解明する為には問題意識を常に持って、世の中を見る必要があります。

問題意識を持って世間を見ているから、世に中の変化や、新たな知識にも気づけるので論理を解明できる訳です。

この行為を続けていると、以前解明した事から、現実に起きている事が今後どうなって行くか読める様になります。
要するに先を予測できるので、何をすればよいかが分かってくるのです。

又、観察的視点で世の中を見ている為、世の中から得るものが多くなり、より正確に世の中を掴めるのです。

その為、解明して世の中をより理解できる様になる事と仮説が浮かぶ様になるので、世の中の理解度が違ってきて、洞察力が身につき、優れた判別判断発想ができる様になるのです。

又私たちは自ら物事の論理を解き明かす事を行わないので、私たちは下層の論理しか分からない為、欧米で行っている様な上の論理を言葉で説明されても、私たちは理解できないのです。

物事の論理は階層構造でできていて、下層の論理が分からない人は、上層の論理は理解できないし解明もできないのです。

現在の日本は、優秀な人達でも論理的思考の根拠を自ら解き明かす事を行わない為、世の中を良く理解できないので、先を読むこともできなくなり、今何をすればよいかも曖昧になり、欧米に遅れをとり、優れた結果を出せないのです。



「洞察力の重要性を説明しても、私たちは洞察力身につける訓練をしようとも思わない訳」

私は、優れた判別判断発想の基礎として働く洞察力を、欧米様に私たちに身につけて頂き、日々ビジネスで行っている判別判断発想を欧米様に優れた判別判断発想をできる様にして、生産性等の問題を解決して頂きたいと思っています。

しかし現実は、洞察力を培い身につけるには手間暇かかるので、洞察力を身につける訓練をしようとも思って頂けない現実があります。

なぜ私が洞察力の重要性を説明しても、実際に洞察力を身につける行動を起こして貰えないのか、理由を考えてみました。

簡単に思いつく理由の1つは、洞察力を身につけるには手間暇かかるからだと思います。

しかし、手間暇かけても訓練するメリットは大きいのです。

洞察力のある欧米の生活を観れば、メリットは理解できると思います。

又習慣化する取り組みですので、習慣化してしまえば、手間暇かけている意識はなくなり、自然にできる様になる取り組みです。

そうすると、取り組んで頂けない理由は、洞察力のメリットを十分に理解納得できない所に真の理由があると思え、追求して考えました。

なぜ私たちは、私の説明だけでは洞察力のメリットを理解納得できないのでしょうか。

これを追求して考えないと、私たちが洞察力を身につける行動を起こさないと思ったからです。

私が追求して考えた結果分かった事は、洞察力の言葉の概念を掴めない事が、洞察力のメリットを理解納得して頂けない原因だと思います。

概念を掴めないと、どんな努力をすればよいかが分からないからです。

私たちの洞察力の理解は、ネットで説明している、目に観えているものから本質を見抜く力、としか理解できないと思います。

この洞察力の理解では、どうすれば洞察力が身につくかを分からないのです。

又周りにも、洞察ある人や概念を分かっている人はいないと思います。

この状況では洞察力の概念は掴めないのではないでしょうか。

もう1つ大きな原因となるものは、洞察ある事は、洞察力のない人は見抜けないのです。

洞察力の力を理解できないのです。

この事は、欧米で行って結果を出している洞察ある事の、良し悪しも分からないと言う事です。

現実に私たちは、欧米が行っている洞察ある事を、真似も学ぶ事もできません。

又、言葉で優れた判別判断発想の基礎として働くものだと説明しても、その優れた判別判断発想とはどう言うものかを私たちは分からないのです。

結果だけ分かるのです。
例えば、生産性の欧米との差などでそうかなー的に分かるのです。

どう努力するかも分からないし、概念も掴めないし、洞察力の力を実感として理解できないし、結果だけなんとなく分かるのでは、手間暇掛かる事を行動してみようとも思わないのです。

又洞察力のメリットを理解納得する為には、私の説明から本当に洞察力を身につけると、生産性等の問題を解決できる確信が持てないと行動は起こさないと思いますが、洞察力の力を実感できないのでは、洞察力を身につける事が生産性等の問題を解決できるか否かに、確信が持てないのではないでしょうか。

実際に洞察力が身につく訓練をして、ある程度の洞察力を身につけないと、私が説明する事を理解納得できないのです。

なぜなら、洞察ある事を理解納得する為には、自ら洞察力を身につける必要があるからです。

洞察ある事は、洞察力を身につけていないと見抜けないのです。

このHPでは、洞察力を理解納得できる様に、ここで説明した様な事を1つ1つ説明しています。

その理由は、洞察力の概念を掴んで頂きたい事と、ここで説明した様に1つ1つ分かる事で、なんとなくでもよいですから、洞察力を身につける事が、生産性等の問題を解決できる方法である事を理解して欲しいからです。

理解出来れば、日本の状況を考えれば、試しにでもよいから訓練して観ようと思って頂けるのではないでしょうか。

その他にいくつかの疑問に答えていますので、ここ をクリックして頂ければご覧いただけます。



「なぜ、知識が豊富で色々な事を知っていても、物事を洞察できないのか?」

この問いに答える為には、洞察力とは何かを、明確にする必要があります。

私たちの捉え方である、見えている物事から本質を見抜く力、だけの言葉の理解では、この問いに答えるのは難しいです。

そこで、私の定義している洞察力とは、から説明します。

洞察力とは、見えているものから本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない部分まで自ら物事の論理を解き明かす事を習慣化し、物事の背後にあるメカニズムや関係性、本質や原因等、物事を支えているものを包括的に理解する事を継続して行う事で物事の論理を広く深く理解し、広く深 い論理の理解を基に1つひとつの物事の見極めや判断を通して優れた取捨選択を行い、選択した物事が目的に対して最適に働くか否かを見通したり、先を予測したりする力、と定義しています。

私たちの習慣は、上記した定義の、1つひとつの物事の目に観えない部分まで自ら物事の論理を解き明かす事を習慣化し、とある事を殆ど行いません。

ご自分を振り返って、常に疑問を持っていますか。

疑問を持てないのでは、自ら物事の論理を解き明かす事は、行っていないのではありませんか。

その見えない部分を他から得る知識で補っているのだと思います。

ただ他から得る知識も結果だけ分かればよくて、根拠を追求して自ら物事の論理を解き明かす事は行っていないのではないでしょうか。

私たちの習慣は、どう言う訳か、目に観えない物事まで自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行わないのです。

そうすると、物事の背後にあるメカニズムや関係性等を包括的に理解する事ができなくなり、広く深い物事の論理の理解もできません。

これでは、1つひとつの物事の見極めや判断を通して優れた取捨選択ができなくなり、取捨選択した物事が目的に対して最適か否かを見通せなくなり、洞察力を身につけている欧米の様に物事を洞察できなくなり、優れた判別判断発想ができなくなるのです。

私たちの習慣が物事の背後にある物事を、殆ど分からない理解していない事が、物事を洞察できなくなってしまう原因なのです。

もう1つの理由は、他で説明している、私たちの習慣が自ら物事の論理を解き明かさない習慣である為、私たちが理解できる論理が一般の知識で理解できる低い論理しかできない知識しか持てないので、洞察ある事を見抜けないのです。

洞察ある事は、洞察力を身につけていないと、理解できないのです。

論理的思考で説明すると、根拠が分からない知識を豊富に持っていても、物事を洞察できる様にはならないのです。

なぜなら、根拠が曖昧か分からない知識をいくら多く持っていても、根拠が分からない知識で物事を判別判断発想しても、優れた判別判断発想にはならないからです。

曖昧な判別判断発想しかできないからです。

論理的思考で言うなら、御社(あなた)はどこまで結論ではなく根拠を理解していますか。

私たちは、少しでも多くの知識を得れば、何でもできると思っていませんか。

確かに知っていればなんでもできますが、洞察ある方法で優れた判別判断発想はいくら色々な事を知っていてもできないのです。
何をどう知っているかが、問題なのです。

私たちは、洞察力がどう言うものか、を理解出来ていません。

それ程私たちは物事を深く考えないのです。

私たちは、知っている事に意味がある、価値がある捉え方をしているのですが、グローバル市場では全く通じないのです。

私たちの習慣の結果が、洞察力がどう言うものかを掴めなくなり、洞察ある事ができなくなってしまい、優れた判別判断発想ができなくなり、低生産性等の問題が多発するのです。

今のグローバル市場は、洞察ある事業を行わなければ、高収益企業になる事ができない市場に変化しているのです。

私たちの習慣は、洞察力とは程遠い習慣である為、グローバル市場に必要な洞察力を良く理解できません。

これには訳があるのです。
洞察ある事は、洞察力を身につけないと、よく理解できないのです。

私たちの習慣を、洞察力を身につけら習慣に変える必要があるのです。

その為には、追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす習慣に変える必要があり、その為には、日頃から、色々な事に興味を持ち、疑ってみて、疑った事を自ら解明する必要があるのです。

この行為を継続して行っていれば、洞察力が培われ、洞察ある事を見通せる、理解できる様になるのです。

私たちの習慣を、なぜ、どうして?の疑問が生まれる様な習慣に変えませんか。

少なくも、徹底した論理的思考を行い、根拠を追求解明し、結論と根拠を結びつけた知識を大幅に増やしませんか。

目える物が違ってくると思います。
洞察ある事を分かる様になります。



「なぜ、洞察ある事は、洞察力を身につけないと理解できないのか?
なぜ、知識が豊富でも、物事を洞察する事ができないのか?」

私たちは、自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行いませんので、自ら論理を解明する時に、どうすればよいかが分からないと思います。

新たに論理がどうなっているのかを解明するには、問題意識を常に持ち続け、新たな知識の入手や世の中で起きている事等から気づきを得て、その論理がどうなっているかを解明するのです。

解明する為には、気づきがないと解明できないのです。

この気づきは、いっきに難しい事を気づける訳ではなく、段階があるのです。

ある事を理解していないと、その上の論理は気づけないのです。

理由は私たちの進化が、1つひとつの物事の解明から進化してきたからではないでしょうか。

論理を解き明かす事は、1つひとつずつ上へ上へとしか解明できないので、論理解明には階層があるのです。

階層を超えていっきに高度な論理は解き明かせないし、理解もできないのです。

問題意識を持って多くの気づきを得る事で1つの論理は解明できます。

その上の論理を解明する為には、前に解き明かした論理を使わなければ解明できないものが多いので、高度な論理になればなる程私たちには分からなくなるのです。

技術開発も同様だと思います、基礎技術を理解していないとその上の技術開発はできないと思います。

技術開発の説明は、専門用語を使う事が多いと思いますが、解明した論理は普通の言葉で説明できますが、1つひとつの言葉に前に解明した深い意味を含めている事が多いのです。

私たちの習慣は、自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行わない習慣です。

この習慣が影響して、私たちは色々な知識を豊富に持っていても、自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行わないのでは、高度な物事の論理を理解できる訳はありません。

なぜなら、自ら物事の論理を解き明かしていませんので、高度な論理を理解する為に必要な基になる理解している論理が、他から得る知識で理解できる様な低い論理しか理解できないからです。

1つひとつの物事を○○が起きる原因は、△△と□□に××の関係があるから○○になるのだ、と言う様に物事の論理を解明理解する訳です。

私たちは、この基の論理が分からないでは、上の論理は更に分からなくなるのです。

そうすると洞察ある事は、色々な気づきがあって、その気づきから解明した事を使って、その上の論理を解明しているものが洞察ある事になる訳です。

新たな論理の解明は、基礎の論理の理解があるから解き明かせたのです。

その為、洞察ある事を見抜くには、その洞察ある事と同様の論理を理解していないと、又は1つ下の論理を理解していないと、その洞察ある事を理解できないのです。

なぜなら、その下の論理を理解していないのでは、説明している論理がどう言う理由でそうなるか、やどんな原因でそうなったのか等を分からないからです。

何回も論理を解明したものを使って更に解明した洞察あるものは、前に解明した論理を分かっていないと理解できないのです。

洞察ある事とは何回も論理を解明した階層が高いものと言う事で、前に解明した論理が分かっていないと、上の論理は理解できないし、上の論理を解明できないのです。

洞察ある事を理解できるか否かは、その人がどこまで自ら物事の論理を解明しているかで、その人の洞察できる、見抜けるレベルが決まってくるのです。

そのレベルが、自ら物事の論理を解き明かさない習慣では、他から得られる知識で理解できる低いレベルの論理しか理解できないので、自ら物事の論理を解明している欧米の高いレベルの洞察ある事を見抜けないのです。

この様な事が理由で、私が説明する論理が間違っていないなら、試しにでも取り組んで頂きたいのです。

取り組んで頂ければ、少しずつ私たちが理解できる基礎の論理が上がり、そのうち私の提案が正しい論理である事を理解でき、少しずつでも私たちに洞察力が身につき、優れた判別判断発想ができる様になるのではないでしょうか。

なぜ、知識が豊富でも、物事を洞察できないのか?の疑問に答えます。

前の答えに関係してくるのですが、私たちの習慣は、自ら物事の論理を解き明かす事が殆どない習慣なので、知識を豊富に持っていても、その知識は分かり易く言うと根拠が曖昧か分からない知識、自ら解明した論理を積み重ねて高度にした知識でない為、少し高度な論理であっても下の論理が分かっていない為、欧米で行っている事を見抜けないのです。

洞察ある事を理解する為には、ある程度自ら解き明かした論理が高度でないと見抜けないのです。

その見抜ける論理が、私たちは自ら物事の論理を解明する事を行わないので、他からの知識だけで理解できる様な、低いレベルの論理しか理解できないからです。

いくら知識が豊富でも、私たちが理解できる論理が自ら物事の論理を解明していない為、低いレベルの論理しか理解できないので、欧米で行っている高いレベルの洞察ある事を見抜けないのです。

どう言う言い方が適切なのかは分かりませんが、洞察ある事は、例え私たちが分かる様な言葉で説明しても分からないのは、1つひとつの言葉に、前に解明した意味を含めた言葉を使っている為、前に解明した事を分からない私たちには、理解できないのです。

知識が豊富でも、私たちが持っている知識は、物事の論理を自ら解明しない為、私たちが持っている知識は、高度な論理を理解できない知識と、根拠が曖昧か分からない知識ばかりなので色々な事を知っていても欧米で行っている高度な論理の経営などを理解できないのです。

もう1つ問題があるのです。
なぜ、洞察ある事を分からない私たちが、高度な技術開発をできるのかです。

ここは仮説でしか答えられないのですが、想像できる事は、技術開発は、○○は××だ、的に記憶できれば見極めができますので、根拠が分からなくてもできるからではないでしょうか。

判別判断が記憶したものだけでき、根拠を追求しなくてもできるからではないでしょうか。

私たちは、技術開発はできても技術の見極めはできないと思います。

その訳は、技術の見極めは、他の技術との関係性などを考えなければならないからで、他の技術がどう言う過程で作られたか、やどんな事が可能になる技術かが分からないと見極めができないからだと思います。

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