私たちの習慣で行っている事には、無駄が多い様に思えます。
例えば未だに残る、企業でのパワハラやセクハラです。
これは、行っている本人だけが満足するもので、企業全体としては、マイナス要因が多いです。
例えば企業イメージの低下、従業員の生産性が落ちる等です。
私たちは、本音と建て前を分けて考え、行動する事が多いと思います。
それは、未だに、セクハラ、パワハラみたいなもの、本音を出し難いものが、かなり残っているからです。
しかもこれらを正す雰囲気が、曖昧だからです。
パワハラを行うのは上司が多いと思いますので、上司の意向に逆らう事は、他の事に影響する、と考えるので、いやでもパワハラを我慢してしまうのです。
こう言う事を無くして行くのが賢いやり方であるはずなのですが、これを無くす努力をあまりしません。
それは、行動を起こした人だけが、全体の雰囲気から浮いてくるからです。
周りの人は、悪いと分かっていても、他の人が行動を起こすと、行動を起こした本人に影響が出るから、知らん振りをする訳です。
自分だけは、影響を受けたくない、と思うからです。
これは1つの例ですが、私たちの周りには、この様な理不尽な事が多くあります。
これが日本全体となると、どうなって行くのでしょうか。
欧米の先進国でも、セクハラ、パワハラはありますが、日本みたいに曖昧にしないので、数は日本より少ないと思います。
欧米との差は、どこから生まれてくるのでしょうか?
考えられる事は、欧米先進国は、日本ほど本音と建前が大きくない事。
生活をして行くのに、本音と建前がある事は、あまり良くない、と思っている人が、日本より多いのではないかと思います。
その背景には、私たちより広く人間関係を見ているからです。
目先ではなく、周りの影響まで、私たちより見ているからです。
企業活動で本音と建前を考えてみると、業務で色々な決定をする場合、部下が上司の言う事に逆らわない、部下の意志が反映されない決定をするのと、本音をぶつけ合い、部下の意志を含めて決定するのとでは、結果に違いが出てきます。
どちらが企業存続に貢献するかを考えると、長い目で見れば、本音をぶつけ合う方が、結果がよくなると思います。
なぜなら、世の中は常に変化していて、年代で、変化を読む所が違うので、色々な見方考え方が必要になるからです。
私たちの業務上の決定は、どちらに近いですか。無言の圧力が、あるのではないですか。
日本は権力格差の大きい国、と先進国では見ています。パワハラや上司の命令が絶対と捉える事が多い事、女性リーダーが少ないなど、色々な事に表れています。
企業活動で権力格差が大きい事は、変化の激しい今の時代に、そぐわなくなってきていますが、未だに多く残っています。
日本再生は、生産性向上しかない!と言う本を書いているデービット・アトキンソン氏は、日本の観光について、観光資源が日本には多くあるのに、フランスの半分以下の外人観光客しか来ない。
これは、日本国内の流儀で観光を考えているからだ、と書いています。
その例として、世界の富裕層が泊まる宿泊施設が殆どない事を挙げています。
私たちには、視点が国内にしか向いていない、と言う事です。
なぜ、悪いとは分かっていても、上記した様な事が多く残っているかを考えると、私たちは、狭い範囲の事しか見ていない事が分かってきます。
よく言われる、木を見て森を見ず、の状態になっているのです。
パワハラの例で言うと、自分の所に被害がなければ、見て見ぬ振りをした方が得だ、との狭い了見で判断しているからだと思います。
なぜ、周りの事しか見なくなったのか?
ここは、私の想像でしかないのですが、私たちが、他の先進国とどこが違うのか、を見て頂くと気づくのではないでしょうか。
日本の製品の質は、世界一とよく言われます。
きちっと細かい所まで作っています。
又日本食には、うま味と言う、他の国では使わない味覚があります。
日本ほど、微妙な差を見分けられる国は、ないと思います。
私たちには、微妙な違いを見分ける力があり、その力を使って、質の良い製品や、ヘルシーで旨い日本食を生み出しています。
逆に言うと、この微妙な違が分からないと、質の良い製品やヘルシーで旨い日本食は作れない事になります。
私たちの日常は、目に見えるもの、今やっている事に集中しないと、よい結果が出せないので、そこに集中して、日常を暮らしています。
これを習慣にして長く暮らしていると、目に見えないもの、今やっている以外の事に注意が行かなくなり、見ようとしなくなります。
木を見て森を見ず、の状態になるのです。
木を見て森を見ず、の言葉を知っている人は多いと思いますが、実際には、私たち自身は気づいていないのですが、無意識のうちに、狭い了見で、行動している事が多いと思います。
今世の中は非常に複雑になって、目に見えない所、今やっている事以外の所で、変化が起きています。
しかし、私たちは、狭い了見で物事を見ているので、俯瞰的に見られない、システム思考的に考えられない等で、見えない所で起きている変化が見られない見方をしています。
この様な変化に気づかないので、欧米先進国では減ってきている、悪しき習慣が多く残っているのではないのでしょうか。
私たちももっと、悪い事は悪い、良いことは良いと見分けられる様に、賢くなる必要があるのではないでしょうか。
私たちに、もっと賢い事ができれば、この様な事を減らせるのですが、悪しき習慣が多く残っている事からも、私たちのやる事考える事は、あまり賢くありません。
どうしたら、私たちが賢くなれるか、考える必要があるのではないでしょうか。
賢いとは、どう言う事を言うのでしょうか。
一般的には、無駄がない事、効率的で効果的な事ができる事、大切な事に気づいていて行動できる事、等を言うと思います。
では、どうしたら、賢いこうした行動を取れるようになるのでしょうか。
無駄がない行動、効率的で効果的な行動ができる様にするには、何が無駄で、何が無駄でないかを見分ける力が必要になり、何が効率的で、何が効率的でないか、何が効果的で、何が効果的でないかを見分ける目を持つ必要があります。
この見分けができる様になるには、1つひとつの物事の、メカニズムなどの内容を分かる必要があります。
1つひとつの物事の理解がなければ、物事を比較する事ができません。
何が大切かも、この様な物事の価値を見分ける目が必要です。
私たちは、知識があるかないかが重要で、何を知っているか、何を知らないかを比較する事はしません。
特に、何を知らないかに、意識を向ける事はありません。
知っている事が全てで、得た知識が何に役立つかは考えますが、どんな知識が重要で必要かは、殆ど考えません。
私たちが得る知識では、何が重要で何が必要かの判断ができないからです。
なぜ、何が重要な情報で、何が必要な情報なのか、を判断できないのでしょうか。
それは、論理的関係性を持って、知識としていないからです。
直感で必要と思う事を、知識として覚えるからです。
私たちが行う事が、他の先進国と比較して、ランダムで統一性がない事を行っている事を見れば、直感的に知識としている事が、お分かり頂けると思います。
どんな知識が重要か必要か、が分かれば、知識の重要度や必要度に従い、物事の価値を判断できる様になります。
知識は、原因や本質に近い程、その知識が色々に使えるので重要なのですが、私たちは原因や本質になる様な重要な知識をあまり持っていません。
原因や本質になる知識は、物事を追求しなければ得られないからです。
私たちの習慣は、目に見えているもの、今やっている事に意識が集中するあまり、なぜ、目に見えている事が起こるのか?どうして、こんな結果を生むのか?とその原因や本質を追求する事はありません。
追求するのではなく、目に見えている事ややっている事を説明する知識を、どこかからか得る事で、問題が起きた時に、対処する方法を私たちは取ります。
私たちの習慣として知識としている知識自体、物事の良し悪しを判断できる知識にはならない知識を、知識としている訳です。
私たちが賢い事ができないのには、大きな理由がある事が、見えてきたと思います。
ではどうすれば、賢い事ができる様になるか、が問われると思います。
知識が多い事自体は良い事です。知っていた方が、色々な事をできます。
しかし、賢い事をするには、知っているだけではダメで、何が重要な情報で、何が役立つ情報かを、見分けられる知識を持つ必要があります。
見分ける様にする為には、1つひとつの物事のメカニズムの様な内容を知る必要があるので、既に知っている知識が、なぜ、その知識になったかを追求するのです。
簡単に言うと、既に覚えた知識の関係性を追求する様にするのです。
これを行うと、物事の内容を理解でき、物事間の関係性を理解できる様になり、広く深く知識が繋がって行くのと、広く深い知識が基になり、原因や本質が見えてきます。
1つひとつの物事の内容を深く理解し、関係性を掴み、原因や本質が分かってくると、何が重要で、何が必要な情報かが分かってきます。
どんな情報に価値がある等が理解できる様になるので、何が効率的か、や何が本質的か、が見分けられる様になり、賢い考え、行動がとれる様になります。
この方法以外の方法で、賢い事をできる様になる方法は、ないと思います。
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