日本が高度成長できた理由と、バブルが弾けて30年、他の先進国が成長できているのに、日本は殆ど成長が止まった理由を教えて貰えませんか?
この理由には、根本的なものがある、と想像できるのですが、それはどんな事だと思いますか?
なぜ、身近なものではなく、日本全体の成長率や生産性と言う様な、日本全体を長期視点で見た事を問題にするのかを、説明します。
長期間成長率が低い、生産性が低い事は、私たちの生活に大きな影響が出てくる、例えば、年金構造など。
又、長期低迷は、私たちのやる気を奪い、益々挑戦しなくなるなどの悪循環を招く。
これに人口減収が加われば、益々国力が衰え、気力もなくなってくる。要するに、先行き不安がどんどん大きくなる。
長期間起きていると言う事は、欧米人と比較して、明らかにビジネスの基礎的な事で、何らかの原因がある、と想像できる。
そこで、日本全体の、成長率とか、生産性と言う、生活に影響する指標を取り上げて、原因を追究する事にしました。
色々な理由が考えられますが、大雑把に言うと、以下の理由が考えられます。
高度成長できた理由
日本の教育水準が高く、1970年代には、日本は、世界で通用する様な、高いレベルの製造技術を持っていた。
安い労働力が農村からどんどん調達でき、低賃金で労働者を使う事ができた。
日本人が、昔からある感性、細かな所に気づく土台があり、精密な、品質の良い製品を作れた。
人口も1億人以上いて、勤勉に働くので、生産力もあった。
1970年代、1980年代に、上記条件を満たす国は、日本しかないので、大きな躍進ができた。
ここ30年、なぜ、成長できないのか?
韓国や台湾が、かつての日本の様に、日本より安い労働力で、日本の後を追うやり方で、代頭してきた。
IT技術が20年ほど前から普及し始め、IT技術の使い方が限定的利用に留まった為、欧米ほど、生産性を上げられなかった。
私たち日本人の視野が狭く、表面的な変化を見る見方をし、知識を増やす見方をしている為、グローバル化、IT化の影響の、本質的部分に気づかず、対応できない事が増えてきた。
この理由としては、視野が狭い理由は、木を見て森を見ず、の行動を多くしている私たち。表面的見方は、欧米と比較しないと説明できないのですが、例えば、ビジョン経営で言うと、掲げる事が目的の日本と、1人ひとりを生かす事が目的と考える欧米。如何に多くの事を知っているかでその人を判断する日本、で説明できる。
時代の変化に対応できる、新たな価値のある商品開発ができない。現実に生み出せていない。
国内市場は比較的大きいが、他社を真似する事が多い為、すぐに競争になり横並びになる為、技術を追求し、完成度の高いビジネスを作れず、利益を増やすビジネスができない。
国内市場でビジネスになるものは、同業他社が多く、同じ様なビジネスをしている事で、説明できる。
日本人は内向き志向が強く、海外の情報をあまり取らないので、ビジネスの仕方が内向きになり、海外で戦略的なビジネスを行う所が少ない。世界中に売れる製品を、自動車以外作れなくなった事で、これは説明できる。
この理由には、米国のビジネス手法を、よく理解できない事も、原因の1つと考えられる。
この説明を見て、具体性のない素人の意見だ、と言う専門家もいらっしゃると思いますが、ここで取り上げた目的は、個々の事にこだわるのではなく、全体の傾向を掴んで頂きたいので、この様な言い方をしました。
ネットで調べて頂ければお分かりになると思います。
ここに書いた事を証明する数字が見つかると思います。
上記の理由から、私たち日本に、何があって、何がないかを考えてみます。
あると思われる事は、高度な知識と優れたもの作りの感性です。
ないと思われるものは、物事を広く深く読み取る力と新しいものを生み出す力、と言えるのではないだろうか。
あるものは更に伸ばす行動を取ればよい事になる。問題は、ないものを、どう補って行くかです。
私たちの教育は、知識を増やし、早くその知識を引き出す能力を求めてきた。
私たちの物事の見方は、表面の変化を見つける見分ける見方をし、知識で対処する業務の仕方を、基本的にしている。
業務やビジネスなどを、常に自ら追求する見方はしない。
複雑になった現在の社会では、表面に見えないものが、その製品の価値を決めているものが多くなってきた。
私たちの見方では、表面に表れなければ価値を見つけられないし、作る事もできない事になる。
現実を見ても、潜在価値ある商品、例えばIoT製品などの、可能性を追求しないし、新たな価値ある商品は、開発できていない。
これらの事から、物事を深く見る必要があり、発想力をつける必要がある事が分かる。
私たちが意識する事は殆どないと思いますが、私たちの見方は浅く、業務等を深く追求しない事はご理解頂いたと思います。
分からない事は、誰かが考えた、発見した知識を入手し覚え、覚えた知識の類推で問題を解決しようとするのが、私たちの基本的な方法です。
私たちが得ようとしている知識自体、自ら考えて見つけ出した訳ではない事、私たちの表面的な捉え方を反映した、浅く分かり易い知識を覚えている事で、私たちが知識とするものは、浅く表面的で、深みがありません。
この方法では、深い知識を応用すると言う意味で、限界があるのではないでしょうか。
仮に深い知識として覚えたものは、同様の文脈の時は類推で効果を生むかもしれませんが、同様の文脈の知識が得られない場合は、類推には限界があると思います。
深い知識になればなる程、具体化された知識か、抽象化された言葉になるので、覚えた知識の応用が限定的になったり、難しくなったりします。
私たちの物事を理解する知識を深く広くするには、物事を追求する事が一番有効に働きます。
なぜ、どうして?と物事を追求して行くと、論理的な関係を持って、知識が深く掘り下げら、広がって行きます。
得て行く知識が、論理的な関係を持って広く深くなるので、物事を見通せる様になり、原因や本質を追求できる訳です。
私たちが知識として覚えるものは、必ずしも論理的な関係性のある知識であるとは限りません。
直感で関係性がある、と判断した知識が多いと思います。
私たちが行う事が、ランダムで統一性がなく、システム思考にならない事が多い事を見れば、お分かり頂けるのではないでしょうか。
物事を追求する事で分かる、理解する知識は、物事をなぜ、どうして?と論理的に深く探る事で得られる知識です。
その知識は、論理に合うだけでなく、論理的関係を多く持った知識となって行くので、その知識の役立つ範囲が、直感で得る知識より広く深くなります。
広く深い知識として行けるので、原因に沿った、本質的な知識となって、適切な判断や、優れた行動に結びついて行く訳です。
私たちが、知識ではよいと分かる、この様な深く広い知識が役立つ事は、実際に、物事を追求し続なければ物事を見通せる様にならないので、ここで言っている事は、分かっただけでは、単なる絵に描いた餅になる訳です。
今まで説明した、物事を追求し続ける事で得られる、論理に合った関係性ある深く広い知識は、物事を見通す力、洞察力と言えると思います。
私たちは、新しい価値を生み出す事が苦手です。
それは、洞察力がないからだ、と言うのが私の見解です。
なぜ、新しい発想に、洞察力が必要か?これは、ある事を知ってないと、行き着かない理由です。
新たな価値とは、今ある人、物事を組み合わせて生まれます。
IT技術で生み出すSNSの価値、物事の新しい組み合わせで生み出す価値ある製品を見て頂ければ、ご理解頂けると思います。
この組み合わせる既存要素をよく理解していないと、新しい価値は創造できません。
広く深く既存要素を理解して行けるのが、物事を追求し続けて生まれる洞察力を培う事です。
新たな価値創造は、洞察力が基になり、新しい価値が生まれてくる、と言う事です。
私たちの習慣では、この洞察力が育たないので、新たな価値を生み出せないのです。
洞察力が私たちに必要な事は、ご理解頂けたと思います。
そうなると、私たちがどうすれば、洞察力を培う事ができるか、が問題になってくると思います。
上記の事でお分かりの通り、人、物事を追求すればよい事になります。
なぜ、どうして?と、人、物事を追求する訳です。つまり、人、物事に、質問する事を、習慣化すればよい事になります。
そこで当組織では、質問をする力、質問力を問題にし、適切な質問ができる様になる、質問力を身につけましょうと、提案している訳です。
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