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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案の要約

私たち日本の生産性はどうすれば上げる事ができるか?

「生産性上げられなかった理由と対策」

私は、私たちの習慣を続けていたのでは、生産性を上げられないだけでなく、格差社会を減らす事も、終身雇用の様な今ではグローバル市場に対応できなくなった習慣を無くす事もできないと思っています。

私たちの習慣を、論理的に考えられる習慣に変える必要があると思っています。

なぜ、習慣まで変えて論理思考を身につける必要があるかを説明します。

論理的に考えた場合、問題が起きた時は原因を追究するのは当たり前の事です。

なぜなら、原因が分からなければ問題は解決できないからです。

逆に問題の論理を追求して原因を解明できれば答えは自ずと分かる場合が多く、的確な手を打てるからです。

的確な手を打つために必要な問題の原因を、私たちは追求して考えないのです。

30数年間も私たち日本の生産性が長期間上がらない問題の、原因を追究して考えないのが私たちの習慣なのです。

最初に説明した様に、30年間も潜在成長率が下げ続けている理由は分かっても、どうすれば潜在成長率を上げ生産性を上げられるかは分かっていません。

それとも、私たちの習慣的な観方では、回答が出せない問題なのでしょうか。

これでは今問題になっている、生産性を長期間上げられなく、賃金も上げられない問題も解決できません。

なぜなら、原因が分からなければ手の打ちようがなく、成り行き任せになってしまうからです。

生産性を上げられなければ、賃金を上げられない事は私たちでも理解できると思います。

私たち日本の生産性が30数年間も、他国が上げられているのに日本は上がっていません。

これには原因があると考えるのは当たり前の事です。

しかし、私たち日本のリーダーと言われる人達やマスコミでも原因を公表していない事からも考えていないのではないでしょうか。

生産性を追求する事は、企業活動の使命である訳です。

その使命を達成できないのに、なぜ私たちは根本的な原因を追究して、原因を見つけ出す事を行わないのでしょうか。

生産性を長期間上げられないという事は、私たちが行っている事に、変化に対応できない大きな欠陥がある、と言う事だと思います。

大きな欠陥であれば、是正しないとこれからも続くと言う事で、ここは本格的に追求して考える必要があるのではないでしょうか。

私たち日本は、生産性が長期間上げられない原因が分からないので、その場限りのテクニックを使い、例えば企業に働きかけて賃金を上げる様に促すとか、リスキリングを行い、生産性を上げる様に努力するとか行っています。

しかしこれらの施策は対処療法的になってしまい、企業も生産性が上がらない中の賃上げでは、一時的な賃上げにならざるを得ません。

なぜ、リスキリングまで対処療法になってしまうかは、生産性低迷原因が分からない為、どうすれば生産性が上がるかが明確になっていないので、どんなスキルを身につければ生産性が上がるかが曖昧になるからです。

今まで生産性を長期間上げられなかった私たちの知識でよさそうだ!と思う事を行うリスキリングだからです。

生産性を上げ、賃金を上げる為のリスキルリングではない、根拠の曖昧なよさそうだで始めるリスキルリングからです。

私たちは、生産性が上がらない原因を追究しないので、この様な私たちの習慣で行う方法しか取れないのです。

生産性の長期間低迷原因が分からないと、生産性を上げる為の適切な手が打てなくなってしまうのです。

私は、私たち日本の生産性が上がらない事には理由があると思っていましたので、その理由を私なりに解明しました。

その理由が明確にできなければ、これからも生産性を上げられず、低賃金で働かざるを得ないと思います。

私はなぜ、私たち日本の生産性が長期間停滞してしまったのか、その理由を解明しましたのでその理由を説明できます。

ただその説明は、私たちの意識外の事、考えた事もない事を説明しますので、私たちは説明を読んでも、私の説明を見通せない、洞察できないのではないでしょうか。

見通せない、洞察できないと、私たちの習慣的な捉え方である知る事で満足してしまい、行動まで結びつかない為、何の役にも立たないのです。

それ程私たちが習慣にしている事とは遠い所、見つけ難い所に原因があるのです。

なぜなら、私たち自身が行っている習慣を疑わないと見つけ難い事と、洞察力とか、論理的思考と言う私たちには馴染みのない言葉で説明しますので、私たちは洞察力も論理的思考力もありませんので、これらの言葉の概念が掴めないと思います。

その為、私の説明がどう言う事を言っているのかと、追求して考えて欲しいのです。

私たちの現在の様に、本質を考えなくなった物事の理解力では、私の説明は見通せないと思います。

見通せないと、生産性が上がらない理由を説明しても納得できないのです。

納得できないと行動に移す事も行いませんので、ただ知っているだけで何の役にも立たないのです。

現実に私たち日本の生産性が長期間低迷している理由を説明しても理解できない程、私たちはその場限りのテクニックを積み重ねてきましたので、本質等を追求して考えなくなってきているのです。

私たちは、私たち日本の習慣でなんでもできると思っているようですが、現実は、生産性を30年間も殆ど上げられなかった事や、格差社会が多く残る事等欧米と比較して劣っている事が多く、暮しやすい社会とは言えない生活を送らざるを得ないのです。

この原因は私たちの習慣にあるのです。

私たちの習慣ではできる事とできない事が明確なのです。

できる事は、微細な事を見分けられる事を使った良質の製品づくりであったり、高度な知識を使い最先端の技術開発などであったりする事等ができる事です。

できない事は、優れた判断力や先を読む力が必要な生産性を上げる事や、知恵を出す事や、付加価値を生み出すアイデアを出す事等賢い事ができないのです。

しかし、これらの賢さがグローバル市場を見通せる力になり洞察できる力になる為、生産性を上げる為には必要になってきているのです。

それでは本題である、私たち日本が長期間生産性を上げられない理由を説明します。

できるだけ、注釈をつけ分かり易く説明したつもりです。

生産性を上げられない理由の1つは、グローバル市場がIT化グローバル化の進展で大きく変化したのに、私たちの習慣では変化した市場にしっかり対応する事ができていない事。

なぜできないかと言うと、私たちの習慣が、生産性を高くする為に必要な、知恵や発想力を発揮する為の基礎になる洞察力を培えない習慣だからです。

私たちは言葉で表した根拠が曖昧な知識で対応しようとするからです。

前に説明した様に、生産性を追求して考える事を行わない習慣だからです。

1つは、その原因が、私たちが普段から行っている習慣にあるので、私たちの習慣を俯瞰視して生産性の高い欧米と比較する事もしないので、なかなか原因に気づけない事。

私たちは、情報になる前のグローバル市場の変化の兆候を感じ取り、兆候を追求して考え原因を見つけだし、変化に対応する為解決策を追求する様に考え事を行わない習慣なのです。

変化の情報を他国から得て、知識を増やす事で対応しようとする訳です。

日本の事は日本人が考える事で、他国では考えてくれる問題ではないと思います。

1つは、私たちの習慣が表面的な目に観える事に意識があり、目に観えない物事の裏側などがどうなっているかなどを追求して考える事のない習慣である事。

現在の市場は高度化複雑化してきている為、物事の裏側で行われている目に観えない物事が生産性を左右する事が増えている事が理由です。

IT化グローバルの進展は、グローバル市場を高度化複雑化した為、私たちの目に観えるものに意識が集中する習慣では、グローバル市場の変化を観え難くしたり分からなくしたりしてしまうのです。

この事を解消しようと知識を増やす訳ですが、言葉で表せる物事には限界があり、自ら物事の論理を解き明かした人の様には説明している事の根拠が曖昧になるか分からないので、一を聞いて十を知る事様な、結果を優れたものにする事ができないのです。

1つは私たちの習慣では問題を解決できなってしまうので、この欠点を補うために、知識を入手する事を重視して考えるので、知識の類推的な考えるになってしまい、自ら生産活動の論理を解き明かした論理的に組み立てられた事ができない為、優れた結果を出せない事。

得る知識を論理的に考えて得るのではなく、勘で必要と思う知識を得ている事。

この習慣では、考える事がランダムになってしまい、ビジネスを論理的に理解できない為、論理的なビジネスを行えないのです。

1つは、私たちの習慣では、問題を解決する方法がどうしても得た知識の類推的な、気づきの殆どない解決法になってしまうので知恵を出す事や付加価値を生み出す様なアイデアが出せない為差別化を生み出せない事、

など、私たちの習慣は、ビジネスを見通して、洞察して優れた判断や先を見通す事ができない習慣が生産活動で賢い事ができない原因になり、私たち日本の生産性が長期間低迷してしまうのです。

この見解は私の想像ですが私たちは、長い事物事の本質を考えてきませんでしたので、本質が何か?が曖昧になってしまい、現在行っているテクニック的な本質を踏まえない方法の積み重ねが、奥深くにある本質を私たちに説明されても、全く見通せない状態になってしまう状況を生んだのではないでしょうか。

この説明を読んだだけで、どこまで私たちの習慣で、生産性を上げられない事を理解し行動でできるでしょうか。

現実の数字を見ても、労働生産性が先進国中最低で、韓国やトルコ、ニュージーランドにも抜かれた状態です。

私たちの習慣は知識を豊富に持っている為色々な事ができるのですが、行う事が表面的捉え方、言葉で表した知識で行うので、自ら論理的に考えれば出せる結果を出せない、知恵や発想力のない方法になり生産性が低いのです。

私たちが行っている知識や情報を基にビジネスを行う方法では、中国や韓国でもできる為差別化にはならないので、生産性を上げるまではいかない事が理由です。

生産性を上げる為には、現在のグローバル市場で知恵を出す事や発想力、優れたアイデアを出す必要があるのですが、私たちの習慣では、知恵や発想力の基礎になる洞察力を培えない習慣なので、欧米の様な洞察力を培える習慣に、論理思考が身につく習慣に変える必要があるのです。

洞察力を培う為には、論理的に物事を自ら追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす力が必要なのです。

ここまでは、私たちの習慣が原因で、生産性を上げられない理由を説明しました。

ここで終わってしまっては、なぜ苦労して生産性が上がらない理由を解明したかが曖昧になってしまいます。

どうすれば、生産性の問題を解決できるかが問われる訳です。
そこで、私が考え出した解決策を説明します。

生産性が上がらない原因の説明を読んで頂ければ分かると思いますが、私たちの習慣が、考える事が少なく、自ら物事の論理を解き明かす、物事を追求する様に考える事を行わない事が原因で、生産性を上げられなかったり、格差社会が多かったりする訳です。

論理的にビジネスを追求して考えないからこれらの事が起きる訳です。

どうすれば、ビジネスを始めとした物事の論理を、解き明かせる様になるかが問題になるのです。

ここで私たちの習慣が邪魔をするのです。

どんな邪魔かと言うと、私たちの習慣には、問題を意識下において気づきを待つ様な自ら物事の論理を解き明かす行為を殆ど行わない為、問題を意識下において気づきを待つ行為を私たちはできないのです。

この事に関して、私が考え出した解決策を、説明していますのでご覧ください。

私たちは、考えること自体もあまり行わないし、物事の論理を自ら解き明かす様な、考えるは殆ど行っていません。

殆どが他からの知識で補っているのです。

物事の論理を自ら解き明かす事の説明からします。

カラーバス効果と言うのをご存知でしょうか。
何かに意識を持っていると、普段観えないもの、気づかないものが観えたり気づいたりできる効果です。

この効果を使って物事の論理を解き明かして行くのです。

何かに疑問を持って、その論理を解き明かす為には、その何かを常に意識しておく必要があるのです。

この意識を持ち続ける事で、何かに関係する事が起きたり、新たな情報として入ったりする事で、疑問に思った論理に気づいて論理を解き明かして行くのです。

物事の論理を自ら解き明かす為には、本人が解き明かしたい疑問を常に意識下に置いておく必要があるのです。

この意識を持続して持つ事が、私たちの習慣では苦手になってしまうのです。

なぜなら、私たちはメタ認知能力を持つ人は殆どいませんので自分の意識をコントロールできませんし、私たちの習慣は、知識を得る事で済んでしまう、意識を持続させる必要のない習慣だからです。

私たちが生産性を上げられない理由は、物事の論理を自ら解き明かさないからです。

追求する様に物事の裏側など目に観えない物事を追求して考えない事が理由です。

追求する様に考える習慣をつければ、私たちでも自ら物事の論理を突き明かせる様になる訳です。

なぜ、こんな事を説明するかと言うと、好奇心のある人がこの方法で、自ら物事の論理を解き明かしているからです。

常に物事に疑問を持ち、その疑問の意識を持ち続け、物事の論理を解き明かしているのです。

物事を追求する様に考えられるか否かが、自ら物事の論理を解き明かせるか否かになってくるのです。

そうすると、私たちが追求する様に考える癖をつければ、私たちでも物事の論理を自ら解き明かせる様になるのです。

この追求する様に考える習慣化に、質問力が役立つのです。

私たちは、質問の力を理解している人は少ないと思いますが、質問には追求する様に考える効果があるのです。

自分を振り返ってみれば気づくと思いますが、私たちは質問を受けると、持っている知識を探る様に広く深く考えるのです。

普通の会話とは違い追求する様に考えるのです。

質問の専門家は、質問は人の心を開かせ思考力を鍛え貴重な情報を引き出す力がある、と言っています。

私たちは質問を受けると、追求する様に考えるのです。

又質問は、他人からでもできて、効果は同じ様に追求する様に考えます。

私たちが苦手な、意識を持続して持つ必要がないので、私たちでも追求する様に考えるのです。

あとは、追求する様に考える癖をつければ、習慣化できる訳です。

私たちには、同様の事を繰り返し行っていると慣れてきて、無意識に行える様になる能力を持っています。

この能力を使い、最初の頃は他人から質問をして貰い、生産活動などの論理を解き明かす様に考える癖をつける為に、何度も質問をして貰い考えるのです。

質問と答えを考える事に慣れてきたら、自ら疑問を持てる様に、常に日常の事になぜ、どうして?問い掛ける癖をつける為に、日常の分からない事に問い掛ける様にするのです。

物事を自ら追求する様に考える癖ができても、論理思考効果をすぐに出せる訳ではありません。

ここで、論理思考の性質を説明しておかなければ、私たちは、すぐに考える事を止めてしまうかも知れません。

どう言う事かと言うと、論理思考で優れた結果を出す為には、少しぐらい論理的に考えても結果は出せないのです。

追求する様に考え始めると、関係性で物事を理解できる様になります。

どう言う関係だから、これはこうなる!と捉えられる様になるのです。

論理思考で結果を出す為には、この関係性で物事を捉えられる範囲をある程度広く深くしないと結果が出せないのです。

現在起きている問題の論理を解き明かせる様になるまで、論理思考効果と言われる優れた結果は出せないのです。

ただ、私たちは現在でもある程度は知識の類推から、生産活動の論理は想像できると思うので、それを確かめる事、なぜ、そう思ったのか?を考え直す事で一から行うより、早く関係性を掴めると思います。

又、一般的には論理思考効果を計る事はできません。
計る基準がないのです。

この事に関しては、私は基準を持っています。

なぜ論理思考効果を計る必要があるかと言うと、努力して物事の論理を解き明かし続けても最初の頃は結果を出せない為、進捗状態を知る事で、あきらめて基の私たちの習慣に戻ってしまうのを防ぐ事が目的です。

私の場合は、例えば、何か問題が起きた時に、解決する為の仮説がすぐに頭に浮かぶようでしたら、かなり論理思考効果が出ていると言う事です。

その他にも、例えば、他人が見通せない生産活動の論理を、どこまで見通せるか、一を聞いて十を知る事ができるかを話し合いで判定できます。

これも、難易度、どこまで難しい事なのか、誰でも分かっている論理なのかで観て行きます。

今までの説明でお分かりの通り、私は物事を洞察する為にはどうすればよいかを理解しています。

その理解した事を使って、どの様な質問をすれば、クライアントが、洞察力が培えるかが分かりますので適切な質問を出来ます。

普通試行錯誤して身につけて行くビジネスの洞察力を効率的に培えますので日本人には非常に少ない洞察力ある人財を育てられると思っています。

洞察力のある人財を育てられれば、知恵や優れたアイデアを通して、今まで出来なかった生産性を上げたり、男女格差等格差社会を減らしたりでき、働き易い暮らしやすい企業や社会システムを作れるのです。

現在の習慣を続けていたのでは、現在の結果しか生まれないのです。

習慣を、論理思考が身につき、物事を追求する様に考える習慣に変える必要があるのです。

私は、本人の努力は必要ですが、物事の洞察を通してビジネスをする様な、欧米に多くいて日本には非常に少ない人財を育てる事ができます。

なぜなら、日本の習慣の欠点を解明でき、解決策を考え出せたからです。

私は、試行錯誤して現在の考えに至りました。

この過程で解き明かした論理でアプローチしたページがありますので、参考に直近の説明文をご覧ください。
役に立てると思います。

「なぜ私たちは、工夫改善はできるのにグローバル市場で知恵を出す事や付加価値を生み出すアイデアを出せないのか?」

現在のグローバル市場はIT化グローバル化の進展で高度化複雑化した為、生産性を高くする為には市場に通用する様な知恵を出したり発想力を発揮したりする事が必要になってきています。

しかし私たち日本は、工夫改善はできるのにグローバル市場で通用する様な知恵や発想力を発揮できません。

なぜ、私たちは知恵や発想力を発揮できないのか、その理由を説明します。

私たちが、例えば製造業で工夫改善をする場合は、機械の構造やメカニズムなどを知らなければ工夫改善はできないと思います。

私たちの習慣は目に見えるものを注意深く見て、分からない事は他からの知識で補う習慣なので、目に観える事や知っていればできる機械の構造やメカニズムは理解できるのです。

知恵や発想力は工夫改善同様理想に近づける為の考え方である為、知恵や付加価値を生み出す発想力を発揮する為には、市場の構造やメカニズムを知らなければ知恵や発想力は発揮できないのです。

この事は私たちでも納得できると思います。

グローバル市場は人が作ってきた市場である為、人が行う事は更に複雑な事をするので、市場の構造やメカニズムだけでなく関係性や本質、原因等を知っていなければビジネスで知恵を出す事や付加価値を生み出すアイデアをだす事ができないのです。

ビジネスのメカニズムや関係性、本質や原因などを私たちの習慣は追求して考える事、ビジネスの論理を自ら解き明かす事を行わない事が、知恵をだせなかったり発想力を発揮できなかったりする原因なのです。

論理的思考の根拠を追求して考えない事が原因なのです。

私たちの習慣は、どう言う訳か物事の裏側など、目に観えないものは追求して考え、物事の論理を自ら解き明かす事を殆ど行わない習慣なのです。

目に見える機械の様なものは私たちの見方で分かりますが、目に観えない物事の関係性や本質などは、解き明かし方が、多少個人差がある為分かり難い所もありますが、論理的に考える論理的思考はつじつまを合わせる考え方である為、グローバルビジネスに関係ある論理を解明していれば、私たちが行っている工夫改善同様、グローバル市場で通用する様な知恵を出す事や付加価値を生み出すアイデアを出す事ができるのです。

私たちの習慣は多分日本の過去の歴史や自然環境が影響して目に見えるものに意識が集中する習慣になってしまったため、目に見えない物事の裏側などのメカニズムや関係性、本質や原因等を追求して考える事を行わないので、現在の私たちは、工夫改善はできるのにグローバル市場で知恵を出す事や付加価値を生み出すアイデアを出す事ができなくなり、生産性も上がらないのです。

私たちの習慣的な問題解決法は、知識を得る事で知識の類推で問題を解決する習慣で、ビジネスの論理を自ら解明して原因を突きとめる習慣ではありません。

ビジネスの裏側で行われている事を追求して考える、ビジネス論理を解き明かす習慣ではありません。

欧米ではビジネスの論理を解き明かしてビジネスを行っているのです。

論理的思考の自ら根拠を解き明かしているのです。
原因を追求しているのです

その違いが工夫改善はできるのに、知恵や発想力を発揮できない差になって表れて、付加価値を生み出すアイデアを出せるか否かになるのです。

私たちの習慣的な観方考え方をしていたのでは、現在の高度化複雑化したグローバル市場を理解して洞察して、知恵を出す事や付加価値を生み出すアイデアを出す事ができない市場に、グローバル市場が変化したのです。

私たちの習慣的な観方考え方では、観えない考えない物事が多くなる市場に変化したのです。

生産性を上げて、賃金の問題などを解決する為には、私たちの習慣を、物事を追求する様に考える、物事の論理を自ら解き明かす論理的思考が身につく習慣に変えなければならないのです。



「物事に気づく事について」

私たちの習慣で、日常どのくらい新たな気づきがあるでしょうか。

なぜ、気づきを問題にするかと言うと、気づきが多い人は独自性が出せ、差別化を生み出すチャンスが増えるからです。

物事の論理を解き明かす時に、解き明かしたい問題を常に意識していて、新たな気づきから問題を解明する事を行います。

問題を解決する為には、新たな気づきがなければ問題の原因にも気づけず、解決できません。

それ程重要な気づきを、私たちの習慣では殆ど気づきが生まれない為、差別化もできなくなり生産性も低迷してしまうのです。

なぜ、私たちには気づきが殆どないのでしょうか。

ここで言っている気づきとは、その人にとって新たな発見であり、状況に気づく様な現在あるものを見つけ出す事ではありません。

論理的に気づく事で、感情的に見つけ出す事ではありません。

日常の気づきの多さが、その人を決めてしまう程、物事に気づく事は重要な事です。

気づきが多ければ、色々な事が解明でき、他人より色々な事を理解でき、洞察力まで培えますので、その人を成長させる事ができます。

気づきの多い人は、普通の人が気づかない事を、気づきを通して観られるので、他人より優れた判断や行動ができるのです。

なぜ、優れた判断や行動ができるかと言うと、気づきの多い人は普段から物事を疑問視していて、その論理を解き明かしている人に気づきは特に多いので、洞察ある判断は優れたものになるからです。

私たちは知識を豊富に持っている為知っている事が多いので、思い出す事を気づいたと思ってしまいがちですが、思い出すと気づく事とは違います。

どこが違うかと言うと、思い出すは記憶しているものしか思い出せませんが、気づくとは新たな関係性に気づく、と言う様に新たな発見がありますので、付加価値を生み出す様な事ができますが、思い出すでは新たな発見はありませんので、付加価値を生み出す事はできません。

この大切な気づきが殆どないのが私たちの習慣なのです。
その理由を説明します。

この気づきを得る為には、物事を追求する様に考える、物事の論理を自ら解き明かす、論理思考を徹底させる、物事に疑問を持って考える、質問を受けて考える事等が有効です。

私たちの習慣は、論理思考の根拠を自ら解き明かす事を殆ど行いません。

私たちの習慣は、上記した様な事、追求する様に考える事も、自ら物事の論理を解き明かす事も行わない習慣です。

その為気づきが殆ど生まれないのが、私たちが行っている習慣なのです。

私たちの習慣は、記憶する事を重視し、考えること自体が少ない、特に自ら物事の論理を解き明かす追求する様に考える事を行わない気づきの生まれ難い習慣が私たちの習慣です。

私たちの習慣は、日常疑問を持つ事も殆どなく、考えること自体をあまり行わないので気づきは生まれないのです。

私たちの習慣を俯瞰視すると、気づきが殆ど生まれない習慣なのです。

記憶した事からの類推で物事を考える気づきの殆どない習慣です。

私たち日本の習慣では気づきは生まれませんし、知識の共有と言う独自性は発揮できない横並びの事しかできないので、差別化ができないのです。

私たちの習慣は、どこから観ても気づきが殆ど生まれない、他からの情報や知識を覚えて対処する受動的な習慣なのです。

気づきがなければ付加価値を生み出す様なアイデアが出せなくなり、生産性も上げられないのです。