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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案の要約

私たち日本の生産性はどうすれば上げる事ができるか?

「冒頭説明」

私たち日本は30数年間殆ど生産性を上げられず、賃金も上がらず、年金などの問題も起こり国力の低下まで起きつつあります。

GDPを上げ国力を回復する為にも生産性を上げる事は必須条件です。

なぜ、私たち日本は生産性を上げられないのか?この原因を追究すると観えてくるものがありましたので、このHPでは、私たち日本の生産性を上げる為の原因を解明し、解決策を考えたいと思います。

私たちは観えないのですが、私たちには観えなくて、生産性の高い欧米では観えている物事があります。

この観える、観えないの物事の差が、企業や社会システムを作る場合、企業や社会システムが論理的に出来ているか否かなどに大きな影響を与えている物事があります。

観える、観えないの差は、どこから生まれるかと言うと、グローバル市場を知っているか否かではなく、洞察できるか否か、本質を捉えられるか否かが観えるか否かの原因になるのです。

あなたは相手が見通せて賢い行動ができるのに、自分は見通せない賢い行動ができな事を経験した事はありませんか。

これが洞察力の正体で、物事を見通した優れた判断を生み出すものです。

私たち日本と欧米の企業や社会システムの作り方の差は、論理的か否かの差です。

私たちが作っている企業や社会システムは、多くの企業が欧米からの知識を得て、その類推で事業をするか国内の需要を見つけ出して事業を始めるとかするのに対して、欧米一流企業は自らグローバル市場を洞察して論理的に考え抜いて事業を行っています。

生産性の高い欧米では、企業や社会システムが私たち日本よりはるかに論理的に出来ているので、生産性の差や格差社会が少ない事等の差が出てしまうのです。

生産性や格差社会の差がどこから生まれるかと言うと、物事を見通す事で優れた判断や先を予測する力である洞察力があるかないかの差が原因なのです。

洞察力があるか否かの差はどこから生まれるかと言うと、ビジネス等を論理的に追求する様に考えて、自らビジネス等の論理を解き明かし続けて考えているか、他からのビジネス等の知識を覚えてその類推で社会システムや企業を作っているか否かの差から出てくるのです。

この考え方や行動の差が、洞察力を培えるか否かの差になって、知恵や発想力を発揮できるか否かの差になって、企業や社会システムを論理的に理想に近づけた企業や社会システムを作れるか否かの差になって表れて来るのです。

グローバル市場は益々高度化複雑化を増して行き、この高度化複雑化した市場をどこまで観えるか、観えないかが行動に表れて、企業や社会システムづくりに影響を与えてくるのです。

私たちの様に、欧米から知識を得てその類推的に考える自らの気づきが殆どない習慣では、欧米では観えていて私たちには観えないものができてしまい、私たちは欧米並みの賢い事ができなくなってしまいます。

グローバル市場は益々高度化複雑化を増し、この市場では、知恵や発想力を発揮して論理的な企業を作る事が必要になってきていますが、私たちは、企業や社会システムを作る場合、欧米から知識を得てその類推で行動する事で生まれる欧米の真似に近い事しかできないので、常に周回遅れの事しかできないのです。

知恵や発想力を発揮する事が必要に成ってきた市場になってきていても知恵や発想力を発揮できないのです。

その原因は、私たちの習慣では洞察力を身につけられないからです。

私たち日本人も物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かせる洞察力を培える習慣に変えないと、欧米では働く時間が少ないのに賃金は高く豊かな生活ができるのに、私たちは長時間一生懸命働いても見返りの少ない愚かな働き方をしなければならなくなるのです。

この差は、企業や社会システムを、洞察力を使い、無駄のない効率的かつ効果的な事ができる企業や社会システムを論理的に作っているか否かの差なのです。

確かに私たちの対応力には優れたものを持っていますが、今後の市場は、対応力だけでは、いつも先進国を追う事になり、自ら欧米の様な幸せにはなかなかなれません。

自ら幸せになれる人の真似ではない、私たち自身が望む社会を、自らの論理で作るべきなのです。

これを実現する為には、私たちの習慣を、追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かせる様にする事で、私たち独自の幸せを求めて行くべきなのです。

次に、私がこのHPを観て頂いた方に、ご理解頂きたい事をまとめてみましたので、このまま下の説明をご覧ください。

「私たちにご理解頂きたい事」

私たちの習慣を生産性の高い欧米と比較すると、私たちは目に見える物事を注意深く見て、目に観えない物事の裏側などを追求して考える事のない習慣と、問題の原因を新たな気づきが殆ど生まれない知識の類推で解決している習慣です。

又、論理的に考える事をあまり行わず、論的思考の根拠を自ら解明する事を殆ど行わない習慣です。

この習慣では優れた判断や先を予測する力である洞察力を培う事ができない為、生産性の長期低迷を招いたり、格差社会が多く残ったりして欧米の様な、豊かな生活を送る事はできません。

洞察力は、テクニックを使っても短時間では習得できない、1つひとつの物事の論理を自ら解き明かす事で生まれてくる、物事の本質等を見通した優れた判断力であり先を予測する力です。

私たちの習慣を行っていたのでは洞察力は身につきません。

その第一の理由は、私たちの習慣が物事を自ら追求して考える、物事の論理を自ら解き明かす事を殆ど行わない習慣ですからです。

私たちの習慣では、自ら物事の論理を解き明かす事を行わない為、物事を論理的に理解する事が難しくなり、論理的に物事を理解し行動する事ができないのです。

要するに私たちの習慣では、物事を論理的に処理する事ができないのです。

論理的と言う事は理想に近いと言う事で、私たち日本と欧米の企業や社会システムなどを観れば分かる通り、私たち日本が作る企業や社会システム、人間関係などは欧米と比較して論理的に出来ていないので、生産性を始めとして格差社会が多く残るなどの現実がある訳です。

常に論理的に追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かしていれば洞察力が培われ、論理的な優れた判断や先を予測できる為、優れた論理的な企業や社会システム等を作れるのですが、私たちの習慣は、追求する様に考えて物事の論理を自ら解き明かす事を殆ど行わない習慣である為、洞察力も培えず、優れた判断もできず、生産性が長期間低迷したり、格差社会が多く残ったりするのです。

この説明を十分に理解納得出来れば、私たちの習慣は愚かな習慣である事が理解でき、習慣を変えなければ、欧米の様な論理的な企業や社会システム等を作れず、一生懸命働いても満足の行かない生活しかできない事を理解できると思います。

このHPで説明している事を十分に納得理解出来れば、私たちの習慣を洞察力が培える、追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かせる習慣に変える気持ちを持てる様になるのではないでしょうか。

なぜなら、論理的に物事をする事が、究極的には無駄のない効率的かつ効果的な事ができる様になるので、同じ働いても優れた成果が出せる様になるからです。

ここの所を私たちにご理解頂いて、私たちの習慣を変えようと思って頂きたいのです。

あとは、洞察力を培う習慣に徐々に変えて行けば、私たちでも洞察力を身につける事ができ、生産性を上げる様な賢い事ができる様になるのです。

興味を持って頂けたらご連絡頂ければ、ご納得いただく説明をし、ご納得頂けたら洞察力の培える、生産性を上げられるスキルを身につける訓練を始める事ができます。
ご連絡をお待ちしています。

ご理解頂きたい事をまだ理解できない、習慣を変えてみようと思えない方は、アクセス頂いたページに戻って、最初から読み進めてください。

「私たちの習慣の欠点T(なぜ、付加価値を生み出すアイデアを出せないのか?)」

御社は、常識を疑え、と言う言葉はご存知だと思います。

原因を見つけ難い問題は、常識を疑う様な事までしなければ、新たな解決策を考え出せない、新たな発見ができないからです。

御社は、自社で日常行っている事を疑いの目で観て、自社のビジネスを俯瞰視して他社と比較して観た事はありますか。

これを行っているのであれば、利益の取れる投資先は見つけ易くなると思います。

もっと視野を広げて、私たち日本人が常日頃行っている習慣を疑いの目で観て生産性の高い国、主に欧米と比較して追求して考えた事はありますか?

問題を解決する方法の1つとして、常識を疑え、を私たちは知ってはいるのですが、実際はあまり疑う事を行いません。

ましてや全く疑う事のない日常行っている私たち日本の習慣を疑う様な事をして、他国と比較する様な事は殆ど行わないのではないでしょうか。

なぜ、こんな問い掛けをするかと言うと、私たち日本の生産性は30数年間殆ど上げる事ができず、その原因が、私たちがグローバル市場で付加価値を生み出せない事が原因だからです。

なぜ、私たちはグローバル市場で付加価値を生み出せないのか?この事を私たちの習慣では追求して考えない所に、私たちが今の市場で付加価値を生みだすアイデアを出せない原因があるからです。

付加価値を生み出す発想力を発揮する為には、物事を見通す力洞察力が必要で、洞察力を培う為には、物事の論理を自ら解き明かす力が必要で、物事の論理を解き明かす力を培う為には、物事を追求する様に考える習慣が有効なのですが、私たちは、なぜ付加価値を生み出せないのかと、追求して考えません。

この説明も、1つひとつの言葉の意味を説明しないと私の説明は見通せない、洞察できないかも知れません。

物事の論理を解き明かすとは、ビジネスを始めとして物事は論理的に出来ている場合が多いです。

その論理的にできている物事のメカニズムや関係性、本質や原因などの論理を自ら追求して考える事で、物事の論理を解き明かす事を言います。

付加価値を生み出す為には、この物事の論理を追求して考える事を、ビジネスを始めとした多くの事で行う必要があります。

なぜ、多くの物事を追求して考える必要があるかと言うと、洞察力と言う物事を見通した優れた判断や先を予測する力を身につける為には、ビジネスだけでなく色々な物事のメカニズムや関係性、本質や原因などを知る必要があるからです。

私たちの様に物事を追求する様に考える事を行わない習慣では、洞察力が身につかず、付加価値を生み出すアイデアも出せなくなってしまうのです。

逆になぜ?どうして?と常に物事を疑っていれば追求して考える様になる為、物事の論理を自ら解き明かす様な事を自然にするので洞察力が培われ、付加価値を生み出すアイデアも出せる様になるのです。

私たちの習慣である物事を追求して考える事を行わない習慣と、グローバル市場で付加価値を生み出せない事は繋がっているのです。

疑う事が新たな発想を生み出す事を知っていても、私たちは疑う事を行わないのです。

現在のグローバル市場では、物事を追求する様に考えない習慣は欠点になってしまい、付加価値を生み出すアイデアを出せなくなってしまうのです。



「私たちは、ボタンの掛け違いをした習慣を一生懸命やっているのでは」

生産性を上げて賃金を上げる為には、グローバル市場で付加価値を生み出せなければ賃金は上がりません。

私たち日本は、この付加価値をここ30数年間殆ど生み出せないでいる状態が続いています。

私たちが付加価値を生み出せないのは、私たちが当たり前に行っている習慣が、ボタンの掛け違いをしているからです。

私たちの習慣を行っていたのでは、グローバル市場で付加価値を生み出す事はできない習慣なのです。

現実を見ても私たち日本人には、米国人の様な発想力のある人は殆どいません。

そのボタンのかけ違いをした習慣を一生懸命行っているので、30数年間も殆ど付加価値を生み出せず、生産性も上げられないのです。

なぜ私たちの習慣が付加価値を生み出せない習慣なのかを説明すると、付加価値を生み出す為には、物事を表面的に観ていたのでは付加価値を生み出せないのですが、私たちの習慣が、目に見える物事を注意深く見ていて、目に見えない物事の裏側などの論理を追求して考え、物事の論理を自ら解き明かす事のない習慣だからです。

私たちの習慣的な観方考え方では、物事を表面的に捉えてしまい、付加価値を生み出すアイデアを出す為に必要な、物事の裏側など目に見えない所まで包括的に理解しなければ、付加価値は生み出せないのです。

要するに、物事を洞察できる様にならないと、付加価値は生み出せないのですが、その洞察力を培えない習慣が私たちの習慣なのです。

なぜなら、付加価値を生み出すアイデアを出せる様になる為には、物事の裏側までメカニズムや関係性、本質や原因などを理解して洞察力を培い、物事の洞察を通してどうすれば付加価値を生み出せるかを追求する事で付加価値を生み出しているからです。

私たちがよいと思って行っている習慣が、付加価値を生み出せない洞察力の育たない習慣なのです。

ボタンの掛け違いに私たちが気づけない理由を説明すると、1つに、私たちの習慣は付加価値を生み出せない理由を追求して考える事を行っていない習慣である事。

私たちの習慣が原因を追究して考える習慣ではない原因は、私たちの習慣がどう言う訳か、物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす習慣がない事です。

今までは、私たちの習慣である、他からの知識を得る事で問題を解決できて成果も出せたし、この方法の方が早く楽に解決できたからです。

しかし問題が起きた時、原因を追究して原因を見つけ出す事は当然なのですが、私たちは自ら問題の論理を解き明かして解決するのではなく、現在でも解決できそうな知識を探してきて、得た知識の類推的な新たな気づきの殆どない解決法を習慣にしています。

今まで習慣で行ってきているので類推的に考えている事も私たちには意識がなく、自ら問題の原因を追究して問題を解決していると思っている様ですが、問題を解決する時、色々調べてから問題の解決を図る事が多い事からも、私たちの習慣的な問題解決法は、得た知識の類推的な解決法になっているのです。

論理的に考えて、解明した論理を基に解決策を考える、自ら論理を解き明かす解決法ではないのです。

1つは、私たち習慣がボタンのかけ違いを、気づけない習慣である事。

私たちの習慣は、外からの刺激に反応する様な受け身の姿勢が身についていて、自ら自分が行っている事考えている事を俯瞰視して考える、メタ認能力的に自分を観る習慣がない為、自分の欠点に気づき難いのです。

自ら行っている事を疑う事や他者と比較する事を殆ど行わないで無意識に行動する考える事が多いので、私たちが行っている習慣の欠点に気づけないのです。

私たちの習慣を俯瞰視して、他国の習慣と比較する様な事も行わないので他国との違いを認識する事もなく、ボタンの掛け違いに気づけないのです。

私たちの習慣は欧米人には観えていて、私たちには観えない物事があると言う事です。

1つは、私たちの習慣的に行っている事では新たな気づきが殆ど生まれない事。

私たちの習慣は、物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行いません。

追求する様に考えない習慣では、解明したい物事を意識下において、気づきを待つ事もしませんので、新たな気づきは生まれ難いのです。

又物事に疑問を持つ事が少ない為考えること自体をあまり行いません。

疑問に思っても調べる他から知識を得る事で補っている考える事が殆どないのです。

考えなければ、気づきは生まれないのです。

特に論理思考が身につくまで考える事を多くして、追求する様に考える事で気づきを多くしないと、私たちの習慣まで疑う事が無いのでボタンの掛け違いに気づけないのです。

私たちの習慣の根底にあるものは、自ら開発して行こうではなく、外からの刺激に知識を得る事で対応しようと言う、自ら行動を起こすのではなく、受け身で行動する姿勢にあるのです。

自ら猛勉強をして問題を解決しているよ!と言いたいかもしれませんが、私たちの問題解決法は、得た知識の類推的な新たな気づきの殆どない考えるで、一から物事の論理を解き明かす考えるではありません。

私たちの考えるは、他人が考え出した知識を頼りに考える事になり、新たな気づきが殆どない為、独創的な事を考え出せる、考えるではないのです。

「私たちを洞察力があるか否かの視点から観るとどう見えるか?」

私は私たちが行っている習慣的な学びや問題解決法では、洞察力と言う、物事を見通す事で優れた判断や先を予測する力がつかず、他の先進国と比較して生産性が低いだけでなく、格差社会が多く残ったり、現在のテクノロジーや経営手法を上手く使えなかったりする事で、一生懸命働いているのに労力に見合った賃金を稼げない、愚かな働き方になってしまうと思っています。

私たち日本の現実を観ても、洞察力がないと発揮できない知恵を出す事や、付加価値を生み出すアイデアを出す事を私たちはできません。

又IT技術や経営手法を使った生産性も、欧米の様に高くできない調査結果がある事からも、テクノロジーや経営手法の洞察ある使い方ができない事が分かります。

欧米と比較して私たちの習慣は、物事を表面的な形で捉え考える習慣である為、格差社会が多く残り、テクノロジーや経営手法を上手く使えない事等が原因で、生産性が長期低迷したままになって上げられないのです。

私たちの習慣的な学びや問題解決法は、知識を増やしその類推で解決しようと言う、考える事が少ない特に、論理的に問題を解決する、物事の論理を自ら解き明かす様な問題解決法は殆ど行わない習慣です。

この習慣では、行っている事やグローバル市場などを洞察した事ができない為、欧米との差、生産性や格差社会、テクノロジーや経営手法等の問題が起きる訳です。

これらの事を欧米並みにする為には、私たちの習慣を、論理思考を習慣とする洞察力が培える習慣に変える必要があるのですが、私たちは洞察力の概念も掴めず、洞察力の重要さも気づかず、洞察力が身につかない現在の私たちの習慣を疑う事もなく行っているのです。

私は、洞察力の重要さを私たちに分かって頂きたいと思っていますが、私たちには洞察力の概念がなかなか掴めないのです。

洞察力のない人に洞察ある事を言っても通じないのですが、なぜ通じないかを私たちは考え様ともしないで、ただ分からない事を言っている、で終わってしまうのです。

洞察力を培う為には大変な努力が必要で、知識を得ただけで身につくものではなく、自ら論理的に考える事を積み重ねた人でないと洞察力を発揮し差別化できる様な知恵を出せない所が、私たちが努力してみようと思わない、洞察力のある人を育てられないジレンマがあるのです。

洞察力を身につける為には、論理的に物事を考える事を習慣化し、特に物事の論理を現在起きている問題の論理を解き明かせる様にならないとビジネスや物事で洞察ある判断をして、優れた結果を出せないのです。

洞察力を発揮するには、物事の論理を自ら解き明かす事をある程度広く深くして行く必要があり、ある期間努力しないと身につかないのです。

この努力が必要なため、私たちの楽な習慣に慣れている私たちは、洞察力の概念も掴めない事もあり、洞察力を培う為に努力をしないのです。

しかし洞察力を培わないと、現在の状況を抜け出す事は難しいのです。

なぜなら、生産性の長期低迷などの現在の状況が生まれる原因が、私たちが洞察力を身についていない論理思考を習慣としていない事が原因だからです。

洞察力を私たちが身につけて行く問題は、現在の私たちは洞察力がない訳ですから、今から私たちが徐々に努力して行く問題なので、洞察力は体験を通してでなければ得られないものである事を、私たちが理解し行動を起こす問題なのです。

私たちの習慣である洞察力の培い方を覚えても、物事を洞察できる様になる訳ではないのです。

スポーツと同じで、鍛えないと洞察力は身につけられないのです。

又洞察ある判断が必要なのは、企業や社会システムの重要な部分で特に必要な場合が多いと思われるので、経営者やリーダーには洞察力を身につけて頂きたいのですが、私たちの経営者やリーダーは、行動力があり早く結果を出せる人を求められるので、経営者やリーダーになる人に今までとは違う方向に努力が必要なため、経営者やリーダーに洞察力を身につける事を難しくしているのです。

企業の経営者もリーダーも、時間に余裕がない中考える事を大幅に増やし論理思考を身につける問題なのです。しかし洞察力を身につける事は労力が掛かる問題なのです。

経営者やリーダーが手間暇かけて洞察力を身につければ、企業や社会システムが論理的になり、多くの従業員が無駄のない効率的かつ効果的な事をできる様になり、欧米並みの豊かな生活、夢の持てる日本を作る事が可能になるのです。

私たち日本の経営者やリーダーに洞察力がない事が、国力まで落ち始めている大きな原因なのです。

経営者やリーダーには、日本を引っ張って行くと言う使命があるのです。

その為には、経営者やリーダーが洞察力を身につけ、企業経営や社会システムを論理的に作り、生産性を上げたり、格差社会を減らしたりする事が必要なのです。

生産性を上げられる様な、もう1つ高いレベルの事を、洞察力を培いできる様にする必要があるのです。

又経営者やリーダーが論理的な事を言える場合、部下はその論理を理解し働く事が現在の日本の状況を救う事になるのです。

働いただけの見返りが期待できる社会を作れるのです。

論理的に考える習慣をつけ洞察力を身につける事が、権力格差や賃金格差をなくす方向に働くのです。

洞察力は、テクニックを使って短時間で身につくものではない為、地道な物事の論理を解き明かし続ける努力が必要なので、一長一短で身につくものではない為、差別化を生み出せるのです。

私たちのビジネスは論理的でない為、つじつまが合わないその場限りのテクニックを使い行う事が多いビジネスである為、他社が真似のできない様な差別化を生みだせないのです。

私たちの習慣である、他から得た知識を基に考える問題解決法では、洞察力を培えないし論理的にならない為、生産性を上げる様な高度な事ができないのです。

現在のグローバル市場は、洞察力が必要な市場へと変化しているのです。



「今注目を集めているリスキリングについて」

今産業界でリスキリングが注目を浴び、各社がリスキリングに取り組み始めている事がマスコミなどで報道されています。

報道を見る限りでは、私たち日本で行っているリスキリングの報道はよく見かけますが、海外の状況はNHKで報道されているのを少し見ただけで殆ど報道されていない様です。

リスキリングの考え方は、米国の企業が始めたのが最初らしく、ドイツなども行っている事を報道していましたが、詳細は国が違うと方法も違うのか、報道されていません。

私から言わせれば、差別化を生み出す為にも、海外のリスキリングをよく知る必要があるのではないでしょうか。

私たち日本のリスキリングの目的は何なのでしょうか?

現状を打破する為、生産性を上げ賃金を上げる事ではないのでしょうか。

生産性を上げる事が目的であれば、これを機会になぜ、私たち日本は30年間も生産性が上がらないのか、原因を追究して原因を探す必要があるのではないでしょうか。

なぜなら、原因が分からなければ適切な手を打てなく、今まで通り生産性を上げて賃金を上げる事ができないリスキリングを行う事になる可能性が大きいからです。

今まで通り、海外で注目されているから行うリスキリングになってしまうからです。

米国は勿論、ドイツや他国でもリスキリングは注目されているものです。

なぜなら、リスキリングを必要とした背景が、IT化グローバル化の影響で市場が大きく変わった為、市場変化に合わせたスキルを企業が持たなければ企業が衰退してしまうからです。

IT化グローバル化の影響で変化した市場に、企業が持つスキルが追い付いていない状況が生まれた事が、リスキリングを必要とする理由です。

今日本が力を入れている、IT技術者を増やす事と目的は同じです。

私たち日本の場合は、この目的を達成するだけでなく、生産性を上げる事も目的にしなければいけないのではないでしょうか。

生産性を上げ賃金も上げる事が目的になるのであれば、生産性同様、もっと海外の企業のリスキリングのやり方を観察する必要があるのではないでしょうか。

なぜなら、海外の国々から学ぶ事を徹底して行わなかったことが生産性上がらない理由の1つと思えるからです。

また、私たちの持つスキルでは、現在の変化を掴めなくなったことが理由です。

現在のグローバル市場で生産性を高くする為には、海外の事を学んだ上に日本の特徴を活かした独自性を出さなければ生産性を高くできません。

私たちは、いつの間にかテクニックに走り過ぎて、海外の事を徹底して知ると言う根本を疎かにしているではないでしょうか。

私たちが行うリスキリングの目的は、何なのでしょうか?

ただ世界的にリスキリングが注目されているから日本も行うでは、世界中には競争相手は大勢いるので目的は達成できないのではないでしょうか。

リスキリングは、日本だけが行う特別なものではない以上、どう言う風にリスキリングを行うかは重要です。

賃金が上がらない事から始まった付加価値を生み出せない事に気づいた私たちの視点が、付加価値を生み出せなければ賃金も上がられず、現状維持にしかならないのです。

このHPの目的である、生産性を上げて賃金などを上げる為には、なぜ私たち日本の生産性は30数年も上げる事ができないのか、この原因を解明する必要があるのです。

今まで通りでリスキリングを始めても、どうすれは生産性を上げられるかを分からないで行っても、やはり一時しのぎになってしまい、行わないより行った方がまし程度のりスキリングになるのではないでしょうか。

私たちには知恵を出すと言う感覚がないから、よく考えないで行動してしまいのではないでしょうか。

市場の変化が激しすぎて、追い付く事に精一杯で、付加価値を生み出す余裕がないのではないでしょうか。

大前研一氏が言う様に、私たちは考える事をどんどん行わなくなってきている事が原因なのです。