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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案の要約

私たち日本の生産性はどうすれば上げる事ができるか?

私が提案したい事の説明をご覧頂きありがとうございます。

御社もご存知の様に、私たち日本には、他国にない優れた所もありますが、生活の質に直結する生産性がここ三十数年殆ど上がっていません。

長期間生産性が殆ど上がらないので、国の借金が増えGDPの2年半近くあり、年金の問題や、若者が挑戦しなくなったなど、国力の衰えを感じる事が増えています。

たった1つの生産性が上がらない事が、国の色々な所に大きな影響を与えています。

その重要な生産性を上げて、生活の質を上げ、国力を回復しようと言う提案です。

何を大げさな事を言っているのだ!と思うかもしれませんが、私が提案する事には裏付けがあります。

ただ私たちが疑う事のない習慣に原因があるので、私たちの習慣からすると、私の提案は見通せない、洞察できないものになり易いので、私の提案を一通り読んで終わってしまうのではなく、ほんとかなーと、私の提案する事を追求して考えて欲し提案です。

私が提案したい事をまとめて要点を説明した、要点だけをまとめた私が提案する事、と次の御社に分かって頂きたい事、をご覧頂ければこのHPで何を言いたいかの概略は掴めるのではないでしょうか。

じっくり読んで行きたい方は、このまま読み進めて下さい。

詳細に説明しています。

「なぜ、私たちに論理思考が必要なのか?」

私たち日本は、生産性が停滞しているだけでなく、格差社会が多く残っている等優れた国づくりや企業作りをしているとは言えない、愚かと言える習慣が多く残る国です。

この原因が、私たち1人ひとりが論理的に物事を考えられない事が理由と思われるからです。

私たちの習慣を続けていたのでは、論理思考力が身につかないからです。

確かに他国にはないよい特徴がありますが、現実のグローバル視点で観た日本は、生産性だけでなく国の借金が増え続ける事や少子高齢化の進展など、国力自体が衰え始めている兆候があちこちで起き始めています。

この状況を抜け出す為には、私たちが論理的に物事を捉え考えられる様にならないと、現状を変えて、無駄のない賢い国にする事はできないのではないでしょうか。

鍵を握っている事が、私たち1人ひとりが少なくても論理的に考えた事は、根拠が正しいものは、感情を抑えられる事を含めて受け入れられる様に、リーダーになる人は根拠を示せ、多くの人を説得できる様に、私たち全体が論理的に考えられ、受け入れられる様になる必要があります。

これができれば欧米の様に自然と私たちの判断で、格差社会を減らせ、生産性を上げられるだけでなく、働き方そのものも論理的になるので、働く人たち自身が納得行く働き方ができ、現在より生活の質を上げる事ができます。

この世界を実現するには、私たち1人ひとりが論理的に考えられる様にする必要があります。

現在の私たちが行っている習慣とは対極的な事を身につける必要があります。

なぜ、対極的と思われる習慣まで変える必要があるのか、疑問が生まれたかもしれません。

私たちの習慣は、色々な物事を知ってはいても、その知っている事の良し悪しを判断できない習慣です。

なぜなら、私たちは論理的に物事を捉えるのではなく、本質もよく分からないまま勘で必要と思う事を記憶する習慣である為、物事の判断が論理的判断にならないので、物事の良し悪しを正確に判断できない、そうなのだろうなーで判断する習慣だからです。根拠の曖昧な事で判断する習慣だからです。

この様な曖昧な判断が、現在の日本を作っている事も、私たちには見通せない、洞察できません。

論理思考効果を多くの人が理解し、論理思考が私たちの考え行動の基礎として働くようになれば、私たちは論理的な企業や社会を作る事ができます。

その為に必要な事は、多くの人が論理的な考え方の優れている事を理解し行動する必要があるのであって、現在の様に、論理的に考えるのは良い事だと知っているだけでは、現在を変えられないのです。

他人事としないで、自ら論理思考を始めなければならないと言う事です。

ここまで説明した事は、私たちは分かっているのですが、私たちの習慣を続けていたのでは論理思考を身につける事ができないのです。

そこの所を良く理解し、質問力を使い徐々に習慣を変えて行こうと言うのが私の提案です。

「私たちの習慣を変えたいと思う理由」

私たち日本は、バブルが弾けてから三十数年間、生産性を殆ど上げる事ができない現実があります。

他国では、三十数年も生産性を上げられなかった国は殆どありません。

その理由は、この間IT化グローバル化の進展があったので、生産性を上げられる環境が世界中に生まれたからです。

例え先進国で成熟社会であっても、欧米を観れば分かる通り、日本より高い生産性の伸び方をしています。

本来なら国を挙げて生産性が上がらない原因を追究して原因を見つけ出し、対策を講じて生産性を上げる行動を取るべきなのですが、生産性低迷の根本原因も現在分かっていないし、当然生産性を上げられる様な、誰でも努力すればできる根本的な手を打って、生産性を上げている所はありません。

ただ生産性の長期間低迷原因は分かっていなくても、結果的に生産性を根本から上げられる事をして生産性を高く維持している企業はあります。

私たち各社は、他社が行わない事を行っているか、主に米国からの知識や情報から新たなビジネスをしているか、儲かりそうなビジネスを各社が競争しているか程度で、多くの企業が差別化を生み出せ生産性を上げられて、国全体の生産性が上がったと言う様な事は皆無です。

なぜこの様になってしまったのか、この原因を私たちは追求して考えないのです。

この様な深い理由がありそうな事を、追求する様に考える習慣が私たちの習慣にはないのです。

この様な状況が三十数年続いているのに、根本原因を、長期間の生産性低迷の本質を追求して考えない習慣なのです。

私は生産性の高い欧米との比較で、ビジネスを始めとした私たちの物事の捉え方考え方の習慣が、生産性が長期間上がらない事の原因である事を突きとめました。

そのキーワードは、論理思考をしているか否かです。

私たちの習慣は、目に見えているか否かが、知っているか否かが、意識して考えるか否かになり易い習慣です。

その為私たちの習慣は、目に見えない物事の裏側などの論理を解き明かす事や、知らない事を自ら見つけ出し追求して考える事を行わない習慣です。

生産性低迷の原因は、私たちが意識して観る事もない物事の裏側などや、私たちは考えた事も意識した事もない所に原因ある場合が多いです。

IT化グローバル化の進展がグローバル市場を高度化複雑化した為、観えていないものが生産性を上げている事が増えています。

詳細説明は色々な言葉の理由を理解しないと私の説明は見通せない為後に譲るとして、現在私たちが習慣にしているビジネスの仕方では、現在のグローバル市場で生産性を上げて行く事はできない習慣だと思います。

その理由は、今のグローバル市場で生産性を高くする為に必要に成ってくる知恵を出す事や、付加価値を生み出す優れたアイデアを出す為に必要な洞察力を、私たちは論理思考を習慣としていないので培えないからです。

私たちの習慣が洞察力を培えない、目先の観えている事に意識が集中する習慣だからです。

習慣である為に、多くの人が何の疑いもなく行っているので、何時まで経っても生産性長期低迷理由も分からないのです。

習慣の恐ろしさは多くの人が行っている為全体として習慣通りになってしまう事です。

習慣を変えなければいつまでも続くと言う事で、習慣を変えなければ生産性を欧米の様に高くできないのです。

無意識に行っている事を変える以外方法はないのです。

この様な事に知恵を出せるのが私の特徴です。

ただ私が提案する事を理解でき、洞察できる様になる為には、私たちが普段行っている事や私たちの常識とはかなり違う為、私の提案する事を私たち自身が追求して考える必要があります。

私の提案を理解する為に、理解できない1つひとつの言葉の理由を欧米の様に追求して考えて欲しいのです。

質問して頂きたいのです。

なぜその言葉を使うのか、その理由を考えて欲しいのです。

論理的に考えるとはどう言う事なのか、洞察力とはどう言う事を言っているのか、どうすれば私たちが洞察力を培えるか等私が提案する事の1つひとつ言葉の理由を理解できないのと、自ら習慣を変えてみようとも思わないし、習慣を変えるモチベーションも持続できない為習慣を変える様な事ができないからです。

私たちには物事を追求して考える習慣がないので、難しい事は分からないままになってしまうのです。
解決できないのです。

まだ私の提案が広まらない理由はあります。

私が無名で実績がない事です。

私の提案の様な考えた事もない事の私たちの判断は、言っている論理、理由が分からないのですから、地位や実績で判断する以外ないのです。

又分からなければ、追求して考え分かる理解できる様に努力すればよいのですが私たちは、実績がない人や有名ではない人は無視してしまうのです。

私は現在の考えに至るまで二十数年掛かっています。

その間地元の人に、色々考えをアプローチしましかが、受け入れて一緒にやってみようと言う企業はありませんでした。

その度に、私のどこがいけなかったのかと考え続けて現在の考えに至りました。

その為、私たちの物事の理解と、私が考えた事に乖離ができてしまいこの様な提案法になってしまいました。

私たち日本で結果を出す為には、私たちが考える少し上の、私たちが理解できる少し上の提案をするべきでしたが、どうも私はそこの所を、私が置かれた環境が許さなかった事と、私の考えが足りなかったので受け入れて貰えないと判断した上を、上を考えてしまったのでこの様な私たちの習慣では理解し難い提案になったのです。

ただ言える事は、今まで解き明かした物事の論理を使えば、今まで以上に優れた効果ある事ができますので、今まで行ってきた事は無駄だとは思いません。

以前では考えもしなかった、習慣まで変えようと言う提案になってしまいました。

しかし、私たちの習慣ではこれぐらいの事をしないと、生産性を上げる事はできないと思います。

「私たちは、例えば論理的に考える事はよいとは知っているのに、論理的に考える事を実現する為に自分を変えたり、実現する為に新たな習慣を取り入れたり、なぜできないのか?」

私たちには知識欲がある為、色々な優れた事を知っています。

しかし現実には優れた事をできる訳ではありません。

なぜ、知っているのに優れた事をできないのでしょうか?

色々な理由が考えられますが、1つは本質を通して優れた事を理解できないので、行動すべきか否かが曖昧に判断しています。

その上権力格差が今でも存在しますので、私たちは感情優先で物事をしています。

その為すぐに結果が出せるものは行動しますが、手間暇かかるものは避けてしまう習慣だからです。

論理思考で結果を出す為には、手間暇かかります。

その為よいとは知ってはいても行動しないのです。

知ってはいても自分を変えられないのは、私たちが感情優先で一生懸命やる事だけを考え、無意識と言うより意識をコントロールする余裕がないからではないでしょうか。

私たちの習慣は、何ができるか?を追求して、どうできるかを追求しない習慣の為、とにかく人がやらない事できない事を知る事でできる様にする、行動する事を重視しています。

ここには、どうできるのかの視点がないので、とにかく高度な事をできる様にしようと知識を増やし、できる様になる為に一生懸命行動しているのです。

この私たちの習慣は、あまり考えなくても、物事を覚えると言う行動力があればできる習慣です。

その為私たちは、違う視点で物事を観る様な新たなものの見方を変える様な事や、気づきを多くする為に観方を変える様な事等は殆ど行いません。

違う視点で観てみようと言う意識が生まれるほど、目に見える事に意識が集中する観方をしている私たちには心に余裕が生まれないので、一生懸命働き行動をする事だけを考え、集中して取り組んでいるのです。

私たちの習慣は、物事を覚える様な行動しなければ、何も生まれない習慣です。

この習慣では、物事を俯瞰視する事も苦手になってしまうのです。

私たちはどう言う訳か、物事の裏側など目に見えないものは追求して考える事のない習慣です。

この事はかなり以前からフェルミ推定やアナロジー思考で有名な細谷功氏が、私たちは線を引いて考える、との表現で指摘している事です。

目に見えない事は意識をする事が殆どない私たちの習慣では、違う視点で観てみようとは思わないのです。

私たちの習慣は、論理を積み重ねて高度にして行く習慣ではなく、その都度知識を増やしてできる様にする事が目的で努力する習慣です。

論理思考の基本は、解き明かした論理を基に更に上の論理を解き明かす事ですから、今まで解き明かした論理が活きる方法である事と、仮説的に物事を捉えられる様になるので、今までの経験や知識を活かせ、その仮説を解明できれば、高度な事他所ではできない事ができる様になるのです。

又仮説が考えられる様になると、早く物事の論理を解き明かせる様になります。

なぜなら、仮説と言う、可能性が高い視点で意識を持続し易くなるからです。

論理の積み重ねとは分かり易く言うと、過去に解き明かした理由を使ってその上の理由を解き明かす事です。

つじつまが合っているので積み重ねに無理がなく、過去の経験が活きるのです。

その為論理の積み重ねができてスキルが積み上がって行く、今までの知識や経験が活きる、より高度な論理を作れるのです。

私たちは論理的に考える習慣がないので高度な論理を作れない為、1つひとつの知識を勘で選択するので、記憶する知識間にあまり関係性がない為、1つひとつ手間を掛けなければできる様にならない、長いスパンで考えると無駄やよけいな事が多い効率的とは言えない愚かな習慣なのです。

なぜ愚かな習慣と思うかは、1つは1つひとつできる様になる為には手間暇をかけているのに、他社が真似できない事は殆どできません。

1つは私たちの習慣では差別化を生み出す事ができない習慣だからで、長期視点で観ると私たちが行っている事は無駄やよけいな事が多く、効率的効果的ではない事を多く行っているからです。

「論理思考が与える影響」



上図は、論理思考を習慣にするか否かで、生産性を始めとした物事が、どう変わって行くかを、私たちの習慣と、欧米で行っている事の違いをマインドマップ化したものです。

私は、私たち日本の生産性が長期間殆ど上げられなかった事や、格差社会が多く存在する事や、終身雇用の様な今では市場に合わなくなった事が多くある原因は、私たちが、論理的に考える事を基礎としていない事が原因だと思っています。

この原因を取り除くには、習慣を論理思考が身につく習慣に変える必要があります。

なぜなら、私たちが何の疑いもなく行っている習慣が、論理思考をできない理由だからです。

習慣である為に、多くの人が論理思考ができない影響を受けるので、日本全体が大きな影響を受けるからです。

そこで、最初に次に説明している私の提案の要約を読んで頂き、どう感じるかを観て頂きたいのです。

私たちは後で説明している反応をしているのではないでしょうか。

私たちの習慣を変えなければならない理由に気づくのではないでしょうか。

「私の提案の要約」

私たちは、自分で行っている習慣を疑う事をしないと思うので、これから説明する事を気づかないと思いますが、生産性の高い欧米と比較すると、私には以下で説明する様に私たちの習慣は思えます。

私たちの習慣は、目に見えるものを注意深く観ていて、目に見えないものは意識する事もないので、目に見えない物事の裏側などを追求して考える事をしない習慣です。

又問題解決法が、自ら問題の論理を解き明かし、問題の原因を突きとめ解決策を考えるのではなく、解決できそうな知識を他から探してきてその類推で問題を解決する方法です。

私たちの習慣は、考える事をあまり行わない、特に自ら物事の論理を解き明かす事のない習慣です。

この習慣では、現在のグローバル市場で生産性を高くする為に必要になってきている知恵を出す事や発想力を発揮して新たな付加価値を生み出す事はできません。

なぜ、知恵や発想力を発揮できないかと言うと、知恵や発想力を発揮する為の基礎になる、優れた判断ができる様になる洞察力を私たちの習慣では培えないからです。

そこで、どうすれば洞察力を私たちが培えるかを考えた結果見つけ出した事が、物事を追求する様に考える効果がある質問をビジネスの中で多用する事で洞察力を培い、知恵を出す事や発想力を発揮して生産性を上げようと言う提案です。

上記した私の提案の要約を読んで、私たちはどう反応するでしょうか。

私が望む反応は、どう言う事を言っているのか、詳しく説明してくれの反応で、分からない事を質問して頂きたいのです。

なぜならここで説明した事は、私たちには意識した事も考えた事もない追求して考える事のない事を説明しているので、この説明だけで私が言わんとしている事を図れる、洞察できる人は殆どいないと思うからです。

例えば、洞察力のイメージを持っている人は、私たちには殆どいません。

ネットで調べても、見えているものを手掛かりに本質を見抜く力とか、未来を予測する力とか説明しているだけで、この説明は、洞察力の一部であり、どうすれば洞察力を培えるかの説明がされていませんので、私たちには、洞察力とはどう言うものかの概念が掴めません。

この要約の重要な要素である洞察力の概念が分からないのでは、私の提案は絵にかいた餅になってしまうのです。

ただ言葉で説明した事を記憶するだけになって、実際に生産性を上げる事はできません。

現実はどうかと言うと、私がネットでアプローチしても無視されるだけで、何の反応もありません。

その理由は、私が無名でなんの実績もないからです。

私たちは、私の提案の要約の様な説明を見通して理解できませんので、どんなに有益な事を言っても、地位も実績もない人の言う事は信用しないのです。

自ら説明内容で判断できないのです。

こう言う習慣も、画期的な事を起こせない習慣になってしまい、何時まで経っても生産性の低迷理由すら分からないのです。

私たちの習慣は、理解できない事を理解しようと言う気持ちがなかなか持てない習慣なのです。

なぜなら、私たちは論理的に物事を考えていませんので、難しい言葉が多く出てくるものは、どこの部分が分からないのかを分からないからで、どんな質問をすれば分かる様になるかが分からない習慣だからです。

論理的に常に考えている人は物事を論理的な関係性で理解していますので、どこの部分が分からないかを分かるので、質問する事で補えるのです。

私たちの習慣は難しい事は、手も足も出なくなってしまうのです。

ただよさそうだ、との思いで記憶するだけで満足してしまう習慣なのです。

もっと分かろうとして自ら追求して考え行動しないで、様子見的に周りの状況の反応を待っている習慣なのです。

その原因は、私たちが論理思考を身につけていないからです。

私たちの習慣が、他からの知識を得る事でできる様にする習慣だからです。

自ら分からない事を追求して考えない習慣だからです。

この習慣では、誰も考えない事を言っても、地位や実績でしか評価できない私たちの習慣では、私の提案を無視する事しかできないのも理解できますが、この習慣では画期的な事はできないのです。

真のイノベーションは起こせないのです。

又この様な私たちの態度は上司が、部下のイノベーションに繋がるアイデアを無視する事しかできない習慣になってしまうのです。

真に優れた社員を、活かせない習慣なってしまうのです。

格差社会があるのと同じになってしまうのです。

「なぜ、論理思考を前面に出して提案しようと思ったのか?」

私たちは、論理思考が良いとは分かっていても、物事の論理を自ら解き明かす様な考える事を殆どしません。

その為に、上図を観て頂ければ分かる通り、洞察力が培われず知恵を出す事も発想力を発揮する事もできない事が、生産性が長期間低迷してしまった原因と思えるからです。

欧米を観れば分かる通り、論理的に企業を作っているか、社会システムを作っているか否かが、その国の生産性に大きな影響を与えるからです。

論理思考力が私たちに身についていれば、生産活動で今ではグローバル市場で必要になっている知恵を出す事や発想力を発揮できるので、生産性を上げる事ができます。

なぜなら、論理思考の徹底は、洞察力を培い、知恵や発想力の基礎として働くものだからです。

しかし私たちの習慣は、私たち日本の歴史や風土が論理思考を必要ないと判断した習慣の為、今では論理思考が必要とは分かっていても、論理的に考える事が習慣になっていないのです。

その理由は2つあると思います。
1つが論理思考で結果を出す為には、手間暇かけなければ、特に初期の頃手間暇かけなければ結果を出せないからです。

2つ目は、どこまで論理思考力があるかを、計れない事です。

なぜ、論理思考力を計れないとダメかと言うと、一つは努力目標を持てないので論理的に考える事を止めてしまう事。

一つは、適材適所に人財配置ができない事です。

しかし今後のグローバル市場は益々知恵や発想力を必要としてきています。

知恵や発想力を生み出す基礎は洞察力です。

私たちも洞察力を身につける必要性に迫られてきているのです。

洞察力を身につける為には論理思考力が身についていないと、物事の論理を自ら解き明かせる様にならないと、洞察力は身につかないのです。

私たちの習慣を振り返れば分かる通り、私たちの習慣は論理思考ではなく知識を増やす問題解決法ですから、今後私たちが、論理思考ができるか否かが、日本の生産性に大きな影響を与えてくるのです。

論理思考力を身につけば生産性を上げられるなら、例え手間暇かけても論理思考力を身につけるべきなのです。

私たちは論理的に考える事をあまりしませんので、こう言う事を論理的に考え理解できないのが私たちの習慣なのです。

幸い私は、論理思考を私たちに身につけるスベを分かっていますので、私たちに論理思考力を身につけさせる事ができます。

なぜ、今まで誰もやっていなかった事をできるのか?ここを説明します。

私たちの習慣は、必要と思う事を論理的に考えて導き出すのではなく、勘で必要と感じた事を説明している知識を探し、その類推で解決するか行動する事で解決する習慣です。

私たちの習慣は長期間権力格差があった為感情優先で物事をするので、一生懸命働かなければと、無意識に一生懸命働く事だけを優先して働いています。

無意識に一生懸命働く事だけを行っている習慣では、習慣を変える様な事はできません。

変えようと努力しても、無意識に働いていたのでは、元の習慣に戻ってしまいます。

私は、無意識に働いている人達でも習慣を変える方法を考え出したのです。

習慣化とは慣れですから、慣れるまで他の方法で慣れさせ、慣れてしまえば習慣化できてしまうのです。

習慣化できれば、無意識にできる様になるので、結果を出せるのです。

私は私たちの習慣を変えて、論理思考力を私たちに身につけさせる事ができます。

私たちが考えるは、得た知識の類推的な考えるであって、自ら物事の論理を解き明かす考えるではありません。

その為普段から論理的に考えている訳ではありません。

時々論理理的に考えても、論理思考効果は出せないのです。

ここの所を私たちは論理思考を普段していないので分からないのです。

論理的に考えれば、すぐに結果が出せると思ってしまうのです。

論理思考は、誰でも知っている論理しか分からないのでは差別化できない為、論理思考効果を生み出せないのです。

論理思考効果を出したいのであれば、誰でも知っている論理を基に、その上の論理を自ら解き明かし、それを繰り返す事で高度な論理を分かる様にし、他所では解き明かす事も洞察する事もできない高度な論理を作れた時差別化を生み出せるのです。

その為、結果を出す為に、特に初期の頃に手間暇かけなければならないのです。

なぜ、初期の頃は結果を出せないかと言うと、物事の解明理解は一機に進むことはありません。

その為、現在の問題を解き明かせるレベルに論理思考力をしないと、論理的に考える効果が出せないのです。

上で説明した、私の提案の要約で説明している事の理解が、少し進んだのではないでしょうか。

この様な事も、私たちは論理思考が身についていませんので分からないかも知れませんが、時々論理的に考えても結果が出せない為、論理思考は手間暇が掛かりすぐに結果を出せないので、論理的に考える事を止めてしまうのです。

他からの知識でできる様になる方が、簡単にでき結果を出せるからです。

しかし論理思考をしなければ得られないものがあるのです。

それが、解き明かした論理を基に更に上の論理を解き明かす事を繰り返す事で、他者では理解できない、洞察できない高度な論理を作れた時です。

私の提案の要約は、普段考えた事もない論理を言っているので、私たちにとって洞察できないものになる為、洞察できる様に質問をして頂きたいのです。

まだ論理思考を私たちが行わない理由はあります。

論理思考力は計れないと言う事です。

そうすると、努力しても効果があるか否かが分からないので、初期の頃は特に努力効果を認識できなくなり、手間暇かかるので止めてしまうのです。

私は論理思考力を色々な所で観ています。

究極的には、生産性を上げられるような、今まで出来なかった知恵が出せたり、アイデアを考え出せたりする事で観て行きますが、その途中でも、論理思考効果を計るものを持っています。

論理思考を継続してする様になった初期の頃は、私の場合は質問を通して物事を解き明かす事をしますので、深く追求する様に考える様になった事を自覚出来るか否かを、又解き明かす為の意識を継続して持てるか否かをクライアントに質問する事で確かめます。

又、クライアントが、質問が増えたか否かでも観ます。

これで、普段どう考えているかを知るのです。
進捗状態チェックをしている訳です。

又別の所で説明している、洞察力を培うにはどんな質問をすればよいか、を観て頂ければ分かると思いますが、どんな質問を考えられ、どう洞察ある事を答えられるかでも進捗状況を観ます。

どう洞察力を判断するかと言うと、説明している事の根拠を正す質問をするのです。

難しい難しくないは別にして、根拠を示せないのは、自ら物事の論理を解き明かしていない証拠です。

ある程度慣れてくると、何か問題が起きるとこの問題はこうではないのか?と仮説的な捉え方ができる様になります。

これも論理思考がどこまで進んでいるかを見分ける指標になります。

初期の頃は、なかなか仮説が立てられなく、ある程度物事を関係性で繋がって理解しないと、仮説は立てられないのです。

この判定も、問題がどのレベルの、簡単な問題か難しい問題の仮説かで観て行きます。

これらはいずれも、論理思考をしている指標になるのです。

仮説思考ができる様になってくると、次に分かる兆候は、今まで見通せなかった事を見通せる様になります。

これ、これこうすれば、こう言う結果になる確率が高い、と考えられる様になります。

更に論理思考に上達してくると、他人が見通せない事を見通せる様になります。

なぜ、見通せる様になるかと言うと、論理を追求しているとなぜそうなるかの理由を分かってきているからです。

この頃になると、他人からユニークな人、他者とは何か違う人と見られる事が増えてきます。

又適切な判断ができる様になり、判断した結果が後になり分かるので、少し長いスパンで観ると、知恵に繋がる事を行っている事に気づくようになります。

最終的には、論理思考が身についたと思えるのは、他人の判断の欠点に気づいたり、常に優れた物事の取捨選択を通して、他人が考え出せない知恵を出したり、優れた付加価値を生み出すアイデアを考え出せた時です。
差別化を生み出せた時です。

この様な指標を通してクライアントを観て行けば、クライアントが気づかなくても論理思考効果を観られますので、クライアントと対話を通して見て行けば、私は論理思考効果を観られますので、会話を通してアドバイスすれば、習慣化し易いと思います。

又クライアントも気づきが多くなるなど、メリットを感じられる様になるので、論理思考を続けようと言う動機も持てる様になるのではないでしょうか。

クライアントとの会話の中では、クライアントが上記した事の分からない事や行きづまっている事はどこですかと聞いたりして、解けない問題を分解して理解している論理まで下げて考える事で、物事の論理を解き明かす考え方を学ぶ事で、論理思考で結果を出せる様にして行きます。

私は、どう考えれば洞察力がつくかを理解しています。

先ほど紹介した、論理思考を身につける為に、どんな質問を多用すれば良いかを、観て頂ければご理解頂けると思います。

又洞察力とは、目に見えている事から本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない裏側などのメカニズムや関係性、本質や原因等物事を支えているものの論理を解き明かす事で、優れた物事の取捨選択を通して物事1つひとつを見極めて、物事を見通した判断力であり、物事を見通した先を予測する力、と詳細に定義しています。

この定義と照らし合わせて現在の自分を観れば、何ができていなく何ができている、と判断できますので、洞察力を培う指標になる為、身につけて行けるのではないでしょうか。

これらの指標で私たちの状況を観られれば目標も設定できますので、目標に向かって努力する事で洞察力を身につけて行きます。

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