御社は論理思考を説明してくれ、と言われたらどんな説明をしますか?
なぜ、こんな質問するかと言うと、私たちは論理的に考えろ!と言われてきたと思うので、論理的に考える事がよい事は知っています。
しかし、論理的に考えて結果を出している人や組織はほんの僅かな人や組織です。
なぜ、論理思考がよい事を知っているのに私たちは論理思考をして、優れた結果を出せないで、知識ばかり増やす事しかしないのでしょうか。
私と御社の論理思考の説明を他人が聞いて、どちらが論理思考をしようと思い、行動に移し結果を出せる様になるでしょうか。
試してみませんか?
ここで論理思考とはどう言うものか?を御社が考えて欲しいのです。
納得行くまで考えたら、私が解き明かした 論理思考とは何か、と比較してみてください。
御社はどう思うでしょうか。
なぜ、この様な試みをするかと言うと、私たちはよい事でも、あまり自ら考えていない事を分かって欲しいからです。
仮に優れた答えをだしても、自ら考えたものでなければ実際によい結果は出せないと思います。
私は、自ら追求する様に考える事で、論理思考とは何か、の答えに至りました。
ここの違いを分かって欲しいのです。
私たちは現実を観れば分かる通り、今グローバル市場で生産性を欧米並みに高くする為に必要になってきている、知恵を出す事や付加価値を生み出す発想力を発揮できません。
その理由は、私たちの習慣にあると私は判断しています。
なぜ、私たちの習慣では知恵を出す事も発想力を発揮する事もできないかと言うと、私たちの習慣が論理思考を基礎としていない為、自ら物事の論理を解き明かす事のない、他からの知識を得る事で問題を解決する方法を取っているからです。
私たちの習慣では物事の優れた判断を生み出す力、先を予測する力である洞察力を培えない習慣だからです。
私の提案は、知恵や発想力の基礎として働く洞察力を私たちが培う為に、物事を追求する様に考える質問を考えクライアントに質問する事で、クライアントが追求する様に考える事で、クライアントに洞察力を培って頂くと言う提案です。
クライアントが質問を受けて自ら物事を追求する様に考える事で、クライアントに洞察力を培って頂き、クライアント自身が生産性を上げる為の優れた判断ができたり、先を予測できたりする様にしようと言う提案です。
私は、私たちには理解している人が殆どいない、どうすれば私たちが洞察力を培えるかを理解しています。
その理解した事を使って、どんな質問をいつすればよいか、など適切にアドバイスができます。
このHPを読み進めて頂ければ、なぜそんなことができるかが、理解できると思います。
私たちは、無意識に一生懸命働く事だけを考えて行動する事が多いので、考え方の習慣を変える様な事はできないと思います。
これを他人から質問を受ける事で、ビジネス等を追求する様に考える習慣をつけて行こうと言う、私たちでもできる方法で習慣を変えて行こうと言う提案です。
なぜ、論理思考を徹底させて洞察力を培う必要があるかと言うと、私たち日本には、欧米には少ない格差社会が多く存在したり、終身雇用の様な今では生産性に悪影響を与えてしまう習慣が多く残ったりしている理由が、私たちが論理的に企業経営を行う事や論理的に社会システムを作れないからです。
論理的に企業経営を行ったり、論理的な社会システムを作ったり、論理的な人間関係を作る為に必要な洞察力を、物事を追求する様に考える質問を他人からして貰う事で培い、知恵を出したり、発想力を発揮できる様にして生産性を上げて行こうと言うのが私の提案です。
私たち日本の生産性は、他国が上がっているのに、日本だけが生産性の長期低迷を招いてしまいました。
これには深い訳があると想像できるのですが、その訳を私たちは追求して考えません。
なぜ、私たちは生産性の長期間低迷理由を追求して考えないのか?
この訳は私たちの習慣が、物事の裏側など目に観えないものは追求する様に考える習慣がない事が理由と考えられます。
私たちの習慣は自分を振り返ってよく観て頂ければ気づくと思いますが、目に観えるものと知っているか否かに意識が集中し、目に観えない物事の裏側などは意識して追求する様に考える事のない習慣です。
私たちの習慣は、生産性を欧米並みに高くする為に必要なグローバル市場で知恵を出す事や、付加価値を生み出す発想力を発揮する事が現実を観れば分かる通りできません。
なぜできないかと言うと、私たちの習慣は、グローバル市場で知恵を出す為の基礎として働く、発想力を発揮する為の基礎として働く洞察力を培えない習慣だからです。
私たちには馴染みのない洞察力を培う為には、物事の裏側など目に観えないものを追求する様に考えない、表面的な観方をする習慣では洞察力は培えないのです。
洞察力を培う為には、私たちの習慣では行っていない、物事の裏側など物事を支えているメカニズムや関係性、本質や原因などを自ら追求して考え解明する必要があります。
私たちの習慣は、物事の裏側など目に観えないものを追求する様に考える事を行わない習慣なので洞察力を培えなくなり、知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできないので、生産性を上げられないのです。
そうすると生産性を上げる為に必要な洞察力を、私たちがどう培うかが問題になります。
この答えは、私たちの習慣を、物事の裏側など目に観えない物事まで、追求する様に考える習慣化をすれば洞察力は培えます。
そうすると、どうすれば私たちが、物事の裏側など目に観えない物事まで追求する様に考える習慣化ができる様になるかです。
私たちは、知識を増やせば物事を洞察できると錯覚しがちですが、私たちは知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできない事から、洞察力は身についていません。
洞察力とは、物事を見通す事で見えているものから本質を見抜く力であり、優れた判断を生み出す力であり、先を予測する力です。
私たちの習慣では、今までの実績から、洞察力はないと思います。
習慣化とは慣れです。
追求する様に考える効果のある質問を他人からして貰っても私たちは、追求する様に考えます。
普段から、ビジネスなどを追求する様な質問を上司や他人から質問して貰うのです。
この環境に置かれれば、否が応でも考えざるを得なくなり考えます。
これを続ける事で、追求する様に考える事に慣れて行くのです。
慣れてしまえば、習慣化できるのです。
なぜ、習慣化が必要か
と言うと、論理思考で結果を出す為には、自らビジネスで行っている論理を解き明し続け、現在の問題を解決できるレベルに論理思考力を上げて行かないと、論理的に考えて結果を出せないからです。
その為には、論理思考を習慣化して、物事を追求する様に考える習慣化が必要になるからです。
追求する様に考える事を習慣化できれば、洞察力が徐々に培われ、物事の洞察を通してビジネス等を観られる様になるので知恵ある事ができる様になって行きます。
良し悪しは別にして、私たちの習慣をこのまま続けて行くと今後どうなって行くかを、ここ30年の状況では、考える必要があるのではないでしょうか。
なぜなら、ここ30数年で、国力の衰えを感じる事が多くなってきているからです。
このまま私たちの習慣を続けてよい所を伸ばしていって国力を回復する事ができるでしょうか。
それとも痛みを伴う習慣を欧米の様に論理思考に変えて、欧米の様な知恵ある国にして行くかを選択する問題だと思います。
たかが生産性を上げる事だけを言っている訳ではありません。
私たちが今まで努力しても上げる事ができない生産性は、国の総合力と言ってよいもので生産性を上げる為には企業、行政、社会システム、私たち1人ひとりの物事の捉え方考え方が、論理的か否かが影響している訳です。
この影響力の大きい習慣を論理思考に変えれば、欧米の様な企業、行政、社会システムを始めとして1人ひとりの物事の捉え方考え方が論理的になり、生産性を上げられる論理思考に徐々にですが変えて行けます。
私たちに論理思考が身についてくると洞察力が徐々に身についてきて、生産性を上げる事ができる様になります。
少なくもリーダーには、論理思考を身につけて頂き、従業員はリーダーの言う事を受け入れられ、行動できる様にする必要があります。
どちらを選択するかは、少し長いスパンで観れば判断できると思います。
論理思考を私たちが身につけられない事には理由があります。
簡単に言うと論理的に考えてもすぐに結果を出せないのです。
論理思考で結果を出す為には、ある期間論理的に考え続け、現在の問題を論理的に理解し、解決策を考え出せないと結果を出せないのです。
また、論理思考力を計る事ができない事です。
これらの問題も私は解決できます。
論理的思考をネットで調べると、物事を体系的に整理したり道理に沿って筋道を立てて考えるとか、物事を結論と根拠に分けて論理的な繋がりを捉えながら物事を理解する事、等と説明されています。
私はもっと論理的思考を積極的に捉え以下の様に定義しています。
論理的思考とは、世に中にある自然に起きる事や私たちの自然な反応などの法則や物事の本質に則って、つじつまが合う様に理想を追う考え方です。
論理的思考をする目的は、相手に分かり易くする事やコミュニケーションをよくする事だけでなく、理想に近づける事を考え出す事だと私は思っています。
その為に私が推奨する論理的思考は、どうすればもっと良くなるか?を常に問う思考法です。
論理的思考で優れた結果を出す為には、世の中にある法則を理解する必要があり、物事の本質を考える必要があり、その上にどうすればもっと良くなるか?を筋道を立てて考える事で、相手が納得行く様に結論と根拠を示し、説明できる様にする事です。
論理的思考を日常から行っていれば、これらの事を日常から行っているので自然に洞察力が培われる行為を行っている為、優れた判断や先を予測する力がつくので洞察力も培われるのです。
その為洞察力を培える様に、物事の論理を自ら解き明かせる力が論理的思考には必要なのです。
又、物事の本質に沿った考えでなければ、ただの理想になってしまうので、物事の本質に則った考え方をしなければ考えた事が実現化できない訳です。
論理的思考には演繹法と帰納法があり、演繹法はつじつまを合わせる考え方で、例えば自然現象に合う様に、世の中の事実と合う様に、私たちの自然な反応に合う様につじつまを合わせる考え方です。
帰納法は、物事の共通点を見つけ出す考え方で、観察的帰納法と洞察的帰納法があり、私たちは洞察的帰納法は目に観えないものを追求して考えないので苦手にしています。
つじつまが合っているので無理がなく、1つの論理を解き明かせれば、その論理を使って更に上の論理を解き明かす様な論理を解き明かし続けて、高度な誰も解き明かした事のない論理を解き明かせれば、誰も気づいていない発見的な事ができます。
この高度になった論理は、他社がその論理を使っても、自ら解き明かした人の様には論理的思考効果を出せません。
その理由は、言葉で表した1つひとつの言葉の理由を説明していない場合のが多いので、理由が曖昧だからです。
又私たちの視点は身近な所にある為俯瞰視が苦手であまり行わないので、帰納法的な観方は、目に見えるものしか共通点を見つけ出す事ができません。
構造的類似性や関係性が似ているなど物事を俯瞰視して包括的に物事を理解しなければ気づかない物事は、私たちは見つけ出せないのです。
私たちの苦手なシステム思考との関係は、論理的思考を習慣にしている人は常に物事の論理を解き明かしている訳ですから、物事の関係性を把握できる為、関係性で捉える必要があるシステム思考は常に関係性で考えているので身についてくるのです。
論理的思考の特徴は、論理的思考を継続して行い高度なって行く論理でなければ、自ら物事の論理を積み重ねた論理でなければ、基礎になる論理(理由)を分からないので高度な論理を使う場合上手く使えなく、優れた論理的思考効果が出せない事です。
論理的思考で優れた結果を出す為には、世の中の法則や物事の本質を理解する必要があり、その上でどうすればもっと良くなるかを追求する事で洞察力を培い、その洞察力を使い物事の判断や先を予測する事で優れた結果を出せる様になるのです。
私たちの様に、論理的思考を普段から行っていないのでは、法則や本質も十分に理解できず、理想を追う考え方もしないので論理的思考で優れた結果を出せないのです。
自ら論理を解き明かし続けたものでなければ高度な論理で優れた結果は出せなと言う事です。
私たち日本がIT技術や経営手法使う場合、欧米の様な生産性を上げられない調査結果がある事からも、この事は証明できると思います。
私たちの様に、言葉で表した高度な知識で物事を行っても、優れた結果は出せないと言う事です。
なぜなら、言葉で表したものでは1つひとつの言葉の理由が曖昧だからです。
論理的思考にはこの様な性質があるので、高度な論理を自ら作れれば、他社が理解する事も洞察する事も真似する事もできなくなって差別化を生み出せるのです。
企業活動で利益を多くする為には差別化が必要で、その差別化は論理的思考を続ける事で得て行く方法が一番有効なのです。
論理的思考には、こう言う性質がある為、少しぐらい論理的に考えても差別化できる様な結果はだせません。
論理的思考で優れた結果を出す為には、論理的に考える事を継続して行い、物事の論理が広く深く繋がって理解出来た時に、物事を洞察した判断ができる様になるので、優れた結果を出せるのです。
私たちが論理的思考を殆ど行わないのは、論理的に考えても、すぐに論理思考効果を出せないからです。
現在の問題を解決できるまで論理的思考力を上げないと、論理的思考で結果を出せないのです。
その為に論理的思考を始めた初期の頃には結果が出せない上に、論理的思考の基本は自ら物事の論理を解き明かす事ですから手間暇かかるので止めてしまうのです。
私たちが良いとは分かっていても論理的思考を行わない理由はもう1つあります。
それは、論理的思考力を計る事ができない事です。
論理的思考をしても、効果があるか否かが本人は分からない、と言う事です。
論理的思考で結果を出す為には時間が掛かりますので、進捗状況を把握できないと、目標を失い論理思考を止めてしまうのです。
論理的思考効果が分かる様になるのは、他人が出せないアイデアを出せたり、他人が判断できない事を適切に判断できたりした時ですので、そこまで行くには時間が掛かかる為止めてしまうのです。
私はこの件に関しても解決策を持っています。
ただ上記した様に、論理的思考でなければできない事があり、それが差別化を生み出し、利益を多くでき、問題毎にいちいち知識を増やす様な手間をかける必要がないので結果的には効率的になるのです。
なぜ、論理的思考を御社に説明してくれ、と言ったかお分かり頂けたのではないでしょうか。
御社の説明で論理思考をして見ようと思って貰い、継続して論理的に考えられる様になるでしょうか。
なぜなら、継続して論理的に考えなければ差別化できる様な優れた結果を出せなく、論理的思考は手間暇かかるので止めてしまう場合が多いからです。
ここまでの説明で、論理的思考とは何か、の外角は掴めたのではないでしょうか。
この外角を掴めれば、何をすれば論理的思考力が身につくかがある程度分かると思います。
物事を追究して考える、物事の論理を自ら解き明かす事の効果の一端がお分かり頂けたのではないでしょうか。
例えば言葉で表した事の理由が分かると、どうすればよいかがある程度は見通せるのです。
私たちの習慣である知識をいくら増やしても、なぜ、そうなるかの理由が曖昧なので、どうすればよいかを見通せないのです。
私は、この考えに至るまでに何回も試行錯誤をして、現在の考えに至りました。
その度にアプローチの仕方を少しづつ変えてアプローチしました。
私の考えを更に理解を深める為に、是非ご覧ください。
最初は、今回をアプローチの直近のアプローチです。
私は論理的思考力を色々な所で観ています。
究極的には、生産性を上げられるような、今まで出来なかった知恵が出せたり、アイデアを考え出せたりする事で観て行きますが、その途中でも、論理的思考効果を測るものを持っています。
論理的思考を継続してする様になった初期の頃は、私の場合は質問を通して物事を解き明かす事をしますので、深く追求する様に考える様になった事を自覚出来るか否かを、又解き明かす為の意識を継続して持てるか否かをクライアントに質問する事で確かめます。
又、クライアントが、質問が増えたか否かでも観ます。
これで、普段どう考えているかを知るのです。
進捗状態チェックをしている訳です。
又別の所で説明している、洞察力を培うにはどんな質問をすればよいか、を観て頂ければ分かると思いますが、どんな質問を考えられ、どう洞察ある事を答えられるかでも進捗状況を観ます。
どう洞察力を判断するかと言うと、説明している事の根拠を正す質問をするのです。
難しい難しくないは別にして、根拠を示せないのは、自ら物事の論理を解き明かしていない証拠です。
ある程度慣れてくると、何か問題が起きるとこの問題はこうではないのか?と仮説的な捉え方ができる様になります。
これも論理的思考がどこまで進んでいるかを見分ける指標になります。
初期の頃は、なかなか仮説が立てられなく、ある程度物事を関係性で繋がって理解しないと、仮説は立てられないのです。
この判定も、問題がどのレベルの、簡単な問題か難しい問題の仮説かで観て行きます。
これらはいずれも、論理思考をしている指標になるのです。
仮説的思考ができる様になってくると、次に分かる兆候は、今まで見通せなかった事を見通せる様になります。
これ、これこうすれば、こう言う結果になる確率が高い、と考えられる様になります。
更に論理的思考に上達してくると、他人が見通せない事を見通せる様になります。
なぜ、見通せる様になるかと言うと、論理を追求しているとなぜそうなるかの理由を分かってきているからです。
この頃になると、他人からユニークな人、他者とは何か違う人と見られる事が増えてきます。
又適切な判断ができる様になり、判断した結果が後になり分かるので、少し長いスパンで観ると、知恵に繋がる事を行っている事に気づくようになります。
最終的には、論理的思考が身についたと思えるのは、他人の判断の欠点に気づいたり、常に優れた物事の取捨選択を通して、他人が考え出せない知恵を出したり、優れた付加価値を生み出すアイデアを考え出せたり、話す事の根拠を全て説明できたりする時です。
又、差別化を生み出せた時です。
生産性を上げるとは
質問力とは
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