御社は論理的思考と言う言葉をご存知だと思います。
ネットで調べると、結論と根拠に分けて、論理的な繋がりで整理する事等と書かれています。
私はもっと論理的思考を積極的に捉え、論理的思考の目的まで含めて、論理的思考とは、自然現象や私たちの自然な反応などの世の中にある事実や法則、物事の本質に則って、つじつまが合う様に理想を追求する考え方、と定義しています。
論理的思考の目的は論理に合うだけでなく、如何に理想に近づけかを考える事だと思います。
その為、論理的思考が身につくと、理想に近づける考え方ができ、例えば人間関係で言えば、Win-Winの関係を考え出せたりできます。
その為、ビジネスには必須のスキルと言われています。
その論理的思考を私たちは苦手にしているのです。
他の先進国と比較すると、形で物事を判断する格差社会が多く残っていたり、総合的な判断力が問われる生産性が長期低迷に陥ったりしてしまうのです。
なぜ私たちは、論理的思考がよいとは知っていても身につかないかと言うと、論理的思考の基礎は自ら物事の論理を解明する力ですし、自ら物事の論理を解き明かす事は労力の掛かる事と、優れた結果を出す為には、特に初期の頃に手間暇かかる割には結果が出せないからです。
論理的思考で優れた結果を出す為には、自ら世の中にある物事の論理を解き明かし続けると言う、私たちが殆ど行っていない手間暇の掛かる事をしなければ論理的思考で優れた結果を出せないのです。
私たちの習慣は、問題の論理を自ら解き明かし解決しているのではなく、問題に関係する知識を集め、その知識の類推的な解決法を行っています。
私たちには、知識の類推的な新たな気づきが殆どない方法で解決している意識もなく、習慣的に問題が起きると問題を解決できそうな知識を集め解決しています。
その証拠として、私たちは問題が起きると、問題に関係があると思える事を調べてから、知識を得る事から問題解決をしていると思います。
最初から問題の論理を自ら解き明かして解決してはいないと思います。
私たちが習慣にしている問題解決法は、結果的には得た知識の類推的な考えるになってしまうのです。
自ら物事の論理を解き明かしている訳ではないのです。
なぜ、この様な事を問題にするかと言うと、論理的思考で優れた結果を出す為には、1つは自ら物事の論理を解き明かす、追求する様に考える事を習慣化する必要があるからです。
又論理的思考で優れた結果を出す為には、1つや2つの問題の論理を解き明かしただけでは差別化を生み出す様な考えが浮かばなく、多くの物事の目に観えない所まで論理を解き明かす必要があるのです。
要するに、物事を知っているのではなく見通せる洞察できるレベルまで多くの物事の論理を解き明かす必要があるのです。
私たちの習慣は、考えること自体あまり行わない、知識の類推的問題解決法です。
この習慣では、知識は増えて多くの事を知る事はできても、洞察はできないのです。
洞察力を身につける為には、物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす力が必要になるのですが、この習慣が欧米にはあって私たち日本にはないのです。
なぜ、洞察力を問題にするかと言うと、物事を洞察できないと現在のグローバル市場で生産性を上げる為に必要な知恵を出す事も付加価値を生み出すアイデアを出す事もできなくなってしまうからです。
私たちは殆ど意識した事のない洞察力があるか否かが、論理的な社会を生み出し格差社会を減らしたり、生産性を高くしたりする為に必要な市場に、グローバル市場が変化したのです。
私たちの習慣は、目に見えるものを注意深く見ていて、目に見えない物事の裏側などを自ら解明するのではなく、解明した知識を得る事で問題を解決しようと言う習慣です。
論理的思考で優れた結果を出す為に必要な、自ら物事の論理を解き明かす事を殆ど行わない習慣です。
この習慣では洞察力を培えず、知恵や発想力を発揮できなくなってしまうので、格差社会が多く残ったり、生産性が長期間低迷したりしてしまうのです。
私たちの習慣で洞察力は培えるのかが問題になりますが、洞察力を身につける為に必要な事は前記した様に2つあります。
1つが自ら物事の論理を解き明かす力を培う事で、2つ目は、その力を使って多くの物事の解明理解を深める為になぜ、どうして?と追求する様に考えて、常に物事に疑いの目を向けて、物事の論理解明を広く深くする事です。
私たちの習慣は、自ら考える事が少なく、他の知識を当てに問題を解決していますので、自ら物事の論理を解き明かす事は殆ど行わない為、洞察力を身につける為には自ら物事の論理を解き明かす力が必要な事を考えると、追求する様に考える事を大幅に増やし多くの物事を解明理解できる様にし、特に自ら物事の論理を解き明かす事を習慣化する以外、洞察力は身につかないのではないでしょうか。
洞察力が私たちに身につかないと、論理的な優れた判断ができなくなり、現在の日本の様な格差社会が多く残ったり、生産性が長期間低迷したりする状態しか作れないのです。
一生懸命長時間働いても、欧米の様な働く時間が短いのに豊かな生活ができる企業や社会は作れないのです。
私たちの習慣を行っていたのでは論理思考が身につかず、洞察力を培う事ができない為、欧米の様な私たちの判断力より論理的な、理想に近づけた判断ができないので、生産性の長期低迷を招いたり、形で人を判断する格差社会が多く残ったりしてしまうのです。
なぜ、私たちの習慣では論理的思考が身につかないかと言うと、私たちの習慣は、物事の裏側など目に観えない物事の論理を解き明かす、追求する様に考える習慣がどう言う訳かないからです。
この習慣では自ら物事の論理を解き明かす力がつかず、論理的思考を身につける事ができないのです。
論理思考で優れた結果を出す力を身につける為には、自ら物事の論理を解き明かせる力が必要なのです。
洞察力を培える習慣を身につける必要があるのです。
物事1つひとつの論理は覚え事ではなく、自ら考えて解き明かさなければ論理的思考が身につかないのです。
私たちの習慣は、他人が考え出した知識を得て、得た知識の類推で問題を解決する習慣ですから、その方法の方が楽に早く問題を解決できる反面、優れた判断ができなかったり物事の論理を積み重ねる事ができない為、高度な真似できない論理を考え出せない為、差別化を生み出せないのです。
論理思考とは、理想に近づける為に、どうすればもっと良くなるか?を考える思考法です。
しかも世の中にある法則や物事の本質に沿ってつじつまを合う様に考える考え方です。
その為、物事の本質を理解するだけでなく、1つひとつの物事の論理を解き明かす力が必要で、これを私たちの習慣は行わないので、物事を観た目と知識で判断する事になり、論理的思考を身につけて洞察力を培った人の様には優れた判断も、先を予測する力もつかず、知恵を出す事も、付加価値を生み出すアイデアを出す事もできなくなってしまうのです。
なぜ、自ら物事の論理を解き明かす必要があるかと言うと、自ら物事の論理を解き明かさなければ目に観えない所の論理は分からなくなり、現在では多くの物事がなぜ、目に観えている結果を出せるかが分からなくなってしまう事と、目に観えない所の事を情報や知識で知っても、自ら解き明かした論理の様に理由が明確になっていないので曖昧な理由しか分からない為、優れた判断や先を見通す判断ができなくなってしまうからです。
私たちの習慣は、目に見えるものを注意深く見ていて、目に観えない物事の論理には意識を向けて自ら観えない物事の論理を解き明かす事を殆ど行わない習慣である為、論理的思考が身につく事も、論理的に考え続けて洞察力を培う事もできないので、優れた判断や先を見通し予測する力がつかない為、知恵を出す事も付加価値を生み出すアイデアを出す事もできなくなり、生産性の長期低迷を招いたり、格差社会が多く残ったり、してしまうのです。
私たちの習慣では論理的思考が身につかず、洞察力も培えない事が現在の状況を生み出しているのです。
現在のグローバル市場は、私たちの習慣で得られるスキル、目に見えるものを注意深く観ていて、目に観えないものは追求して考えない、物事の論理を自ら解き明かす事を行わない習慣と、他人が考えた知識を入手して考える習慣では市場を洞察する事も、論理的思考を身につける事もできないので生産性の長期低迷などを招いてしまうのです。
私たちの習慣では、論理的思考を身につける事も、洞察力を培う事もできなくなり、現在の日本の様な生産性の長期低迷を招いたり、格差社会が多く残ったり、してしまうのです。
同様の説明を、洞察力の視点から観た説明を下記でしていますので、読んで頂ければ幸いです。
又、更に理解を深めたい、とお考えの方は、元のページに戻って読み進めて下さい。
まだ納得行かない、お時間がある方は、冒頭説明から読んで頂ければご納得頂け、私たちの習慣を変えようと思って頂けるのではないでしょうか。
私たち日本が、生産性を上げられるか否かのキーワードは、論理思考の習慣化から生まれる洞察力を培えるか否かです。
洞察力の概念を私たちの習慣では掴み難いのですが、洞察力とは多くの物事の表面的な事だけでなく、目に見えない所にある関係性など物事の内情まで見通した優れた判断力であり、先を予測する力です。
私たちが欧米の様な洞察ある優れた判断力を持っていないから、私たちの生活に大きな影響を与える生産性が長期低迷に陥ってしまったのです。
その原因は、グローバル市場がIT化グローバル化の進展で大きく変化して知恵や発想力を必要とする市場に変わったのに、私たちの習慣では知恵や発想力の基礎になる洞察力を培えない習慣である事が原因で、知恵も発想力も発揮できず、生産性の長期低迷を招いてしまったのです。
この知恵や発想力の基礎になる洞察力を、私たちの習慣を続けていたのでは培えない為、生産性の長期低迷と言う、国力まで落ちてしまう様な、色々な事に影響を与える現象が起きてしまうのです。
私たち日本は世界に誇れる優れた所がありながら、現在のグローバル市場を洞察できない他国と比較して特徴の強い習慣を行っています。
その為、洞察力を基礎とした生産性が高い欧米の様な優れた判断や先を見通した手を打てない為付加価値を生み出せず、他国が生産性を上げているのに、日本だけが生産性の長期低迷と言う成長できない状態になってしまったのです。
私たちは洞察力や論理思考の効果を意識する事もなく、気づく事もない為、私たちの愚かな習慣である物事を追求して考える事のない、得た知識の類推的な考える事しか行わない事が、長時間ストレスを抱え一生懸命働いても、欧米の様な短時間労働でも私たち日本より豊かな生活ができる、生産性の高い働き方ができないのです。
これらが起きる原因は、私たちの習慣では論理的に考える習慣が身につかない為洞察力を培えないので、グローバル市場がどう変わったかも洞察できない為、現在の市場に合わない日本独自の高度な知識を使った高度な事を行う習慣的な方法でビジネスを行っているのです。
私たちは知識欲がある為、例えばマーケティングで市場の動向を調べ、市場に合った手を打つ事が効果的である事は知っていても、私たちの習慣ではグローバル市場を洞察できる洞察力を培えないので、市場の本質も掴めず市場に対応した手を打つ事もできない事が原因で、グローバル市場を洞察できない事が、本質を見抜けない事が理由である事も気づけず、生産性の長期低迷が起きてしまったのです。
洞察力は、私たちの習慣では意識する事も気づく事もないもので、洞察力の力を私たちの習慣では概念すら掴めない為意識外になってしまい、何時まで経っても生産性の長期低迷原因も掴めず、従来の洞察できない習慣でビジネスを行っている為、生産性がいつまで経っても上げられないのです。
私たちは、新たな今流行している様な新たな取り組みを行えば生産性が上がる、と勘違いをしているふしがありますが、新たに行う取り組みが差別化を生み出す、付加価値を生み出せるものでなければ生産性は上げられないのです。
ここの洞察が私たちはできないので、何時まで経っても原因すら掴めず生産性を上げる為の手を打てないのです。
私たちの習慣は、洞察力とは縁遠い習慣である為、市場に合わせた手を打てないので、従来の習慣を続けた行動を取っているのです。
洞察力の力を私たちの習慣では見通せないのです。
洞察力のある人が判断できる事を、洞察力のない人は判断できないのが洞察力の力なのです。
しかも、その判断の良し悪しは判断した時は判断できず、時間が経つと判断の差が出る様な差なので余計私たちには判断を難しくしているのです。
この洞察力があるか否かの判断力の差が、例えばグローバル市場を洞察して適切な手を打っている欧米と、私たちの適切な判断ができないので適切な手を打てない事が、生産性の長期低迷を招いてしまう日本と生産性が高く生活の質が高い欧米の差なのです。
洞察力のある欧米とない日本の差なのです。
私たちの習慣ではなぜ、洞察力に気づけないかと言うと、私たちの習慣は、追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす事が無い習慣です。
私たちは、自ら物事を追求して考え、原因を突きとめる事を殆ど行わず、得た知識の類推的な気づきの殆どない考える事しか行いません。
この習慣では論理思考を身につけて、物事を論理的に広く深く理解する事は難しいので洞察力は培えないのです。
洞察力の基礎は、物事を論理的に理解する事です。
この物事の論理的な理解を自ら物事の論理を解明する事で広く深くして行く事で、1つひとつの物事を見極めた判断ができる様になるので、私たちの習慣である言葉で表した事を知っている事から判断する判断力とは違い、優れた判断ができるのです。
根拠と結論が明確な判断ができるのです。
まだ納得行かない、お時間がある方は、冒頭説明から読んで頂くか、元のページに戻りご覧頂ければご納得頂け、私たちの習慣を変えようと思って頂けるのではないでしょうか。
私が提案したい事は、私たちの習慣的に行っている事考えている事とは次元が違う為、私たちには理解し難い提案ですが、私たちが今まで出来なかった生産性を上げる事や格差社会を減らす事等を、できる様にしようと言う提案です。
私たちの習慣にはない目に観えない物事を追求する様に考える事や、自ら物事の論理を解き明かす事や、私たちの習慣が、他人が考えた知識を得て考える知識の類推的な考えるである事や、物事を論理的に組み立ててシステム的に考えられない習慣では、現実の今の日本の状態である、生産性の長期低迷や形や経歴で人を判断して知恵や発想力で判断しないので、生産性が長期間上げられなかったり格差社会が多く残ったりする事等の状態しか生み出せない事をご理解頂きたいのです。
今説明した事自体私たちは自覚する事もなく、この説明を読んでも何の事や!的にしか捉えられません。
私たちが普段考えた事もない次元の事を説明しているのです。
逆に言えば、異次元の事を考えないで惰性に任せて行動しているから、欧米ではできるのに日本ではできない生産性を高くする事や格差社会を減らす事などができないのです。
私が提案したい事は、現在の日本病的な非論理的な企業や社会システムが長時間労働でストレスも多い働き方をしなければならないのに低賃金で働かざるを得ない状況が起きたり、成長しない経済が影響してか少子化を生み出したり若者が挑戦しなくなったりして国力の衰えさえ起き始めています。
この現実を、欧米の様に、生産性を上げられるようにして、遣り甲斐のある夢の持てる格差社会が少ない賃金もそれなりに頂ける豊かな生活ができる社会を作ろうと言う提案です。
そんなことができるのか、と思うと思います。
異次元の説明をしているので分かり難いかも知れませんが、視点を変えて訓練を通して習慣化すればできる問題なのです。
私たちの習慣を、欧米で行っている論理的な考え方に習慣化すれば、日本も欧米の様に生産性を上げられるだけでなく、格差社会と生産性の悪さが生み出すストレスの多い低賃金長時間労働ではなく、労働時間が短いのに収入が増えるなど、欧米の様な生活の質自体を上げる事ができます。
私たちの習慣では、なぜ生産性を長期間上げられないのか、の様な私たちにとっては異次元の事を追求して考える事を行わないので、生産性の長期低迷が起きてしまうのです。
その説明を詳しくしているのがこのHPです。
私たちが考えた事もない次元の説明をしている為、現実と比較して私の説明を追求して考えて頂きたいのです。
私たちの習慣である、他人が考え出した事を知るだけで満足してしまう習慣では、殆ど他国との差別化を生みだせないので生産性も上がらないのです。
努力は必要ですが、物事の論理を自ら解き明かし洞察力を身につければ、今まで出来なかった事や他人ができない事をできる様になり、計り知れない恩恵を御社にもたらす提案なのです。
こう説明すると、何かのやり方を覚えれば今まで出来なかった事ができる様になるのかと思うかもしれません。
そうではなくて、私たちに優れた判断や先を読める力である洞察力と言う優れた判断や先を予測する力を、反復練習で身につける提案です。
私たちの洞察力が身につかない習慣では、私たちのビジネスを始めとした物事の判断が、知恵や発想力を発揮できない判断しかできない為、一生懸命ストレスを抱えて長時間働いても、欧米の様な豊かな生活はできません。
その原因は、私たちの習慣では洞察力が身につかないので、論理的な企業や社会システムを作る為の知恵や発想力を発揮できないからです。
私たちには概念が掴み難い洞察力を、私たちの習慣では培えないので、論理的な企業や社会システムを作る為の知恵や発想力を発揮できないのです。
私たちもなぜ、どうして?と企業で行っている事や例えば日本には自殺者が多い事等を考えて欲しいのです。
追求して考えて欲しいのです。
物事を追求して考え、自ら物事の論理を解き明かす力を身につければ洞察力が身につき、優れた判断や先を見通す力を通してこれらの問題は解決できる様になるのです。
私たちに欧米の様な発想力のある人が殆どいないのは、知恵や発想力の基礎になる洞察力を私たちの習慣では身につかないからです。
この様な事を私たちの習慣では追求して考えない事が、異次元の事に気づけない習慣になり、習慣を変えなければならない理由なのです。
なぜ、手間暇かけて論理思考を習慣化し、洞察力を培わなければならないのか、疑問が生まれたかもしれません。
それは、私たちの習慣ではいつまで経っても他国との差別化ができない為、ストレスを抱え一生懸命長時間働いても生産性を上げられないからで、努力に見合った賃金がいつまで経っても低い状態になってしまうからです。
私たちの習慣では現実が示す通り、グローバルレベルで観て欧米の様な知恵や発想力がないので、欧米の様な豊かな生活ができないのです。
生産性を上げるとは
質問力とは
〒400-0853
山梨県甲府市下小河原町
Mail tresor@eagle.ocn.ne.jp