ここで説明する事の意図は生産性を上げる事ですが、私たち日本がなぜ、長期に渡り国際競争力に大きな影響を与える生産性を上げる事ができないのかを説明しています。
これから説明する事は、私たちの習慣を変えようと言う革新的な事である為、私たちには抵抗を感じる提案になるかも知れません。
しかし、この説明を読んで頂ければお分かりの通り、私たちの習慣は愚かな習慣である為、このまま続けていたのでは、大きな無駄が生じてしまい、私たちの労力に見合った見返りがない働き方をしなければなりません。
一時的な苦労が将来を救うのであれば、私たちは、習慣を変える事に挑戦する価値があるのではないでしょうか。
私たちの習慣は、物事の本質や原因をあまり追求しない習慣の為、本質を曖昧に捉えていて、行動すべきか否かの判断が曖昧で、知ってはいても、重要な事でも手間が掛かるものは行動しない事が多い習慣です。
私の提案は、重要な事ですが私たちにとって手間が掛かる提案になる可能性があるので、あえて提案を十分に、本質を通して理解して行動して頂きた提案です。
なぜ、こんな事を言い出すかと言うと、私たちは無意識に物事をする事が多く、自分のやっている事を俯瞰視できる人が殆どいない為、自分の考えている事行動する事がどんな結果をもたらすかを俯瞰視できないと思うからです。
なぜ、私たちの習慣を変える必要があるのか、その理由を説明します。
このページの目的は、私たちの習慣の欠点を理解して頂き、どうすれば、私たち日本の生産性を上げる事ができるかを理解して頂く事で、習慣を変えようと思って頂く事です。
質問に答える、と言う形で説明していますので、どんな質問かを、以下に記述します。
迷った時に、読み返して頂ければより理解が深まるのではないでしょうか。
最初に読む場合は、1度続けて通して読んで頂く事をお薦めします。
Οなぜ私たち日本の生産性は長期低迷に陥ってしまったのか?
Οなぜ、現在のグローバル市場で生産性を上げ高くする為には、知恵や発想力が必要なのか?
Οなぜ、私たちは知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできないのか?
Ο洞察力とは、どう言うものなのか?
Ο洞察力と知恵や発想力とは、どう言う関係なのか?
Οなぜ、洞察力が身についていないと、知恵が出せないのか?
Οなぜ、洞察力が身についていないと、発想力を発揮できないのか?
Οなぜ、私たちの習慣では、洞察力が身につかない習慣なのか?
Οどうすれば、私たち日本の生産性を上げ、国の借金の減らしたり、国力の低下を防いだりする事などの問題を解決できるか?
Οなぜ、洞察力を培う為には、物事を追求する様に考える習慣化が必要なのか?
Οなぜ、私たちは物事を追求する様に考える事をしないのか?
Οどうすれば、私たち日本の生産性を上げる事ができる様になるのか?
Οなぜ、私たちの習慣では、洞察力を培えないのか?
Οなぜ、欧米の様に、物事の裏側まで追求する様に考える習慣化ができれば、物事を洞察できる様になるか?
Οビジネスを始めとした物事を洞察できれば、私たち日本の生産性は上がるのか?
Ο私たちに、物事を追求する様に考える習慣化ができるのか?
Ο私が、御社に提案したい事
上記した説明と同様な詳細説明を、他でもしていますので、ここ、をご覧ください。
現在のグローバル市場で生産性を高くする為には、IT化グローバル化の進展で世の中が高度化複雑化してきた為、生産活動の中で知恵を出す事や、発想力を発揮して新たな付加価値を生み出す事が必要になってきました。
しかし、私たち日本は生産性を上げる様な知恵を出す事も、付加価値を生み出す発想力もありませんので、生産性の長期低迷を招いてしまったのです。
私たちの得意な、高度な知識と微細なものを見分ける目から最先端の発見や技術開発をするだけでは、生産性を欧米の様に高くする事ができない市場に、グローバル市場が変わったのです。
他でも、市場の変化を説明していますので、ここ、を参考にご覧ください。
ここでこれから説明して行く知恵や発想力を説明しておく必要がります。
このHPで説明している知恵とは、グローバル市場で生産性を上げて行く様な、現在の私たちでは出せない難しい事に役立つ知恵の事です。
私たちが得意な、工夫改善の時に出す様なその場に役立つための知恵ではありません。
多くの事を理解しないと出せない知恵の事です。
又発想力も、グローバル市場で結果を出せる様な発想力で、私たちが普段考え出すアイデアとは違い、役立つ範囲が広く深いアイデアの事です。
ここ数十年のIT技術の世界中への普及と、テクノロジーの発達や物流網が発達した為グローバル化が大きく進みました。
これらの事で今までのグローバル市場が高度化複雑化した事が、私たち日本の強みに大きく影響したのです。
IT技術は情報化時代を生み出し、世界中どこにいても瞬時に情報が入る世界を生み出して、私たちが得意としていた最先端の技術等の情報格差がなくなってきました。
日本が得意としている高度な情報も、韓国や中国でも手に入るし、生産できる時代になったのです。
その理由は、日本の得意としていた微妙な差を見分けて作る製造技術もIT技術が代替えできる様になってきたからです。
その上、物流網の発達で、製造拠点を世界中のどこでも可能にしてきました。
そんな環境の中で、生産性を高くする為には、米国人が考え出した経営手法やIT技術。テクノロジー等を、如何に効率的に効果的に使えるかが、生産性に影響する様になってきました。
IT技術やテクノロジー、グローバル市場等を洞察して、知恵ある使い方や、新たな付加価値を生む出す事が、生産性を高くする為には必要になってきたのです。
次に説明しますが、私たちの習慣は、この知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできない習慣なので、生産性の長期低迷に陥ってしまったのです。
ここが、私たちが一番分からない所で、私はこの原因を見つけ出す事ができました。
説明が難しいのですが、原因は私たちが何の疑いもなく行っている習慣にあるのです。
私たちは、日々日常行っている習慣を、疑いの目で観る事はないと思いますので、生産性が長期間低迷して上がらない事の原因が、私たちの習慣にあるとは気づかないと思います。
しかし、生産性の高い欧米との差がなぜ生まれるのかと原因を追究して考えると、私たち多くの人が普段行っている習慣にあると判断できるのです。
現に欧米の習慣を本質的に取り入れている企業は、生産性が高いです。
この問いの簡単な分かり易い説明はありません。
なぜなら、幾重にも重なった論理、理由を繋げて理解する必要があるからです。
それでも説明してみると、私たちの習慣が、見えている事から本質や原因を見抜く力や、1つひとつの物事を包括的に理解する事で優れた判断を生み出す力、洞察力を培えない習慣だからです。
洞察力を身につけないと、現在のグローバル市場で、生産性を欧米の様に高くする為の知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできないのです。
私たちが普段意識した事もない洞察力をネットで調べると、将来何が必要になるかを予測する力とか、本質を見抜く力とか、物事の性質や原因を見極めたり推察したりするスキル等と説明しています。
私は、生産性に関係する様に説明したいので、他所でも記述している様に、洞察力とは、見えているものから本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない部分まで自ら物事の論理を解き明かす事で、物事の背後にあるメカニズムや関係性、本質や原因等、物事を支えているものを包括的に理解する事で、1つひとつの物事を見極めを通して優れた取捨選択をし、物事が有効に働くか否かを見通したり、その先を予測したりする力、と捉えています。
洞察力のある人は、物事を広く深く理解している為、物事を見通して優れた判断ができるので、知恵を出したり、優れたアイデアを出したりする事が可能になるのです。
洞察力をもっと詳細に説明した 説明文 がありますのでご覧ください。
私たちは、ここで急に出てきた洞察力なるものを考えた事があまりないのではないでしょうか。
なぜなら、私たちの習慣では洞察力を培う事はできないので、洞察力を意識する事も殆どないと思うからです。
そこで、この説明は2つの事を理解する必要があります。
1つは、私たちの習慣とはどう言うものか?もう1つは先ほど説明した、洞察力とは何か?です。
この事を理解できないと、なぜ、私の提案で知恵を出せたり、発想力を発揮できたりできるのかが理解できないと思います。
私たちの習慣とは、知恵を出せる発想力のある欧米の人達と比較すると分かるのですが、私たちは物事の目に見える違いや差などを注意深く観ていて、目に見えない物事の裏側等を追求して考える事のない習慣です。
欧米では、物事の裏側など目に見えないものまで、なぜどうして?と追求して考えます。
又、問題解決法が、自ら問題の原因を解き明かし、解決策を考え出すのではなく、解決できそうな知識を探して、その知識の類推で問題を解決するか、解決できるコンサルタントなどに解決して貰う習慣です。
こう説明すると、考えて解決しているよ、と言いたいかもしれませんが、私たちの考えるは、他から得た知識を基に考えるのであって、自ら物事の論理を解き明かす様に考えるのではない為、知識の類推的な考えるになってしまうのです。
総じて私たちは考える事が少ない、特に自ら物事の論理を解き明かす事が殆どない習慣です。
もう一つの洞察力とは、上記している様に、目に見える事から本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない裏側まで論理を解き明かし、物事を支えているメカニズムや関係性、原因や本質等を理解する事で目的に対して1つひとつの物事の見極めができて、優れた取捨選択ができる力です。
私たちの習慣は物事の裏側などを追求して考える事のない習慣です。
この習慣では、物事を洞察できないのです。
なぜなら、私たちの物事の捉え方が、目に見えない物事の裏側などを追求して考える事のない習慣だからで、物事を支えているメカニズムや関係性等を理解できない習慣だからです。
洞察できなければ、優れた物事の判断ができなくなるので、知恵を出せないのです。
同様に発想力を発揮できないのは後で説明しますが、洞察力が発想力の基礎だからです。
物事を洞察できなければ、発想力は発揮できないのです。
こう言う理由で、洞察力を培えない私たち日本の習慣では、知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできないのです。
洞察力を身につけないと、知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできないのです。
物事の優れた取捨選択が生み出す洞察力が、知恵を出す事や優れたアイデアを出す事の基礎になる関係なのです。
上記した様に、洞察力とは、物事の目に見えない部分まで論理を解き明かす事で、目的に対して本質や原因を通して優れた判断ができる力です。
物事の実態に近い事を理解する事で、優れた判断ができる力です。
私たちの習慣は、自ら目に見えないものを追求して考えませんので、物事の裏側がどんな論理でできているかは殆ど分かりません。
この事を補う為に、物事の裏側などを説明した知識を得てできる様にするのです。
洞察力を培えば、見えている事から本質や原因を見抜き、1つひとつの要素を見極め優れた取捨選択ができる為、無駄なく効率的かつ効果的な事を考え出したり判断したりできるので知恵を出せるのです。
知恵を出す為には、優れた物事の取捨選択が必要で、それは洞察力を身につけていればできるのです。
新たな付加価値を生み出す発想力とは、知恵を出す事と同様に物事の優れた取捨選択が必要です。
なぜなら、付加価値を生み出すとは、既存要素の新しい組み合わせで生まれる場合が多いからです。
既存要素である、私たちが行っているビジネスや物事を洞察できないと優れた既存要素の取捨選択ができなくなり、新たな組み合わせを考えても、付加価値を生み出す様な考えができないのです。
発想力は、知恵を出す事と同じで、洞察力が基礎になっているので、洞察力を培わないと発想力は発揮できないのです。
私たちが米国の様な発想力がないのは、私たちの習慣が洞察力を培えない習慣だからです。
又、洞察力を培う為には、物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす力が必要です。
物事の論理を自ら解き明かし続けていると、過去の経験や現在起きている事や新たな発見等から、問題が起きると、その問題は、こうではないだろうか、と言う仮説が立てられる事が増えてきます。
長く物事の論理を解き明かしていると、この仮説の精度が上がってきて、現実味のある仮説が立てられる様になります。
精度の高い仮説は、実現性が高いので良いアイデアになるのです。
私たちの習慣は、追求する様に考える事のない習慣である為、優れた取捨選択ができる洞察力が身につかないので、発想力を発揮する事ができないのです。
私たちの習慣が、どうして生まれたかを説明する必要があるのではないでしょうか。
なぜなら、私たちは現実に洞察力のある人は僅かしかいません。
なぜ洞察力のある人が殆どいないのかの理由を理解出来れば、他の説明が理解し易くなるからです。
私たちの現在の習慣が、どうして生まれたかの明確な理由が分かっている訳ではありませんが、そうではないかと思う事はあります。
それは、私たち日本人がおかれた自然環境と経験してきた歴史で私たちの習慣が作られたと思える事です。
私たちが行っている事と日本の歴史と自然から想像できる事はあります。
それは、日本の自然が豊かで、世界一四季がはっきり表れる環境であった為、私たちは、この自然の変化を生活に取り入れて活かす為に四季の変化を見極める目が育ちました。
自然が変化する僅かな差を見分けられる目が育ったのです。
その見極める目は現在も伝承され、もの作りに活かされて良質な製品を生み出したり、うま味と言う他国ではあまり問題にしない日本食を生み出したりしたのです。
ただ目に見える差や違いに意識が集中し過ぎて、なぜ、差や違いが起きるのか、と原因を追究する事をしなくなったのだと思います。
自然が変化するのは、神様が行っているからだ、とでも思ったのでしょうか。
目に見えるものの差や違いを見極めて工夫をすれば、昔はそれで役に立ったのです。
又日本は権力格差の表れである武家社会を長く続けていたため、上司の命令が全てで、下層の武士や町人が、上司に物事を申し上げる事が殆ど通じなかった社会を長く経験していますので、部下や町人などが自ら物事を発案しても活かされない社会であった為、自ら考えるのではなく、上司の言う事に対応できれば上手くできた社会が出来た事が、自ら追求して考えるのではなく、外からの刺激に対応する、現在の私たちの習慣を生んだのではないでしょうか。
現在でも政府の言う事には、私たちは逆らわない習慣が残っているのではないでしょうか。
私たちの習慣である、他からの問題に対応する方法を長く続けていると、結果を出す事を強要されますので、簡単に出来て結果を出せる、他人が考えた知識を得る事でできる様になる、現在私たちが行っている習慣になったのではないでしょうか。
自ら物事の論理を解き明かし、結果を出す事は、特に初期の頃は結果を出せない為行わなくなり、簡単に結果を出せる方法が習慣化したのです。
この習慣で昔は上手く機能した為、現在まで残る習慣になったのではないでしょうか。
洞察力とは、見えているものから本質や原因を見抜く力であり、物事の裏側まで追求して考える事で、物事を支えているものを理解する事でき、優れた取捨選択ができる力です。
私たちの習慣は、自然環境や日本の歴史から、物事の裏側などを追求する様に考えない習慣が生まれた訳です。
この習慣では、洞察力はつかないのです。
理由は、お分かりの通り、この習慣では優れた物事の取捨選択ができる洞察力を培えないからです。
私たちが長年求めてきた事と欧米の人達が求めてきた事との根本的に違うのは、私たちは、物事の表面的な事で全てを処理しようとしているのに対し、欧米では、原因を追究して、根本的に解決して行こうと言う習慣です。
その事が、物事を洞察しようと思うのか否かの差になのではないでしょうか。
私たちは、自然環境や歴史から、表面的な文化が出来上がったのに対して、欧米では、なぜかは分かりませんが、物事を根本から解決せざるを得ない環境や歴史があったのではないでしょうか。
しかし私たちの習慣には決定的な欠点があります。
それは、自ら物事の論理を解き明かす事を行わない為、論理的に考えて論理の積み重ねをして高度な論理を作れない事です。
高度な論理を自社で作れないと、他社に真似され易いのです。
又、分からない事がある事を気づけない無知の不知状態を生み出すのです。
自ら問題の原因を見つけ出し解決できないのです。
私たちの日常のビジネスを観ても、解決できない事は、自ら考え辛抱強く解決するのではなく、解決できる人に頼んでいるのではないでしょうか。
この欠点を補うために、私たちは高度な知識を積極的に取り入れている訳ですが、自ら物事の論理を解き明かしている人の様には、問題を解決できないのです。
その理由は、私たち習慣では、ビジネスや物事を洞察した優れた取捨選択ができないからです。
私は、最初に私たちがやるべき事は、2つあると思います。
1つは無知の不知状態を避ける為、自ら問題に気づける様になる事だと思います。
その為に必要な事は、物事と自分を俯瞰的に観られる様にする事です。
別な角度から物事を観られたり、自分を俯瞰視できたりする事です。
私たちは、別な角度から物事を観れば、新たに発見がある事は知っています。
しかし、現実には殆ど行わないのです。
物事を俯瞰視できれば、私たちがやっている事知っている事と他との違いを気づけます。
また、自分を俯瞰視できるメタ認知能力を培えば、自分が今何を考えているか、やどうしようしているのか等を気づけますので、観方を変える事ができます。
生産性の問題は、私たちの習慣と、生産性の高い欧米の習慣を俯瞰視して比較すれば、原因は見つけ出せると思いますが、どう言う訳か、私たちはこれを行わないのです。
物事を俯瞰視して、システム思考的に考える事は、今後のビジネスに必要な事ですが、私たちの習慣は、どちらも苦手になってしまう習慣なのです。
その原因は、物事を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かす事を私たちは行わないからではないでしょうか。
もう1つが、物事の見えていない所まで追求する様に考える習慣をつける事です。
これを行わないと、物事を表面的に観る事だけに終始する事になり、知恵を出す為に必要な洞察力を培えません。
洞察力が身につかないと、知恵を出す事も発想力を発揮する事もできなくなり、生産性を上げる様な事ができなくなるのです。
なぜ、洞察力を培う為には、追求する様に考える事が必要なのか、は次に説明します。
洞察力とは、目に見える事から本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の目に見えない部分まで論理を解き明かし、物事を支えているメカニズムや関係性、本質や原因など物事を包括的に理解する事で1つひとつの物事を見極め、優れた取捨選択ができる力です。
洞察力を身につける為には、私たちの習慣の様に、目に見えないものは追求して考えないのでは、物事を支えているものが何かが分からなくなり、本質や原因も曖昧だし、1つひとつの物事の背後にあるものも分からないので、優れた取捨選択ができなくなり、物事を洞察できないのです。
追求する様に考えるとは、自ら物事の論理を解き明かし理解する事ですから、追求する様に考える習慣があれば、物事のメカニズムや関係性、本質や原因などを自ら解明し理解できるので洞察力は培えるのです。
ただ、洞察力を培う為には、追求する様に考える事を習慣化しないと洞察力は身につきません。
それは、物事を洞察する為には、1つひとつの物事の見極めが必要で、1つひとつの物事の見極めは、追求する様に考える事を習慣化しなければできないからです。
私たちが時々行う論理的に考えるでは、洞察力を培えない事がお分かりになると思います。
私たちは、習慣化するまで論理思考をしている訳ではなく、時々しか論理的に考えないので、洞察力までは行かないのです。
この答えは、なぜ、私たちの習慣が、洞察力が身につかない習慣なのか?で説明している通り、目に見える物事の差や違いなどを見分けられれば、それで昔は役立った事と、昔の権力格差が極端にある世界では、物事を追求して考えて上司の分からない事を言っても、却下されるだけの世界ですから追求する様に考える事をしなくなったのではないでしょうか。
今までの問の答えを読んで頂いた方なら、理由はもう分かると思います。
私たち日本の生産性が長期低迷に陥った理由が、市場が知恵や発想力を必要としてきているのに、私たちが、知恵を出す事も発想力を発揮する事もできない事が理由です。
又知恵を出す事も発想力を発揮できない原因は、私たちの習慣が、洞察力を培えない習慣だからです。
欧米では特に米国では、知恵を出す事も、発想力を発揮する事もできるので生産性が日本の1.5倍ある訳です。
そうすると、米国の人達の習慣を身につければ、私たちでも生産性を高くできる訳です。
米国の人達がどんな習慣でビジネスをしているかを詳しく見れば私たちとの習慣の違いが分かります。
前の問いかけで説明していますので、結果から言うと、私たちの習慣は、物事の裏側等を追求する様に考える事のない習慣です。
欧米では追求する様に考える習慣があります。
この習慣の違いが長く行っていると、どう言う結果を生むかを洞察できれば、答えは見えてくると思います。
私たちの習慣では洞察力は培えないのです。
なぜ、私たちの習慣では洞察力を培えないかは、もう想像できると思いますが、次の、なぜ、私たちの習慣では、洞察力を培えないのか?をご覧ください。
私たちの周りを観て頂ければ気づくと思いますが、私たちは色々な事を知ってはいても、優れた取捨選択ができないので知恵を出せないのです。
私たちの習慣を欧米の様に、物事を追求する様に考える習慣に変えれば、洞察力は徐々についてくるのです。
洞察力を身につければ、本質や原因を通して優れた生産活動の取捨選択ができるので、生産性を上げる様な、今まで出来なかった事でもできる様になるのです。
なぜ、欧米の様に物事裏側まで追求する様に考える習慣化ができれば、物事を洞察できる様になるのか?は次に説明します。
しかし、私たちが何の疑いもなく無意識に行っている習慣では、なぜ、洞察力を培えないかは、説明しませんでした。
ここの所を説明します。
ただ、他の所の説明を読んで頂ければ、その理由はお分かりになるのではないでしょうか。
私たちの習慣は、物事の裏側など目に見えないものは、追求する様に考える事を行わない習慣です。
又、物事を洞察できる様になる為には、物事の裏側まで、メカニズムや関係性、本質や原因等を理解していないと、優れた取捨選択ができなくなり、知恵を出す事や発想力を発揮できません。
私たちの習慣では、物事を洞察する為に必要な、物事を支えている物事の裏側にあるものを、追求して考えないのですから、理解できないのです。
物事の裏側などを理解できない習慣では、物事を洞察して優れた取捨選択をする事ができないのです。
私たちの習慣に、物事の裏側など目に見えないものを追求する様に考える習慣がないので、洞察力を培えないのです。
最初に、物事の裏側まで追求する様に考えるとは、どう言う事を言っているかを説明しないと、この問いは分かり難いと思います。
物事の裏側まで追求する様に考えるとは、物事の裏側は目に見えませんが、目に見えている事の原因を作ったいり、裏側があるから存在したり、物事が起きたりする訳です。
この観えていない、物事の裏側まで追求する様に考えるとは、物事のメカニズムや関係性、原因や本質等を自ら考えて物事を支えている論理を解き明かす事です。
どうしてそんな見えていない事の論理まで解き明かせるのかと言うと、追求する様に考える習慣がある人は、過去の経験や現在知っている事、新たに入手した知識からそうではないだろうか、と解き明かしたい物事の仮説を立てる事ができます。
常に物事を疑いの目で観ていると、この仮説を、現実にあるものや起きている事、新たに解明された事等や事実等を照らし合わせれば、その仮説が合っているか否かがある程度判定できます。
この方法を長く続ければ、現実と頭にある仮説の論理が一致してきます。
そこで、この論理は正しいと分かるので、1つ物事を解明できるのです。
追求する様に考えるとは、具体的に何をするのか、を別に説明していますので、参考に、ご覧ください。
論理的に考えて結果を出す為には、初歩的な誰でも知っている物事の論理から解き明かして行く必要があります。
なぜなら、論理を繋げて行かないと、高度な今役立つ様な論理を解き明かす事ができないからです。
私たちは、知識を多く持っているので、物事を洞察できると錯覚しがちですが、多くの事を知っていても、洞察力は身につきません。
その訳は、私たちが持っている知識が、どんな論理でできているかが曖昧な事と、自ら論理を追求しない為物事を論理に合った関係性等で捉えられないからです。
私たちが持っている多くの知識は、他から得た言葉で表せる知識である為、言葉で表したものが、どんな理由でできているかは分かりません。
つまり、理由の分からない知識を多く持っていても、物事を洞察できる訳ではないのです。
私たちが入手する知識は、どんな理由、論理でできているかが曖昧な知識です。
その上、自ら物事の論理を解き明かさないのですから、論理の繋がりがない高度にならない知識を持つ事になり、高度な論理になると、私たちは理解も行動もできなくなってしまうのです。
洞察できなくなってしまうのです。
欧米が、なぜ、私たち日本より生産性が高いのか、この原因を考えれば分かる事があります。
生産性に関係する事を挙げると、権力格差や男女格差等格差が欧米ではあまりありません。
米国人が考えた経営手法を私たちは上手く使えません。
IT技術の社会への取り入れ方が日本より欧米の方が進んでいます。
これらがなぜ起きるのか、私たち1人ひとりの判断が、これらが起きる原因です。
私たちは、自ら物事の論理を解き明かす事をしませんので、本質を捉えた物事の理解ができません。
そうではないかと曖昧に捉え物事を行っている訳です。
物事の本質を捉えられれば、現在権力格差や男女格差等が必要ないだけでなく、マイナスに働く事を理解できますのでなくす方向に行動する為、欧米では格差社会が日本より少ないのです。
物事の本質をどこまで理解出来ているか否かの差が、格差社会が大きいか少ないかの差になる事と、私たち日本の伝統的な社会が格差社会だった事が、私たち日本に格差社会が多く残る理由です。
これは1つの例ですが、私たちはIT技術も欧米の様に生産性を上げる事ができません。
本来IT技術は生産性を大きく上げるテクノロジーな訳ですが、私たち日本は、IT技術を使った生産性が、欧米より低い調査があります。
この原因を追究すると、私たちのIT技術の使い方は、何かを自動化や便利にする道具的な使い方が多いです。
欧米では、デジタル化できれば何でも結びつけられると捉えた使い方をして生産性を日本より高くしています。
具体的に言うと、私たちは、会計システムを作り、欧米では、サプライチェーンを作るのです。
私たちは、IT技術を狭く捉えているのに対し、欧米では広く深く捉えて使っているので生産性が高いのです。
ここに挙げた事は、物事を洞察できれば優れた判断ができ、私たちの悪しき習慣を変えられ、生産性を上げられる、と言う事ではないでしょうか。
生産性を表面的に観ていたのでは、生産性は上がられないのです。
ビジネスを始めとした物事を洞察して、優れた判断をした結果が生産性に成るので、物事を洞察できれば、生産性を上げられるのです。
私たちは、前にも説明している様に、無意識に物事を行う事が多い為、習慣を変える様な事が苦手です。
習慣を変えられるまで、モチベーションを持続する事ができないのです。
無意識に物事をしていたのでは、元の習慣に戻ってしまいます。
そこで私は、考えました。
追求する様に考えるとはどう言う事か?その目的を達成する為には、他に方法はないのか?と考えたのです。
このHPの他で説明していますが、質問力に、物事を追求する様に考える力があるのではないか、と気づいたのです。
物事を解明する様な質問をすれば、私たちでも物事の論理を解き明かす事をする事に気づいたのです。
質問には、そんな力がある事に気づいたのです。
質問は、自ら行わなくても他人からでもできます。
他人が行うならモチベーションも持続しなくて済む訳です。
考え方に慣れるまで、他人が質問をして考える事や、ビジネスを理解している上司や他の人等が質問すれば、社員はビジネスの論理を自ら考えるのです。
又、アクションラーニングの様に、質問を使い問題を解決する方法でも、物事の背後等を追求して考える様になります。
私たちの習慣では行っていない、ビジネスを始めとした物事の目に見えない背後などを、質問力を使い解き明かして行くのです。
これを慣れるまでは他人から質問して貰い、慣れてきたら自ら質問を考える様にして習慣化して行くのです。
又トヨタの様に、何か問題が起きた時には、なぜ、どうして?と追求して考える事を、業務に組み込むなど、業務の中に追求する様に考える習慣化を図るシステムを作るのです。
目的は、ビジネスを始めとした物事の論理を解き明かす事で、洞察力を培う事です。
質問力をどう使うかで方法は、色々考えられるのではないでしょうか。
要は、自ら物事の論理を解き明かせる様になる事で、洞察力を培う事です。
又質問力には、物事を追求する様に考える力があると言う事です。
質問力の理解を更に進める為に、どんな質問を投げ掛ければ、ビジネスや物事を洞察でき、知恵を出せる様になるか?と言う項目をもうけ説明していますので、参考にご覧ください。
私たちのビジネス習慣は、他から知識を多く得る事で、新しい事をできる様にする習慣です。
自らビジネスチャンスを見つけ出し、そのビジネス論理を自ら作り、ビジネスをする習慣ではありません。
この習慣的なビジネスの仕方では、現在のグローバル市場で生産性を欧米の様に高くする事はできません。
欧米の様に生産性を高くする為にはビジネスの中で、知恵を出す事や発想力を発揮できる様にする必要があります。
知恵を出す事や発想力を発揮する為には、欧米の様に洞察力を培える習慣に変える必要があります。
そこで、私たちの習慣を、洞察力を培える習慣、物事を追求する様に考える習慣に変える必要があります。
しかし私たちは、習慣を変える様なモチベーションを持ち続ける事ができません。
そこで、追求する様に考える効果がある質問力を使い、追求する様に考える習慣化を図るのです。
質問は他人からでもできる為、モチベーションを持続させる必要がないので、私たちでも習慣を変えられるのです。
私の提案を要約すると、ビジネスや業務の中に、物事を追求する様に考える為に、質問力を多用する事で、ビジネスを始めとした物事を洞察できる様にして、知恵を出したり、発想力を発揮できたりする様にする事で生産性を上げて行こう、と言う提案です。
この提案は、単に生産性を上げられるだけでなく、洞察力と言う知恵や発想力の基になるスキルを培う習慣化を図る為、生活の質を上げたり悪しき習慣を減らしたりできるので、暮らしやすい社会を作れる為、経済的な事だけでなく、精神的な事にも役立つ取り組みになります。
自殺者の少ない社会を作れる取り組みになるのです。
更に詳細を知りたい方は、質問と答えの詳細説明へお進みください。
ここまでの説明で、習慣を変えてみよう、と思ったでしょうか。
このHPでは、私たちには目からうろこ的な事を言い出したので、まだ迷いや分からない事が多いと思います。
次ページで、このHPのマップをご覧頂ければ色々な説明の仕方をしていますのでご覧ください。
質問と答え、と言う形で、詳細な事を説明していますので、ご覧ください。
生産性を上げるとは
質問力とは
〒400-0853
山梨県甲府市下小河原町
Mail tresor@eagle.ocn.ne.jp