私たちは、メタ認知能力を持ち、自分の物事の捉え方考え方を俯瞰的に見られる人が非常に少ないので、私たちと欧米の物事の捉え方考え方の違いを認識できる人は非常に少ないと思います。
私はたまたま特許申請をきっかけに、私が申請した特許を理解して貰えない現実から、私たちと、欧米の物事の捉え方考え方の差を見る機会があり、見たり調べたりしました。
そこから気づいた事は、究極的に言えば、私たちは欧米と比較して、知恵を出せない事です。
欧米並みの物事、例えば、最新の発見やビジネスなどはできるのに、欧米の様に利益の取れるビジネスができません。
又、私たち日本は、権力格差や男女格差が、先進国とは思えない程多く残っています。
この理由は、現在の世の中(世界)がどう言う状態で、何が必要かを私たちは考えない事が理由ではないでしょうか。
考えないので今までのやり方でよい、と思ってしまうので、昔からの習慣である、権力格差や男女格差が残っているのです。
要するに、考えないので世の中の変化を認識できないのです。
今では悪しき習慣に取られる権力格差等が今でも多く残るのは、私たちはビジネスを始めとした物事を追求して考えないので、世の中がどんなメカニズムで動いていて、何が必要になるのか等の本質や原因等を理解できない事が大きな理由だと思います。
そこで私たちが日常習慣としている物事の捉え方考え方や問題解決法が、どんな方法を取っているかを思い出したり、調べたりしてみました。
そこから得られ事は、物事の見方捉え方が、目に見えるものの差や違いを見分ける様に見ていて、目に見えない物事の裏側等を全く追求して考えない物事の捉え方考え方をしている事です。
私たちは目に見えるものに意識があり、見えないものは意識をする事もない見方捉え方をしているのです。
この見方捉え方では不安を感じるのか私たちは、知識欲があり、色々な事を知りたがりますが、なぜ、その知識になったのか?等には殆ど疑問を持たなく、疑いもなく他からの知識を受け入れます。
知られていない新たな知識の様な場合は、誰が言っているかでその知識を判断します。
知識の内容では判断できないのです。
要するに、何が重要で、何が必要ないかを判断できないのです。
これでは、知恵を出せないのです。
問題解決法も、上記した様な習慣である為、問題の原因を自ら追求して考え、原因を自ら見つけ出すのではなく、問題を解決できそうな知識を探して、その類推で問題を解決する方法か、コンサルタントに解決して貰う事が主な問題解決法です。
これらの事から私たちは、考える事が少ない事が見えてきます。
考えないのではビジネスを始めとした物事を論理的に理解できない為、論理的に考えて問題を解決する力が育たないので、私たちの習慣では本質等道理を理解できない事と合わせて、知恵を出す事ができないのです。
この様な事が影響しているのか、私たち日本の生産性は、30年間も長期低迷を続けて、先進国中最低だけでなく、カナダやオーストラリアにも追い抜かれています。
生産性は、その国の総合力と言ってよいもので、現在の様にIT化グローバル化の進展で高度化複雑化した情報社会では、できるではなく、どう知恵ある方法でできるかが重要になってきています。
私たちに興味があって行っている事は、新たな知識を手に入れ、その知識を基にビジネスをする、と言う場合が多く、そこには、如何に多くの利益をとれるかの視点がないので、利益の出せるビジネスにならない事と、私たちの習慣では知恵を出せないので、できる事はできるのですが生産性が低いのです。
以下で私が行う生産性向上策を説明しますが、私の提案する生産性向上策は、私たちの習慣とはかなり違い、1つひとつの物事を追求して考える為非効率に思うかも知れませんので、私の案が、結果的には効率的効果的になる事が、私たちは理解できないかもしれません。
しかし、欧米の方が、生産性が高いと言う事は、私の提案する方法の方が、結果的に効率的効果的になります。
物事は、批判しただけでは問題解決にはなりません。
私は、私たちの習慣を覆し、欧米の様な習慣に変える方法を開発しました。どんな方法か、説明します。
私たちの物事の習慣的な見方捉え方は、表面的な見方捉え方をしていて、物事の見えない所に隠れている物事の裏側にあるもの、行われている事を追求して考える事をしない習慣です。
又、問題解決法が、自ら問題の原因を追究して考え、原因を見つけ出し解決する方法ではなく、解決できそうな知識を探してきて、その知識の類推で解決するか、専門家に解決して貰う方法を取るかです。
これらの事から言える事は、考える事が少ない事です。
考えないと、ビジネスを始めとした物事を、論理的な関係性で捉え理解する事はできません。
論理的な関係性で物事を捉え理解できないと、物事の比較判断ができなくなり、物事の良し悪しの判断ができなくなり、物事を洞察できなくなります。
私たちは、知識を豊富に持っていますので色々な事ができます。
例えば、最先端の発見やビジネスです。
しかし、利益の取れるビジネスや発見はあまりできませんので、生産性が低い訳です。
なぜ、私たちの習慣では知恵を出せないのか?この問いを逆算すると、見えてくるものがあります。
知恵とは、無駄なく効率的かつ効果的な事ができる様にする判断力です。
この判断力を培う為には、何が必要になるか?物事の表面的な事だけでなく、物事の内情(物事の中に隠れているものや起きている事等)まで理解する必要があります。
しかし私たちの習慣では、物事を追求して考えない為、物事の内情を理解できないので、賢い取捨選択ができなくなり、知恵が出せないのです。
もう1つ私たちの習慣は、問題の原因も追究しない習慣です。
この習慣では、物事の本質や原因は分かりません。
物事の本質や原因が分からない上に、物事の内情が分からないのであれば、物事を論理の繋がりとして広く深く理解できないので、物事を見分け見通す力である洞察力を培えないです。
洞察力を培えないのでは、物事の適切な判断ができないので、知恵が出せないのです。
なぜ、物事を論理的な関係性で捉えられないと知恵が出せないのか?
物事は、論理的な関係性で広く深く繋がって社会を作っている場合の方が多いです。
この関係性を理解できないと、本質や原因が分からないだけでなく、物事も洞察できなくなり、賢い取捨選択ができなくなり、知恵が出せないのです。
なぜ、関係性で捉えられないと、物事を洞察できないのか?
現実事実は論理的な関係性で成り立っている場合が多いです。
普通物事のメカニズムである内情は論理的な繋がりでできています。
その内情を理解できないと、洞察力である、見えているものから本質を見抜く事もできませんし、物事の違いや差を見分ける事もできなくなるので、適切な取捨選択ができなくなり、知恵が出せないのです。
要するに、物事を洞察できなくなるのです。
この問いを、私が作った造語、論理筋道で説明したものがありますので、参考に、なぜ洞察力がつくのか?、をご覧下さい。
物事の論理的な関係性である成り立ちやメカニズム等を理解出来れば、見えている事から論理の繋がりをたどって行けば本質に行き着くので本質や原因は分かります。
又物事のメカニズム等内情を理解していれば、適切な判断ができ、知恵が出せます。
又追求する様に考える習慣があれば、1つひとつの物事の論理を繋げて考えますので、人が行う論理に外れた事をする事も、可能性や仮説で捉えられ、人や物事を見通せ、洞察できるのです。
私たちは、知識を頼りに物事を判断するので、人が行う曖昧な事や不確実性要素のあるものは、捉えられないので、発見はできるのに、人が行う物事の洞察はできないのです。
私たちが知恵を出せないのは、追求する様に考えない為関係性で物事を捉える事ができないので、知識知っている事で物事を判断しているからです。
関係性で物事を捉えないと、物事を洞察できなくなり、適切な判断ができないので、知恵が出せないのです。
私たちは、知識で物事を判断しますので知っていればできる、発見はできます。
しかし、人が行う不確実性要素の多い物事は、判断ができません。
不確実性要素の多い人が行う様なものは、確率や可能性、仮説で捉えないと判断できません。
何々の場合は何、と言う様に、条件付きで判断しないと不確実性要素の多いものは、判断できません。
この行為を私たちは、追求する様に考えないので、行わないのです。
私たちは、1つの答えを求めて考える事が多いので、不確実性要素があるものは判断できないのです。
追求する様に考えられれば、確率や可能性、仮説で捉えられるので、その時々の判断ができ、物事も洞察できます。
今までの説明でお気づきになったかもしれませんが、私たちの生産性が低迷している理由は、物事を関係性で捉えられるほど考えていない事が原因です。
この原因を覆せればよい訳です。
欧米の人の様に追求する様に考える癖をつければよいのです。
なぜ、追求する様に考えれば、物事を関係性で捉えられる様になるのか?疑問が生まれたのではないでしょうか。
これは、追求する様に考えるとは、どんな事かを理解する必要があります。
追求する様に考えるとは、根拠から結論に至る間にある論理を解き明かし理解する事です。
追求する様に考えるとは、論理に合っているか否かを考え、物事を整理したり、関係性を解き明かしたりして理解する事です。
この考える事の中で、私たちは物事を整理する為に考える事はするのですが、物事の論理の繋がりを解き明かす様な考える事は行わないのです。
なぜ、論理の繋がりを解き明かす様な事を私たちはしないかと言う、私たちは物事の裏側などの見えないものを追求して考える事をしないので、関係性で物事を捉えられないからです。
論理を解き明かす様な事は、大きな労力を使うので、楽な知識を得る方法を私たちは取っているからです。
私たちは物事の裏側などの見えないのを追求して考える事をしないので、関係性で物事を捉えられなないのです。
私たちの行動を見ていれば分かる通り、私たちは分からない事があると、追い続けて解明するのではなくあきらめてしまうか、どこかの知識を探すかします。
自ら論理の繋がりを考えて解き明かす事を、殆ど行わないのです。
この考え方では、物事を関係性で繋げて広く深くして行けないのです。
物事を関係性で繋げて広く深く理解できないので、物事を洞察できなくなり、知恵が出せないのです。
なぜなら、洞察する為には、本質や原因から物事を見る必要があり、目に見えないものまで比較する、評価する、違い等が分かる様になる必要があるからです。
物事を洞察できる様になる為には、物事を関係性で広く深く理解する必要があるのです。
ここまでの説明でお分かりの通り、私たちが物事を追求する様に考える癖をつければ、生産性を上げる事もできるのです。
なぜなら、追求する様に考える癖をつければ、物事を論理的な繋がりとして理解できる様になるので、洞察力が培われ、知恵が出せる様になるからです。
では、私たちが物事を追求する様に考える癖をつける事ができるのか?が問題になります。
なぜなら、私たちは、追求する様に考える癖をつける為のモチベーションを、無意識に物事をする事が多いので、持ち続ける事ができないからです。
そこで考えた出した事が、自ら追求する様に考える癖をつけるのではなく、他人から質問される事で、追求する様に考える癖をつけるのです。
私たちは、質問を受けると、追求する様に考えます。
質問に合った答えを、探る様に考え答えると思います。
質問には、大きな力があって、私たちは、質問を受けると、追求する様に考えます。
なぜ、私たちは質問されると追求する様に考えるのか?その他に質問の力と多人数で質問をし合う効果を説明した、質問、アクッションラーニング効果、をご覧頂ければ、理解が進むのではないでしょうか。
質問にこの様な力があるので、質問を多用していれば、私たちでも追求する様に考える癖をつけられるのです。
普通考えると言った場合は、自ら考える、自分に問い掛けて考える事を想像しますが、他人から質問を受けても、自問と同じ様に私たちは考えます。
私たちは、今まで行ってきた様に、他人から質問を受ければ追求する様に考えます。
質問を多用し合う様な環境をつくれれば、私たちでも追求する様に考える癖がつけられます。
アクションラーニングは、この力を使って大きな結果を出しています。
私が考えだした生産性向上策は、職場で質問を多用し合う事で、生産活動を洞察できる様にして、知恵を出す事で生産性を上げて行こうと言う、生産性向上策です。
私たちが求める具体的な事は、事情、事情によって違いますので、ここでの説明は、控えさせて頂きます。
私の説明はいかがでしたか?よく分かる様な、分からない様な感じかも知れません。
ここでの説明は、何をどうしろ、と言う具体的な事を説明する以前の問題です。
私たちが、こう言う事を追求して考えない事が、生産性低迷の理由も分からない理由です。
私たちは、世界最先端の発見ができるのに、生産性が先進国中最低で、カナダやオーストラリアにも追い越され、生産性の低迷に悩まされています。
生産性が低迷しているので、一生懸命働いても生活は豊かになりません。
又、生産性の低迷だけでなく、権力格差や男女格差が大きく労働時間も長く、ストレスの多い働き方を強いられています。
生産性の低迷は統計にも表れていて、日本の自由度は高いのに、現実は欧米にはない権力格差や男女格差が存在し、長時間労働も多いので、不満も多いです。
こう言う現実を指摘し、原因を突きとめ、例えば権力格差を是正する動きも、有効な手段は打てていません。
働き方改革とは言っても、行う事は本質的な方法で生産性を上げて生活を豊かにするのではなく、テレワークを推進する事や女性の社会進出を促し、労働力不足を補う程度の改革しか行われていないので、生産性が上がって行く事は殆どありません。
私たちが、生産性が低迷している理由を突きとめ、本質的な方法で働き方まで変えて、生産性が上がる様な事は行っていません。
なぜなら、生産性は追求しなければ見えないものなので、私たちは追求して考える事のない為生産性の概念がないので、本質的な生産性向上策がどう言うものかが分からないからです。
私たちは、分からないものは追求して考えないのです。
ここに、私たちの習慣の最大の欠点がある事も分からないし気づかないので、30年間も、もしかすると今後も続く生産性の低迷に悩まされるのです。
私たち日本がこの状態になってしまった理由は、私たちが、物事を追求して考えないので、物事の本質や原因等、物事の裏側に隠れている重要なものを理解できない事が原因です。
本質等道理もよく分からないのでは、権力格差はなくなる事はありません。
又本質も理解できないのでは、無駄をなくす事や効率的な事はできません。
要するに、私たちは、知識はあるのに、知恵がないのです。
私は、この状況を変えたいと思っています。
私なりに、変えられる策もあります。
私たちが物事の本質や原因等をよく分からない原因は、目に見えない物事を追求して考えない事が大きな原因です。
私たちは、目に見えている事から考える事と、知識を得る事で問題を解決しています。
この習慣では、知恵を出す事はできないのです。
現在の世の中で知恵を出す為には、現在の世の中を洞察できるぐらい、物事の裏側を含めて理解する必要があります。
物事の裏側まで理解する為には、追求する様に考える必要があるのです。
なぜ、物事の裏側まで理解しないと物事を洞察できないかと言うと、世の中にあるもの起きている事等には必ず原因や理由があり、その原因や理由は目に見えない場合が多いです。
目に見えないものを理解する為には、目に見えているものを手掛かりに、物事の関係性や構造、意図や現象などを追求して考え理解する必要があります。
物事の裏側に何があり、どんな事が行われているかを理解しないと、物事を洞察できません。
この行為を私たちは殆ど行う事が無く、新たな知識を得る事で補っているのです。
しかし、私たちの習慣では、物事を洞察して知恵を出す事ができないのです。
なぜなら、物事の裏側で行われている事が全く分からないからです。
仮に物事の裏側を説明した知識が手に入っても、自ら追求する様に考えた人の様に、論理の繋がりとして理解したわけではないので、知識だけでは自ら追求して考え物事を理解した人の様に一を聞いて十を知る様な事ができないのです。
私が行う生産性向上策は、私たちの習慣を理解し、生産性が上がる様な物事の捉え方考え方に変えて、生産性を上げて行こうと言う、本質的な生産性向上策です。
なぜ、物事の捉え方考え方まで、変える必要があるかは、私たちの習慣では、生産性が上がらない事は、ここ30年で証明済みです。
そうすると、どう変えるかが重要になります。
そこは、生産性が高い国が、どう言う方法で生産性を私たちより高くしているかが、参考になります。
それが、私の生産性向上策になるのです。
生産性の高い国が行っていて、私たちが行っていない、生産性に関する事です。
これらの過程から私が得たものは、私たちが、生産活動を始めとした物事を、追求する様に考える癖をつけ、洞察力を培い、知恵を出せる様にする事です。
カギを握っている事が、私たちが物事を追求する様に考える習慣化が出来るか否かです。
この事も、私は、私たちができる方法を見つけ出しました。
どんな方法で私たち日本の生産性を上げるかは、このページを閉じて、元に戻って説明を読んで下さい。
生産性を上げるとは
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