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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

論理筋道とは

当組織が提案したい事の納得がゆく説明のために

私は、今後日本が成長する為には、私たちが論理筋道を追求する様な習慣を身につけられるか否かが、カギを握っていると思っています。

何のことか、その詳細を説明します。

論理筋道は私が作った造語で、私たちが論理筋道を追求して考えない事が、ここ30年もそうですが、今後も成長できない理由になる、と考えています。

一言で言うと論理筋道とは、根拠から結論に至る筋道の事です。

根拠から結論に至る、筋道の通った、論理(演繹法や帰納法)の繋がりの事です。

論理的に考えるロジカルシンキングは、論理筋道を追求する時に使う、つじつまを合わせる考え方です。

論理筋道とは、ロジカルシンキングを使って、根拠から結論に至る時に考える、例えば関係性を考えたり、何かの基準で分類したり、原因を考えたりする事等全てを含みます。

論理筋道を理解するとは、根拠から結論に至る間にある理由や原因、因果関係や必ず起きる反応などを論理に合った、つじつまが合う繋がりとして追求して考え解明理解する事で、筋道の通った適切な原因や理由など結論を解き明かし理解する事を、論理筋道を理解すると表現します。

私たちは根拠から結論に至る時に、原因を追究する事、理由を追求する事、必ず起きる現象を見つける事、人間の無意識の反応を理解する事、モノとしての事実を確認する事で違いや差を見分ける事、何かの基準でまとめる事、何かの基準で分類する事、不確実性要素の多い事を可能性で捉え違いや差を見分ける事、関係性を考える事、自然に起きる現象を見極める事等を使い物事のつじつまを合わせる為に、色々なつじつまを合わせる論理を考え、根拠から結論を導き出しているのです。

論理筋道を追求して考えている人は、常日頃から色々な事に疑問を持ち、物事の根拠から結論に至る論理筋道を追求して考え、解き明かし理解する事を行っています。

なぜ、造語まで作って説明する必要があるのか?疑問が生まれると思いますので説明します。

私たちは、論理筋道の様な原因を追求して考えませんので、長期間生産性の低迷に悩まされていますし、長期間生産性が低迷している理由も分かっていません。

この状態では、私たち日本は、ストレスを抱え一生懸命働いても成長できない、豊かな生活もできない徐々に国力の落ちて行く国になってしまいます。

これを、防ぐためには、私たちも、論理筋道を追求して考える習慣をつけなければならない、と考えたのです。

この説明を理解する為には、洞察力とは何か、知恵を出す為には何が必要か等他にも理解しなければ、この説明の言わんとする事を正確に伝えられないかも知れません。

この他の事はこのHPをご覧ください。

私たちには物事を追求する様に考える習慣がない為、つまり論理筋道を追求して考えないので、高度な事を知っていても、効果のある知恵のある事ができません。

その他にもこの造語を使えば、私たちが疑問に思う事を論理的に説明でき、私が説明したい事が分かり易くなるからです。

又論理筋道に該当する日本語はない様なので、論理筋道と言う造語を作りました。

「論理筋道を追求して考える事の必要性」

論理筋道を追求して考える事がなぜ、必要かと言うと、3つの大きな理由があります。

〇 問題解決力がつく

〇 洞察力がつき知恵アイデアを出せる様になる

〇 他社では真似のできない高度な事ができ、差別化ができる、です。

これらのいずれも、企業価値を高める力があります。

1つひとつ説明します。

「なぜ、問題解決力がつくのか?」

なぜ、論理筋道を追求して考えると、問題解決力がつくか、です。

論理筋道を追求して考えるとは、先ほど説明した様に、根拠から結論に至る間にある理由や原因、因果関係や必ず起きる反応などを論理的につじつまが合う繋がりとして追求して考え解明理解する事で、筋道の通った適切な原因や理由などを解き明かし理解する事です。

論理筋道を追求する習慣があれば、自ら根拠から結論に至る論理を見つけ出し、結論に導ける訳です。

この行為は、問題を解決する時も同じで、問題から答えに至る論理を自ら見つけ出す行為が問題解決になるので、論理筋道を普段から追求していれば、問題からどう論理展開を考え出せば答えになるかが、過去の論理筋道の追求経験から分かります。

少なくも仮説は立てられますので、問題を解き明かす力、問題解決力がつくのです。

又、自ら物事を追求して考える習慣を身につけている為、問題を解決できる力を普段から培っていますので、時間が掛かっても追求する気持ちさえ途切れなければ、問題を解決できます。

難しい問題でも解決できると言う事は、今まで30年間も出来なかった生産性も上げる事ができると言う事です。

その上、論理筋道を解き明かす事を続けていると、物事の洞察レベルが上がって行くので、他社ではできない高度な事ができる様になるので、後で説明する差別化もできます。

私たちは、物事の論理を解き明かす事を自ら行う事が殆どありませんので、問題の原因すら分からないのです。

「なぜ、洞察力がつくのか?」

論理筋道を追求して考えていると、なぜ、洞察力がつくのか、の問題です。

論理筋道を追求して考える人は、物事の裏側に至る事まで理解できる為、物事の違いや差などを見分けられるので物事を洞察できるのです。

その上、論理筋道を追求して考えていると言う事は、人が作ってきた不確実性の多い社会の原因や本質を追求して考える事で、その原因や本質を自ら解き明かす事をしている訳です。

論理筋道を追求して考える習慣があれば、不確実性の多い私たちが行う物事を、論理的に解き明かす事ができます。

論理筋道を追求して考えていれば、不確実性要素の多い物事までも解き明かし見通せるのです。

なぜ、不確実性要素の多い物事を見通せるかと言うと、論理筋道を追求して考えていれば、原因や本質、理由や訳など物事の核になる事を理解できます。

核になる事が理解出来ていれば、そこから派生した事も繋がりとして見通せるのです。

例えば、原因が明確であれば、場面、場面ごとの違いを、原因を通して見れば予想もできます。

又、論理筋道を普段から追求していると、確率や可能性や仮説で物事を捉えられるからです。

確率や可能性や仮説で物事を捉えられれば、その時の判断ができ洞察もできるのです。

ただ、あくまでも確率や可能性や仮説ですので、常に事実と照らし合わせて、修正を行う必要があります。

こう言う捉え方が、論理筋道を追求して考えているとできるので、不確実性要素の多い物事の洞察もできるのです。

論理筋道を追求して考えていれば、不確実性の多い物事まで論理筋道を解き明かし理解できますので、人が行う物事を見通せて、物事を洞察できるのです。

論理筋道を追求すると言う事は、原因や本質を追求する事は勿論、どんな条件の時はどんな事が起きるか等を場面、場面を条件付きで理解する様な事ができますので、人が行う物事の様な複雑で曖昧なものまで、可能性と言う仮説の視点でトータル的に見通せる様になるのです。

例えば、こんな傾向があるので、これはこうではないか、と言う様に洞察するのです。

私たちは、1つの答えを求める傾向が強い為、不確実性要素の殆どない知識を基に考えますので、人が関係する様な曖昧なもの、色々な条件を加えなければ判断できないものは、私たちは論理筋道を追求して考えないので判断できないのです。

論理筋道を追求していれば、1つひとつの論理筋道の理解の多くの例から、事実を基に可能性や仮説を立て物事を捉える事ができるのです。

又、そのぐらいの事を考え出せないと、自ら新たな論理筋道を見つけ出せないのです。

私たちは、不確実性要素を含めて物事を捉える事ができないのです。

なぜなら、私たちは、不確実性要素の殆どない知識で、物事を考え判断しているからです。

私たちの方法の方が、1つしかないと思っている答えを出し易いからです。

私たちは、可能性や仮説で物事を捉え、常日頃から色々な事に疑問を持ち、論理筋道を追求する事を殆ど行わないのです。

この差が、私たちは、高度な発見はできるのに知恵を出せない差を生み出すのです。

「私たちが出せない知恵を、なぜ、出せる様になるのか?」

なぜ、論理筋道を追求していれば、知恵を出せる様になるか?です。

論理筋道を追求して考えていると上記した様に洞察力が培われますので、知恵を出せる様になるのです。

なぜなら、洞察力が身につくと、物事の良し悪しの判断は勿論、どこに差があるか、や条件付きで傾向を見通す様な事等色々な視点で論理的に判別ができるので、物事の適切な判断ができ、目的に合わせた取捨選択が適切にできるので知恵を出せるのです。

私たちの捉え方考え方では、洞察力を身につけられない為、物事の適切な取捨選択ができないので、知恵が出せないのです。

論理筋道を追求して考える習慣があれば、物事を洞察できる様になり、その物事の洞察が、適切な物事の取捨選択を生み出し、知恵のある事ができるのです。

論理筋道を追求して考えていれば、物事がどうしてそうなるか、やなぜ、あんな事ができるのか等物事の理由や原因などを、物事のメカニズムを理解しているので分かります。

その上不確実性要素の含んだ物事まで理解し洞察できるので、知恵が出せるのです。

「なぜ、アイデアを出せる様になるのか?」

なぜ、洞察力を培うとアイデアを出せるかです。

この理由も、洞察力が関係しています。

洞察力が生み出す適切な取捨選択ができる事が基礎になり、論理筋道を追求する時に行っている、既に理解している論理筋道を基に新たな論理筋道を解明できる力を培っているので、新たな付加価値を生み出すアイデアも出せるのです。

論理筋道を追求する事で洞察力を培い、その洞察力を基に適切な取捨選択を行い、自ら新たな論理筋道を目的に合わせて解明できる力を、論理筋道を追求する時に培っているので、アイデアも出せる様になるのです。

「なぜ、他社では真似のできない高度な事ができ、差別化ができるか?」

最後に、なぜ、他社では真似のできない高度な事ができ、差別化ができるかを説明します。

論理筋道を追求する事がなぜ、高度な事ができる様になるかと言うと、私たちが論理筋道を解き明かす時や物事を説明する時、幾重にも重なった論理展開をして結論に達すくのではなく、普通だと3〜5回の論理展開で結論に達する事で論理筋道を説明できたり、考えたりする場合が多いです。

私たちは、10回もの論理展開の繋がりを考え出す様な事はできないので、1つの論理筋道を追求して理解した事は、それを1つにまとめて1つの言葉にして、その集約された数個の論理の繋がりを含む論理筋道を1つの言葉にしたものを使い、更に深い論理筋道を考える事で、どんどん物事の論理筋道の理解は広く深くなって行きます。

しかも、論理に合った関係で繋がって広く深くなって行く訳です。

この方法で高度化して行きますので、考える時に使う言葉1つひとつの論理筋道を理解して考えたり行動したりするので、一を聞いて十を知る様な事ができるのです。

私たちの問題解決法では、このつじつまの合った筋道を通す物事の理解ができないのです。

なぜなら、私たちは、論理筋道を追求して考えないので私たちが記憶している知識は、論理筋道の繋がりがありません。

その上で、次の問題を解決する訳ですから、私たちの問題解決法は、論理筋道の繋がりのない、問題解決法を取っている訳です。

新たな問題は、新たな問題として捉え直して、問題解決を図っているのです。

又私たちは、論理筋道を追求して考えないので、言葉や知識になっている物事が、どんな論理筋道でできているかを理解しないで使っているのです。

色々な事に疑問を持ち論理筋道を追求し続けて、論理筋道の繋がった物事を解明理解する方法やり方が、論理的に繋がる事で効果を高めるシステム思考を生み出すのです。

この様に論理筋道を追求する方法は、物事の論理筋道の理解が1つひとつ積み上がって行く高度な事、他社ではできない事ができる様になる、優れた物事の解明理解法です。

又、論理筋道を追求するとは、自ら今まで解いてきた論理筋道の理解を使い、新たな問題の論理筋道を追求する事ですから、自ら新たな問題を過去の蓄積した論理筋道の理解から解決できる力を培うので、進化できる様な問題解決法である、アイデアも出せる様になるのです。

私たちの習慣は、問題毎に知識で対応する問題解決法を取っていますので、論理筋道の繋がりがなく、スキルを積み上げて高度な事ができる様になる方法ではないのです。

論理筋道を追求する方法は、他社ではできない高度な事ができる様になるので、差別化できるのです。