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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案の要約T

提案要約の補足説明

私が提案する生産性向上策、知恵を出す策は、私たちの習慣とはかなり違い、1つ一つの物事の論理を解き明かす様な、手間の掛かると思える方法を取りますので、非効率ではないのか、と思われると思います。

そこで、私の提案の方が、結果的には効率的になる事を説明します。

なぜ、私の提案が効率的になるのか?の説明です。

その他にも、私たちの苦手な俯瞰視、とシステム思考、がなぜ必要で、なぜ私たちはできないのか、を説明します。

その他に、私たちがあまり行わない、仮説思考と発想力の関係を、なぜ論理思考が苦手なのか?を、 欧米と私たちの物事の捉え方考え方の違いが生み出す違いは何か?を、現在のグローバル市場で生産性を高くする為にはなぜ、知恵が必要になるのか?を、なぜ、私たちは会話の中で根拠を聞く事を、研修等で質問を殆どしないのか?を 説明します。

「なぜ、私の提案が効率的になるのか?」

一言で言うと、問題解決の為のスキルが積み重なって行く方法である為、初期の頃は、結果を出すのに時間が掛かる場合があるかも知れませんが、ある程度のスキルが蓄積できれば、その後は常に他社より優れた生産活動を取れるので、結果的に効率的になるのです。

もっと詳細を説明すると、私が提案する方法は、生産活動の論理(原因や本質、生産方法など)を解き明かし、その論理の繋がりを追求して行く方法である為、追求している以上、常に生産活動の論理が繋がり高度化して行きます。

他社と同じレベルで生産活動が行える様になれば、生産活動の論理を追求して考えている以上、レベルの維持ではなくレベル自体が進化できる方法を取っているので、他社と生産活動のレバルが並んだ時点以降、生産活動の効率化や効果が、他社に負ける事が無い、常に進化できる企業を作れるのです。

なぜ、そんな方法になるかは、私たちにはない目に見えない物事の裏側まで追求して考える事を行う習慣に変える方法である為、物事の論理の繋がりを追求して解き明かし続ける事ができます。

この方法は、本質や原因になる最も基礎的な事から論理を積み上げて行く方法である為、現実に行う事が、過去の蓄積したスキルの上に載った方法であるので、行う事がどんどん効率的かつ効果的になって行きます。

過去に経験した事が活きる方法で生産活動を行えるのです。

私たちが習慣にしている方法は、知識を頼りに生産活動を行う方法である為、知識自体に論理の繋がりがある訳ではありません。

この状態でいくら知識から生産活動をしても、論理の繋がりの積み重ねになりません。

この方法は知識の類推になってしまうので、生産活動のレベルを上げる事もできなくなり、真の意味で過去のスキルを活かす事ができない為、スキルの積み重ねで行う企業の様な事ができないのです。

この事は、トヨタの工場を見学に行った企業が、トヨタの様な生産活動にならない事を見ても分かるのではないでしょうか。

表面的な事だけをいくら良く見ても真の生産性向上にはならないのです。

トヨタの様な生産性にしたいのであれば、見学に行って見えた事から、本質を追求して考える様な事をしなければ、洞察しなければ、トヨタの様な生産性にはならないのです。

要するに、私たちの習慣的な方法は、論理のの積み重ねができない方法である為、基礎的な物事の解明理解が進化する事はなく、過去の経験の上に現在行う生産活動が活きない方法になってしまい、他社が真似できない高度な事ができる様にはならないのです。

私たちの習慣的なビジネスの仕方は、テクノロジーの進化で効率的になる事はあっても、ビジネスの仕方自体をどんどん効率化する様な事は殆どできないのです。

トヨタの改善は以前から有名で知っている人は多いと思います。

しかし、いくら知っていてもトヨタの様にはならないのです。

その原因は、トヨタは改善を全社規模で長期間続けているから、明らかな差別化を出来るのです。

1つや二つの改善自体では、生産性を上げる事はできません。

トヨタは、この改善を全社規模で長期間行ったので、他社との明らかな差別化ができたのです。

私たちがトヨタから学ぶべきなのは、どうしたら、トヨタの様に改善を全社規模で長期間できるか、なのです。

この企業文化を、どうしたら作れるか?なのです。

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「なぜ、俯瞰視が必要で、私たちは俯瞰視ができないのか?」

現在の世の中は、人類文化の高度化でIT化グローバル化が進み、私たちが得意な最新の発見や最新の情報から新ビジネスを始める事等ビジネスで行う事1つひとつの及ぼす影響が、小さくなってきています。

例えば、発見で言えば、人類に大きな影響を与える基礎的な発見は少なくなり、その基礎発見を応用した発見が主流になる時代に入ってきています。

要するに、今の発見は昔の様に、多くの人達に影響を与えられない発見が多くなってきました。

この状況で、どこから利益を多くするかと言うと、システム的要素で利益を多くする必要が出てきています。

ビジネスを俯瞰視して、システム思考をしないと、ただ発見しただけでは、昔の様に利益を多くする事ができなくなってきています。

私たちは、この俯瞰視して、システム思考をする事ができません。

私たちは、どうしても部分最適になり易い習慣があります。

元に戻って、どうして私たちは、俯瞰視できないのか?の問題です。

私たちの物事の捉え方考え方は、目に見えるものに意識があり、目に見えないものには意識する事もない捉え方考え方をしています。

俯瞰視は、意識して高い位置、抽象化された位置から物事を観る見方です。

普段の見方を、高い抽象化された位置から見る様にする為には、1つが抽象化できる必要があり、1つが意識を高い位置に変える必要があります。

私たちは、あまり考えない、特に物事を追求する様に考える習慣がない為、自分を高い位置から観る、メタ認知能力が培われていませんので、俯瞰視できないのです。

又私たちは、物事を抽象化する事も苦手です。

目に見える事にしか意識がないからかもしれません。

私たちは、物事を抽象化でき難い捉え方と、メタ認知能力を培えない為、高い位置の視点で見る事が必要な、俯瞰視ができないのです。

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「なぜ、システム思考が必要で、私たちはシステム思考ができないのか?」

上記した、俯瞰視がなぜ、必要か?で説明している様に、1つひとつの発見や新たなビジネスが与える影響が小さくなってきて、利益を多くする要素が、全体最適化に移ってきているので、俯瞰視して、システム的に考える事が必要になってきているのです。

システム思考は1つひとつの要素を関係性で捉え、全体として最適になる様にする考え方です。

この思考法をマスターする為には、1つひとつの要素を関係性で捉えておく必要があります。

私たちの習慣では考える事が少ない為、特に物事を追求する様に考える、自ら論理を解き明かし理解する事を殆ど行わないので、私たちが記憶している知識に論理の繋がりがない為、システム思考が苦手になのです。

私たちは、物事を追求する様に考える事をしない為、物事を論理の繋がりとして理解する事ができないので、1つ一つの要素を関係性などで捉えられなくなり、システム思考が苦手になってしまうのです。

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「仮説思考と発想力の関係を仮説的に考えると」

私は、頻繁に仮説思考をする人が、発想力のある人だ思っています。

仮説思考と発想力の関係を、私の解釈として説明します。

私たちが行っている予測は、確実なデータを基に確率の高い予測をする事だと思います。

仮説思考で行っている予測は、もっと柔軟に捉え、確実でないデータでも条件付きで予測する事ではないでしょうか。

その為に、仮説思考をしている人は、常に現実事実を条件付きで見ています。

常に仮説である事を意識して、現実事実を、仮説に合わせて見ているのです。

これを行っている為、仮説思考をしない人より常に現実事実を注意深く観ているので、気づきが多くなります。

気づきが多くなるので、結果的に仮説思考をしない人より広く深く物事を、解明理解できるのです。

私たちは、知識重視であるので優秀な人であれば、知識間の繋がりは考えると思いますが、その繋がりが、論理的な繋がりになっていないと思います。

なぜなら、論理筋道を追求して得た繋がりではなく、経験や勘で繋がりがあると思っているので、気配り的な、表面的な繋がりしか考えないからです。

私たちが行う事に、ランダムな事が多い事が、私たちの知識に論理的な繋がりがない事が証明できるのではないでしょうか。

発想力があるかないかは、仮説思考をよくするか否かの差で生まれるものではないでしょうか。

私たちは、仮説は信用できないと思っている人が優秀な人ほど多い様に思います。

この様な事が、私たちの長年の習慣である身近な事しか見ない習慣と、目に見える事しか信用できない事と相まって、発想力を弱くしているのではないでしょうか。

発想力は、未来を切り開く考え方です。

未来を切り開く為には、過去のデータを洞察して、より高い確率の仮説を立てる事です。

発想力を培う為には、過去のデータを洞察して知恵を出し、確率の高い仮説を考え出せる様にするのです。

私たちは、過去のデータの分析は得意なのですが、追求する様に考えないので過去のデータを洞察もできないし、確率の高い仮説も考え出せないので発想力が発揮できないのです。

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「私たちはなぜ、論理思考、ロジカルシンキングが苦手なのか?」

私たちが習慣的に行っている問題解決法や学びを振り返ってみて、私たちはあまり考えないで、知識ばかりを欲しがっている、と思った事はないでしょうか。

無意識に物事を行う事が殆どでは、こんな視点で自分を見る事はないかも知れません。

私たちが上司から考えろ!と言われれば、原因を考えたりしますが、普段私たちが考えるのは、過去の記憶を思い出して、現在の問題に役立てている場合が多いのではないでしょうか。

物事の論理を考え、物事を整理する為に考える事はあっても、原因を追究したり、本質を追求したりする様な、考えるはあまりしないのではないでしょうか。

どこが違うかと言うと、物事の論理を自ら解き明かしているか否かの違いです。

なぜ、こんな事を問題にするかと言うと、私が問題にしている、考えるとは、物事の論理を追求して考え、論理を解き明かす事を言っているからです。

私たちの習慣的な問題解決法や学びは、知識を得る事が主な手段になっているのではないでしょうか。

知識を得て、その類推で問題を解決するのです。

問題解決法が知識を得る事が重要になるので、学びも問題解決法に合わせて、知識を得る事が主になる学びです。

私たちが、論理思考が苦手なのは、私たちの習慣が考える事が少ない、足りないからではないでしょうか。

考えるとは、物事の論理を追求して、物事を整理する為に、関係性を考えたり、構造化したり、並べ替えたりする事です。

この考えるは、優秀な人であれば必ず行っています。

しかし、物事の論理を解き明かす為に考える人は、殆どいないので洞察力が培えず発想力が育たないのです。

考える為には、物事の論理を考える事が最初です。

考える事が足りないと、論理力、つじつまを合わせる力が育たないので、論理思考が苦手になってしまうのです。

私たちの習慣を見ると、考える事を避けているのではないか、と思えるほど考える事をしません。

問題が起きても、新たな知識で何とかしようとします。

自ら物事を追求する様に考える事をしません。

これでは、論理力が育ちませので、苦手になるのではないでしょうか。

又考えない、特に追求する様に考えない、自ら論理筋道を繋げて理解できない、物事を関係性などで捉えられないので、私たちが時々考えても、物事の関係性が繋がって行く事はない為、考える事自体に興味が持てなくなってしまい、より考えなくなってしまうのではないでしょうか。

つまり初期の頃は結果が出せないので、考えなくなるのです。

ただできる様にするだけなら、知識だけで何とかなってしまうので、益々私たちは、考えなくなる、論理思考が苦手になってしまうのではないでしょうか。

私たちが作る社会は権力格差が存在し、上司が知識で解決している為、部下が論理思考をしても上司が、部下が論理の繋がりを追っている事を理解できないのです。

又早く結果を出す事を迫られ為、知識で何とかする方が早く解決できるので、より考えなくなるのではないでしょろうか。

実際に論理思考を続けてみれば分かるのですが、あるレベルの論理を繋げて理解できる様にならないと、なかなか差別化できる様な結果を出せません。

逆に言えば、あるレベルの論理を繋げて理解できる様になると、その後は仮説思考を主にして、物事の論理を解き明かすスピードが速くなってきます。

なぜ、早くなるかは、物事を関係性で捉えられる様になるので、仮説がすぐ立てられ、現実を良く見る様になるからです。

物事の論理を解き明かす力がついてくると、問題解決力がついてきて、結果を出せる様になるのです。

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「論理を追求して論理を解き明かす為に考えるのと、物事を整理する為に考えるのとの違いは何か?」
(副題、私たち日本人と、欧米の人達との捉え方、考え方の違いが生み出す結果は何か?)

私たちの優秀な人が行っている物事を整理する為に考える事には、考えだす事に限界があります。

どんな限界かと言うと、洞察力はつかないし、発想力もつかない事です。

この事は、私たち日本人に、洞察力を持つ人、発想力のある人が非常に少ない事を見ても、ご理解頂けると思います。

なぜ、私たちの整理する為に考えるでは、物事を洞察できないし、発想力もつかないかと言うと、私たちは、追求する様に考える事をしない為、物事の論理筋道を解き明かす様な考える事をしません。

その理由は、私たちの捉え方考え方が物事の表面的な事だけを見ていて、知識を得る事で問題解決を図っているからです。

なぜ、私たちの習慣では洞察力を培えないかと言うと、物事を追求する様に考える事をしない為、物事の論理を解き明かす事はしないので、物事の目に見えない裏側などを殆ど理解できないからです。

物事を動かしているあるいは存在する目に見えない物事の裏側を分からないのであれば、物事を洞察する事はできないのです。

なぜなら、実質的に起きている原因や本質等を理解できないのでは、適切な判断ができなくなり、物事の適切な判断から生まれる洞察力を培えないからです。

発想力は、物事の論理を解き明かす力が生み出す力で、洞察力が基になっています。

発想力の基になる洞察力が培えないのでは、発想力を発揮する事はできないのです。

私たちの習慣的な見方捉え方は、物事の論理を追求する事もなく、表面的な浅く狭い物事の捉え方考え方では物事を洞察する事も、発想力を発揮する事もできないのです。

私たちは、物事を追求して考える事をしない為、ここに書かれた事を理解している人も、殆どいません。

仮に、書かれている事を知っていても、どうすればこの欠点を是正できるかが実践できないので、ただ知っているにとどまってしまうのです。

整理する為に考えるのと同様に、論理筋道を追求した訳ではないので、知っていてもこの問題を解決できないのです。

物事の裏側などの論理を解き明かして分かるのであれば、欠点を是正する事も、解決策を考え出す事もできる様になる可能性が高いのです。

なぜなら、論理を解き明かしていれば、この問題の原因や本質を理解出来ているので、解決策を考え出せる確率が高くなるのです。

一方欧米に多い論理を解き明かす為に考えている人は、物事の論理を解き明かす事をしている為、論理を解き明かす力が培われ、その力が新たな付加価値を生み出す力となって、発想力を発揮できる様になるのです。

又、常に論理を解き明かす力を培っていれば、物事を洞察できる様になってくるので、付加価値を生み出す要素を適切に取捨選択できる為、論理を解き明かす力と、物事を洞察できる力が合わさって発想力を発揮できるのです。

「現在のグローバル市場で生産性を高くする為にはなぜ、知恵が必要になるのか?」

現在のグローバル市場は、IT化グローバル化の進展で高度化複雑化してきています。

製造業の話で言えば、IT化グローバル化の進展で情報化格差、地域格差、製造格差(IT技術が生み出すテクノロジーや高度な人材、物流拠点としての差等)が縮小され、どこでも製品製造ができる様になってきています。

情報格差で言えば、例えば日本にいても、世界中の情報が得られ、何が起こっているかを把握する事が簡単にできる様になってきています。

情報格差がなくなってきたと言う事は、知る事、知識を得る事で差別化を図る事が難しくなった、と言う事です。

その差別化を図る事が難しくなった情報、知識を基に、私たちは生産活動を行っているのです。

もの作りで言えば、情報格差やもの作り格差(IT技術やIoT、3DプリンターなどのIT工作機など)がなくなってきて、どこでももの作りはできる様になってきています。

そうすると、どこで差別化を図り生産性を高くするかと言うと、何を作り、どう売って行くかが重要になってきています。

市場が大きく利益の取れる製品を作る必要が生まれ、これ可能にする為には、グローバル市場と最新のテクノロジー等を洞察する必要があります。

例えば私たちの得意な発見は、市場規模の大きい基礎的な発見は少なくなり、市場が小さい発見が多くなってきていますので、発見したものから何を作り、どう売って行くかの知恵が必要になってきています。

突き詰めて考えると、現在のグローバル市場で生産性を上げて行く為には、米国の様に大きな市場を見込める発見や技術開発だけでなく、半導体の様な、製造業には絶対必要になるものまで競争力を高め市場を狙う必要がある事が分かります。

この見極めをできる様にする為には、適切な判断ができる洞察力を培い知恵を出す必要があります。

又はドイツの様に、国を挙げて製造業の強化を図るシステムを作る等、市場を見極めシステムとしての強化を図る必要があります。

この事を証明する様にドイツでは、次世代技術の中心を占めるIoT化を、国を挙げて進めています。

今後のグローバル市場を攻略する為には、グローバル市場を洞察して、知恵を出す必要があります。

物事の捉え方考え方の違いで欧米では知恵を出す事ができて、私たちは知恵を出す事ができないのです。

その大元の原因が、欧米では行っていて日本では行っていない、物事を追求する様に考える、論理筋道を繋がりとして理解できるか否かなのです。

論理筋道の繋がりが生み出す洞察力を培い、知恵を出す事が今後のグローバル市場では必要になるのです。

私たちは、優秀と言われる人でも物事を追求する様に考える習慣がない為、論理筋道の繋がりとして物事を理解できないので知恵を出す事ができないし発想力もないのです。

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「なぜ、私たちは会話の中で根拠を聞く事を、研修等で質問を殆どしないのか?」

私たちは、会話の中や研修等で、根拠を聞く質問や、研修内容に関し質問をする事を殆ど行いません。

なぜ、質問をしないのか、この裏側を探ってみると見えてくるものがあります。

どんな事かと言うと、私たちが論理的に物事を考えていない習慣がある事です。

論理思考をするとは、その人が論理的に考えて物事の論理を解き明かし、理解する事です。

この論理展開法は人それぞれ違い、絶対と言うものがない場合が多いです。

問題の答えが1つでない事がその事を証明していると思います。

私たちが根拠を追求しないのは、知識の類推で問題を解決しようとしているからです。

私たちが、論理の繋がりとして問題を解決理解しようとしないからです。

私たちが持っている知識は、根拠の分からない他から入手した知識である為、他人の話に根拠が示されていなくても、何の疑いも生まれない捉え方を私たちは習慣としているからです。

私たちが、普段から行っている捉え方考え方そのものだからです。

論理思考を普段から行っている人は、自らの論理を持っているので、他人の話に根拠を示されなければ、根拠を聞いて自分の論理と整合性を取る為に、整理する為に根拠を聞く質問をしてくるのです。

私たちが、普段から論理的に考えていない表れが、根拠を聞く質問や、研修で分からない事を聞く質問をしない事に表れるのです。

私たちの物事の捉え方考え方が物事を追求して考えない習慣である為、論理思考が苦手になってしまう事に表れ、目に見えるものしか判別できない、物事を洞察できる様な事を言えない事も、私たちに知恵を出せない事に表れて来るのです。

追求して考えるか否かのチョットした差が長い間には、物事を洞察し、賢い事ができる様になるか否かの差になるのです。

論理思考を定着させる事が難しいのは、少ししか論理思考をしないのでは、疑問が生まれ考えても、結びつく論理が見つからないので、時々論理思考をしても、結びつく論理がない為、考えても結果を出せないので、論理思考をしても無駄だとの思いになり、論理思考をしなくなってしまうのです。

私たちの習慣は、知恵を出せない愚かな事しかできないのです。

この事を私たちは気づけない事に真の問題があるのです。