私の提案の詳細説明を、ご覧いただきありがとうございます。
私が提案する事は、私たちが意識しない視点で観た事を説明しますので、私たちが求める分かり易い説明ではありません。
ここでの説明の目的は、興味を持って頂き、なぜ長期間にわたり生産性が上がらないか、その理由を理解し、私たちが変える事の難しい習慣を変える気持ちを持って頂く事です。
ここで説明する事を補助する説明をここでは4つ行っています。
参考にご覧ください。
Οなぜ、私たちは知恵を出せないし、発想力を発揮できないのか?(ガニエの理論での説明)
Ο私たちの習慣ではなぜ、物事を洞察できる様にならないのか?
Ο洞察力を培う為には、なぜ論理思考が必要になるのか?
Οなぜ、論理的に考えないと知恵を出せないのか?
それでは説明します。
私たち日本の生産性は30年間も殆ど上がっていません。
生産性が先進国中最低だけでなく、カナダやオーストラリア、韓国やトルコにも労働生産性が抜かれる状態です。
これには何か大きな原因があると思うのですが、原因を特定して、解決策を実行している様子は見受けられません。
30年経っても生産性が低迷している理由も掴めないのです。
現に生産性が高い国があるのですから、生産性が上がらない理由がある訳なのですが、追求して解決策を見つけ出す動きはない様に思います。
私はこの状態を危惧していて、解決策を私なりに追求して考えてみました。
そこから得られた解決策を説明します。
読んで頂く方に納得行く簡単に分かる説明はありません。
その理由は、幾重にも重なった論理を1つひとつ理解しないと、納得行く説明にはならないからです。
それ程私たちの習慣では見つけ難い所に、解決策があるのです。
現実を観れば分かる通り、30年間も解決策が見つからないと言う事は、私たちの常識とはかけ離れた所に解決策があるので、私たちの習慣からすれば、少しぐらい追求して考えても答えは見つからない為、殆どの人が原因を追究しなくなって考えなくなるので、何時まで経っても解決策が見つけ出せない訳です。
私はたまたま独創的な考え方をする方で、一般の人達とは違う角度から物事を観られるタイプの人間です。
この特徴を活かし、初期の頃は、欧米の人達の考え方に興味を持ったことが最初で、今回も、生産性の高い欧米の人達と私たちの習慣を比較してみました。
そこから、現実に行っている事と、物事の捉え方考え方を比較した結果、原因らしきものを見つけ出せて、その原因らしきものを、追究して考えてみました。
最初に追求して考えた事は、私たちに付加価値を生み出す発想力がない事です。
欧米ではあるので行う事に知恵のある事ができ、付加価値を生み出せ生産性が高い訳です。
私はどちらかと言うと発想力がある方で、私たちが考え付かない事を考え出せる方です。
そういう意味では、私たちと、私自身の比較もしてみました。
なぜなら、欧米の人達の方が、発想力がある事実があるからです。
一例を挙げると、私は日常の事で、よく色々な疑問が生まれ、なぜ、どうして?と原因を自ら考えます。
私たちは、疑問に思う事があると、調べて答えを見つけます。
自ら疑問を追求して考えないのです。
この習慣では、物事の論理を自ら解き明かし、関係性で論理の繋がりとして物事を理解できないのです。
私は記憶力が悪い事もあり、若い頃は、色々な事を知っている事にあこがれていて、一生懸命物事を覚えようとして努力をしましたが、記憶力の良い人にはかないませんでした。
しかし、40歳を過ぎたころから、私がすぐに気づく事を私たちは気づかない、私は理由を簡単に想像できるのに、私たちはできない事が増えてきました。
つまり、私は話を見通せるのに、私たちは見通せない事が増えてきたのです。
20年程前、ネット販売の特許を申請して、その特許を大手企業に売り込みに行ったとき、はっきりと私たちと私の、物事の捉え方考え方の違いを理解できました。
売り込みに行った企業に、私が考えだした特許の有効性を理解して貰えなかったのです。
今では特許で考え出した事と類似した事を、自動車業界で実現している事を観ても、特許の有効性はあると思っています。
しかし、大手企業には理解して貰えませんでした。
これは物事を洞察できるか否かの問題なのです。
これこれこうすれば、こうなりますよ!と言う見通しが私たちはできないのです。
私には簡単に見通せる事が、私たちは見通せないのです。
今は情報化時代ですから、かなりの事が理由まで説明しているので、知識としては理解できますが、実際にやるとなると私たちは、できる様にはなるのですが、賢くできなのです。
物事を見通して行わないと知恵ある手は打てないのです。
特許を実現化する為には投資をしなければならないので、特許を見通す、洞察する必要があるのですが私たちは、その洞察ができない習慣なのです。
なぜ、私たちは、物事を洞察できないのかを追求して考えたのです。
考える際に、私たちの習慣と、欧米の習慣の違いを比較しました。
例えば私たちの人の評価は、どれだけ色々な事を知っているかで評価される事に対して欧米では、どの様に知っているかを評価します。
私たちは、過去の実績を評価しますが、欧米では今何ができるかで評価します。
現実的な事で言えば、私たちは会話の中で、質問をあまりしませんが、欧米では良くします等を観たのです。
これらの違いがなぜ起きるのかを追求して考えました。
そこから得た事が、現在の考えに至る基礎になりました。
これらの事を全部説明する事はできませんので、1つの例を説明します。
私たちは会話の中や研修等で質問をあまりしませんが、欧米ではよくする事です。
この詳細説明は、ガニエの理論 で詳細に説明しているので、そちらをご覧ください。
簡単に説明すると、私たちは物事を記憶する事で、その記憶の類推で問題を解決する為、記憶する事に意味がでる、1つひとつの記憶が1つのまとまりとして記憶します。
その為、問題を解決したいので、できるだけ多くの知識を得る事が目的になるのです。
欧米の様に、どう言う理由でそうなるのか、と論理を解き明かして問題を解決するのではないのです。
欧米の様な物事の捉え方をすると、理由を考えなければならないので、物事の関係性を解き明かします。
物事を関係性で理解できます。
私たちは、文脈で一まとまりなった事を記憶するので、仮に記憶するものに関係性があっても、それは記憶する言葉を作った人の関係性で固定された関係性で、自分が考え出した関係性でなない為、役に立ちません。
この違いがなぜ質問の多さ少なさに影響するかと言うと、私たちが持っている知識は1ひとつが独立した知識としての知識になってしまいます。
一方欧米では、物事を関係性で捉えていますので、会話に出てくる事で、自分が思っている論理と違えば、論理に整合性を取る為に、質問をする訳です。
1つひとつの知識が完結している知識では質問が生まれないのに対し、関係性等論理的に捉えていれば質問は生まれ易くなるので欧米の人の方が、質問が多いのです。
論理的に考えているか、知識の量を問題にしているかの違いです。
私たちの習慣は、論理的に物事を捉えるのではなく、大量の事を知る事で問題を解決して行こうと言う論理的に考えない習慣なのです。
そこで、私たちの行動がどう言う行動なのかを観る様にしたのです。
これも欧米と比較して観る様にしました。
私たちの物事の見方捉え方は、目に見えている違いや差を見分ける意識で観ていて、なぜ違いや差が生まれるかを追求する事のない見方捉え方をしています。
一方欧米では、私たち程目に見える違いや差には意識を払わず、なぜ差や違いが生まれるのかと、見えていない部分を意識して追求して考える習慣です。
私たちの見方捉え方では、目に見える違いや差は見分けられますが、目に見えない事は全く分からない状態になってしまいます。
これでは、物事を上手く進められないと思うので、目に見えない物事の裏側等を説明した知識を得る事で、物事を進めようとしている訳です。
同様に私たちは問題が起きると、原因になりそうな事を説明している事を調べ、解決しようと言う姿勢です。
自ら問題の論理を解き明かし原因を見つけ出し、解決策を考える習慣ではなく、解決できない事はコンサルタントに解決して貰う解決策です。
総じて私たちの習慣は、物事の論理を自ら解き明かす事のない、考える事が少ない習慣です。
この習慣では洞察力を培う事ができない為、私たちは知恵を出す事も、発想力を発揮して新たな付加価値を生み出す事もできないので生産性が低いのです。
私たちの感覚からすれば、最先端の高度な発見や技術開発ができるのに、なぜ生産性が上がらないのか、と思うと思います。
現在のグローバル市場の競争原理が、差別化を求めてきているので、私たちの習慣では、差別化が生み出せないのです。
今は情報化時代ですから、情報だけで差別化はできないのですが、私たちの行っている事は、情報(知識)から高度な知識をつかい最先端の高度なビジネスを始める方法ですので、韓国や中国も高学歴化社会になってきている為、差別化にはならないのですが、私たちの習慣ではこの事を洞察できないので、この方法しかできないのです。
生産性を上げる為には、現在の市場を洞察して、知恵のある事や付加価値を生み出す発想力が必要になってきているのです。
物事を追求して考える習慣であれば、なぜ生産性が上がらないのか?と原因を追究する訳ですが、私たちの習慣は、少し考えて答えの出ないものは、追求する様に考える習慣がない私たちは考えなくなるのです。
その代わり、儲かりそうだと思うビジネスを情報として知って、高度な知識を使う事や技術開発、工夫改善等をして市場に対応しようと言うビジネスなのです。
ここには、差別化を生み出すものがないので生産性が上がらないのです。
欧米の方が、生産性を追求して考えているので、利益を出す本質的な事に注視して生産活動を行っているので生産性が高いのです。
こう説明すると技術開発や工夫改善をしているのだから生産性は上がる訳だ、と思うと思います。
問題は、この技術開発や工夫改善が、どれ程の経済効果を生み出すかを洞察して、利益の多く取れる技術開発や工夫改善を行うか、市場がある程度大きく、他社では絶対できない技術開発や工夫改善を行えば、生産性は上げられますが、この見極めを、洞察を私たちはできないのです。
又、現在では、物事が高度化複雑化してきていますので、1つの技術開発や工夫改善が生み出す利益が少なくなってきてる為、システム的に考えて多くの技術開発や工夫改善をしないと、差別化を生み出せなくなってきています。
システム的に考える事も、私たちの習慣では、関係性で物事を捉えていないので苦手になってしまうのです。
私たち自身は、高度な事をして工夫改善までしているのだから、生産性は上がると考えがちですが、韓国でも中国でも頑張っているので、差別化まではできないので生産性が低迷してしまったのです。
現在高い生産性を誇っている企業を観て頂ければ気づくのではないかと思いますが、一流企業はどこかで必ず差別化を生み出すものを持っています。
この差別化を生み出す考えは、ビジネスを論理的に考えて、高度な真似されない論理を作れた企業が生み出せるのです。
私たちの様に、高度な知識を持っていても差別化は生み出せないのです。
なぜなら、知識からビジネスをするのでは差別化は生まれないからです。
真似されない差別化は、自ら論理的に考えて生み出す以外ないのです。
上記の事でお分かりの通り、私たちの習慣では差別化を生み出せないのです。
その理由は、私たちが自ら物事の論理を解き明かす、追求する様に考える習慣がないからです。
物事を追求する様に、自ら物事の論理を解き明かす習慣があれば洞察力が培われ、優れた判断ができる為知恵を出せたり、発想力を発揮できたりできるので、差別化を考え出せるのです。
私たちの習慣では関係性で体制化された大きな知識の塊(洞察力の基になる)の知識を習得できないので、追求する様に考える習慣化を図る必要があるのです。
習慣を変える必要があるのです。
当HPでは、生産性に関して色々な説明の仕方をしています。
企業様説明、コンサルタント様説明も行っていますのでご覧ください。
この説明を私たちが理解する為には色々な基礎知識がないと、私たちの習慣とはかけ離れている為理解できないかも知れません。
そこで、米国の学習心理学者のR・Mガニエ教授の理論を使うと分かり易く説明できるので、ガニエの理論を使い説明します。
前提条件としてここで出てくる言葉の意味を説明します。
精微化とは、覚えようとする内容を、別の事柄と結びつける事です。
チャンク化とは、意味のあるまとまりのことです。
体制化とは、記憶の内容を、何らかの基準で分類・整理する事です。
追求する様に考えるとは、自ら物事の論理を解き明かし、物事を理解する事です。
私たちは研修等で、講師に質問を殆どしませんが、欧米の人達はよくします。
この理由をガニエの理論で説明すると、私たちが記憶している知識が追求する様に考えて論理を自ら解き明かした知識でない為、1つひとつの記憶している知識が文脈でチャンク化された知識になってしまい、講師の言う事を受講者が精微化できなくなり、講師の言う事を受講者が別の知識と捉えてしまうのです。
この原因は、私たちが物事の論理を追求する様に考える習慣がない為、講師の言う事を記憶している知識と関連付けようとも思わない私たちの習慣が、講師の言う事を別の知識として記憶する事が目的になってしまう研修等に参加しているからです。
私たちは、新たな知識を、覚えている知識と関連付けて論理的に物事を理解しようと言う意志があまりない習慣なのです。
つまり、覚える知識の理由をあまり追求しない習慣なのです。
この記憶の仕方を習慣としていると、私たちが記憶している知識1つひとつが独立してしまい、記憶した知識が大きな体制化された知識(物事の事実としてのメカニズムだけでなく関係性で物事の論理を繋いでできる)を持てない事になります。
この状態の知識では講師の言う事を精微化しようとも思わないので、質問もしない訳です。
研修等で質問をしない事には、この様な理由があるのです。
この事と私たちが知恵を出せない事実と、どう結びつくかと言うと、知恵を出す為には、物事を包括的に関係性で繋げて、関係性で体制化された大きな知識の塊を持つ必要があり、私たちの習慣では体制化された知識ではなく、文脈でチャン化された1つひとつを知識として記憶する為、新たに入ってくる知識を精微化できなくなり、私たちは関係性で体制化された大きな知識の塊を持てない為、知恵を出せないのです。
要するに、洞察力(体制化された大きな知識が生み出す力)を培えない習慣であるので知恵が出せないのです。
発想力がないのも基礎である洞察力を培えない習慣だからです。
関係性で体制化された大きな知識の塊を持てる様にする為には、1つひとつの物事を既存の記憶と精微化する為に理由を考えて、新たな知識を精微化する事で、関係性で体制化された大きな知識の塊を作る事で物事を洞察できる様にする必要があるのです。
記憶の仕方が私たちは、文脈でチャンク化した知識として記憶するのです。
その為チャンク化した知識を多く記憶しているので、新たな知識は精微化できなくなり質問をしないのです。
要するに、色々な知識を精微化できないので、関係性で体制化した大きな知識の塊、物事を洞察できる知識を持てない事が、知恵を出せない、発想力を発揮できない理由です。
なぜ、洞察力を培わないと知恵が出せないかと言うと、洞察力を培えば、優れた判断ができる様になるからです。
洞察力を培う為に有効な方法が、1つひとつの物事に疑問を抱き、なぜ、どうして?と自ら論理を解明する事です。
私たちに知恵を出せる人や優れたアイデアを出せる人が殆どいない為、私たち日本の生産性は低い訳です。
こう説明すると、なぜ、生産性が低い事実と知恵や発想力がない事に関係があるのか、この言葉を洞察できない人がいると思います。
私たちの習慣は、洞察力を培えない習慣である事を気づかない程私たちの習慣は、物事を洞察するとは程遠い習慣です。
私たちにとって、物事を洞察するとは意識外の事で考えた事もない事なのかも知れません。
生産性と知恵や発想力の関係は、以前の様に世の中が単純に出来ていた時代には、生産工程もそれ程複雑ではなかったので、例えば高学歴と言われる頭の回転の良い人が、高度な知識を得て行動すれば、生産性は上げられました。
しかし、現在の様に、IT化グローバル化の進展で、世の中が高度化複雑化してくると、目に見える事をどんなに詳細に観て分かっていても、目に見えない物事の裏側で行われている事が生産性を決めてしまう事が増えてきて、物事を洞察して考え行動する必要が高まってきています。
しかし私たちの習慣は、物事を追求して考える事がない習慣の為洞察力を培えない習慣です。
例えば私たちはグローバル市場を洞察でききない為、知恵のある手を打てないので生産性が低い訳です。
この意味を洞察できれば、私たちの習慣を変える必要性を理解できます。
しかし私たちは知恵や発想力の必要性を洞察できないので、高度な知識を使い最先端の発見や技術開発を行っているのに、なぜ生産性が低いのか!となって洞察あるビジネスができないのです。
なぜ私たちは物事を洞察できないかと言うと、一言で言うと私たちの習慣が、自ら物事の論理を解き明かす様に考えるのではなく、単に高度な知識を得る事で物事をできる様にする表面的に捉える習慣だからです。
生産活動の論理を自ら解明し理解する事で、論理に合った生産活動をできる様にする習慣ではないからです。
ただ単に知識として生産活動の論理を知っているだけで、自ら論理を解き明かして生産活動を行っていないからです。
こう説明してもまだ、私の言う事を洞察できないかも知れません。
生産活動の論理を理解する為には、自ら生産活動を追求して考え、自ら生産活動の論理を解き明かさないと、生産活動を知恵ある方法でできません。
なぜなら、自ら物事の論理を解き明かさなければ、優れた判断を生み出す洞察力を培えないからです。
生産活動の論理を自ら解き明かしていると、生産活動を包括的に関係性で捉えられ様になるので、洞察ある判断が知恵になるのです。
私たちの知識を多くする方法では、生産活動を関係性で包括的に理解できません。
なぜなら、私たちが得る知識は、論理的に考えて必要と思う知識を得る訳ではなく、勘で必要と思う言葉で表せる知識を得ているので、持っている知識1つひとつが論理的な関係性で繋がっている訳ではなく、1つひとつが独立していてランダムな関係性のない知識が多いからです。
この様な理由で私たちの習慣では、洞察力を培えないのです。
現実、事実は複雑な論理の組み合わせで生産活動を行っている訳ですが、その事実を私たちの捉え方である言葉で表現できるものを記憶するだけでは、どんな論理でできている言葉かは、分からないのです。
ビジネスを始めとした物事を洞察できる様にする為には、1つひとつの物事の論理を自ら解き明かし、1つひとつの物事を関係性で捉え、論理を繋げて大きな知識の塊にして行く必要があります。
私たちの様に、論理の繋がりのない関係性が曖昧な高度な知識を持っていても、高度な事を洞察できる様になる訳ではないのです。
洞察できなければ知恵のある解決策を考え出すも、新たな発想力を発揮する事もできないのです。
洞察力とは、見えている事から本質や原因を見抜く力である為、洞察力を培えば、本質に合った判断が、原因に沿った理にかなった判断ができるので、物事を優れた判断で考えられ行動できるので知恵ある事や、優れたアイデアが出せる様になるのです。
知恵の基になる洞察力を培う為には、物事を論理的に、つじつまが合う様に考える必要があります。
なぜ、論理的に考える必要があるのでしょうか?
洞察力とは、見えている事から本質や原因を見抜く力であり、1つひとつの物事の見えない部分まで解明理解する事で、1つひとつの違いや差等を見分けられ、目的に対して適切な判断ができる力です。
物事の適切な判断ができる様にする為には、本質や原因に沿って論理的に考えて判断する事が有効です。
つじつまが合う様に考えなければ、判断が適切になりません。
逆に言えば、論理的でなければ、適切な判断にならない場合が多いと思います。
論理的とは、理詰めで正しいと言う事です。
理にかなった考え方から生み出す判断は優れているので適切な判断になるのです。
私たちが記憶している知識は、言葉で表せる物事を分かる様にする為の知識として覚える知識が多い事と、物事を追求する様に考える事をしない習慣である為に、どんな論理でできているかが曖昧な知識を多く記憶しています。
その為、必ずしも適切な判断にはならないので、物事を洞察できないのです。
物事を洞察するとは、物事の優れた判断が生み出す、優れた取捨選択の結果なのです。
それが洞察力で、物事を追求する様に考えて、自ら論理を解き明かし、関係性などの論理で繋がった大きな知識の塊を習得しないと洞察力は得られないのです。
知恵とは、物事を無駄なく効率的かつ効果的になる様にする判断力です。
多くの物事の理解から、無駄なく効率的かつ効果的になる様に判断する事が知恵になる訳です。
これを実現する為には、物事のありのままの実態をできるだけ詳しく知る必要があります。
現実にあるもの、起きている事、起きそうなことの実態は、目に見えるものだけでなく、目に見えない物事の裏側等で色々なものが存在し色々な事が行われ、現実としてそこに存在したり、起きたりする訳です。
ビジネスで行われている論理は、つじつまが合い利益をだす事を目的に考え出された、論理的に考える事により優れた判断が生み出す結果です。
私たちの習慣は、目に見える物事を詳しく見る観方で物事を観ていて、目に見えない物事は意識外になって全く裏側等を考え様としない習慣です。
この捉え方考え方では、物事の実態を理解できなくなり色々な事ができなくので、この欠点を補うために私たちは、物事の見えない部分、実態を説明した知識と、実際にできる様になる為の具体的な知識を得ているのです。
私たちが得ている知識は、分かる様になる知識であって、どんな論理でできている知識かは殆ど説明されていない知識です。
要するに、論理が曖昧な知識を多く記憶している訳です。
論理も曖昧な知識では、優れた判断はできないので知恵を出せないのです。
私たちの習慣が、論理を自ら解き明かす習慣でない為、私たちが記憶している知識は論理の曖昧な知識で判断するので、知恵を出せないのです。
生産性を上げるとは
質問力とは
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山梨県甲府市下小河原町
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