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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

私の提案を理解して頂く為に

私の提案の詳細説明

「なぜ、私たちのビジネスは差別化ができないのか?
(副題、なぜ、私たちは企業を存続させる為の知恵を出せないのか?)」

私たち日本企業は、企業を存続させる為に、繁栄させる為に一生懸命ストレスと戦いながら頑張って働いています。

しかし現実は生産性が上がらず、他国の同業者に市場を奪われたり、新技術開発に効果をあまり出せなかったりする事が起きています。

どうすれば、企業を存続させ生産性を上げて繁栄した企業を作れるかが問題になってきています。

なぜ、問題にするかと言うと日本企業は今内部留保を多くしている事実があり、内部留保は企業存続繁栄にあまり役立たない為、存続繁栄させる為には積極的に生産性の上がる所に投資をする必要があるからです。

なぜ、私たちは企業を存続繁栄する為の知恵を出せないかを追求して考えてみます。

理由が分かれば、どう努力すればよいかが分かり、力を集中する事ができ、企業をかつての様に繁栄させる事ができます。

私たち企業にこの答えがないので、一生懸命働いているのに、常に企業存続の危機感を持ち、日々頑張っている訳です。

なぜ、過去に成長繁栄できた日本企業が、存続の危機感まで感じる様になったのでしょうか。

私たちは、この理由も掴めないので常にストレスを抱え、一生懸命働いている訳です。

私はこの原因は、私たちが常に当たり前に行っている私たちの習慣にある、と思っています。

その理由は、私たち企業が、自社の論理を積み上げる事をしないビジネスの仕方をしているからです。

自ら自社が行っている事を論理的に考え、その論理を他社が真似を出来ない程高度な論理にして行けないからです。

この説明で、私たち企業が企業存続のための手を打てるかと言うと、私たちは、何のことかが分からないので、何をすればよいかが分からないと思います。

そう簡単に分かる所に、私たちが危機感を感じる理由があるのなら、とっくに原因を突きとめ、手を打っていると思います。

私たちの習慣は、殆ど論理思考をしない、自ら物事の論理を解き明かす事のない習慣です。

この習慣では、ビジネスを論理的に組み立て、他社が真似できない様な高度なビジネス論理を作れない、持てないのです。

他社との差別化ができなければ、企業は存続の危機が生まれてしまうのです。

しかも継続して差別化して行かなければ、存続の危機は消せないのです。

この差別化は、他からの知識でできる様にする私たちの習慣的なビジネスの仕方では、生まれないのです。

自ら自社の論理を作り、自らその論理を高度化して行かなければ差別化は生み出せないのです。

私たちの習慣は、論理的にビジネスを考えないで、他からの知識、どんな論理でできているかは曖昧な知識でビジネスをしているので、私たちの習慣を続けていたのでは他社との差別化ができる様な高度なビジネス論理を作れないので、常に存続の危機感を感じて企業活動をしている訳です。

私たち日本企業が、安定した企業経営を行う為には、他国や他社と差別化できる何かが必要で、この何かは自社のビジネス論理を高度にする事で、真似のできない自社のビジネス論理を作らなければならないのです。

私たちの習慣は、自らビジネス論理を追求して考える事でビジネスの論理を解き明かす事のない習慣である為、差別化を生み出す高度なビジネス論理を作れないので、常に危機感が生まれてしまうのです。

私たち自身は、日々考えて企業活動をしていますので、自社なりの論理を作れていると思っていると思いますが、私たちの習慣は、基本的には他からの知識が基になった考えるで、一から自ら論理を解き明かして積み上げていないので、論理のしっかり繋がった世界に通用する論理になっていないのではないでしょうか。

私たちは30年間も長期に渡ってこの状態が続いていて、今では国力の衰えまで起きてしまう理由は、私たちが何の疑いもなく行っている習慣にあるのです。

私たちの習慣は厄介で、他からの知識がない、今まで誰も考えた事が無い、現在知識としてある訳ではない問題は、自ら追求して考える習慣、自ら論理を解き明かす事が殆どない習慣では、解決できないのです。

生産性の問題は、日本が初めて経験する事なので、解き明かした論理、知識がないのです。

日本の事を米国が考えて、原因を私たちに教えくれる訳ではないのです。

日本の事は、私たち日本人が、自ら私たちの論理を解き明かし、原因を突きとめ、是正策を考え、実行すべき問題なのです。

大元の原因は、私たちの習慣が、どう言う訳か分からないのですか、自ら物事の論理を解き明かす力が育たない習慣なので、生産性の長期低迷理由も私たちの習慣では解き明かせないのです。

自ら物事の論理を解き明かすとは、問題が起きた時、過去の事や現在あるのも起きている事等からヒントえ得て、事実と照り合わせて論理を解き明かす事ですから、私たちの習慣の様に、考える事をあまりしない、特に追求する様に考える事を殆どしない習慣では、自ら自国の論理を解き明かせないのです。

初歩的な誰でも知っている論理を基に、その論理の理解を基に、更に上の論理を今まで解き明かし理解した論理を使って新たな論理を解き明かす、と言う様に、1つひとつの論理を積み上げて他所では誰も理解できない行動する事ができない高度な論理を作り上げて、他所では分からない様な論理を1つひとつ積み上げて行えば、高度な論理を作れるし理解できるのです。

この基になる論理は、自ら解き明かしたものでないと積み上げる事ができない、論理が合って積み上がった論理にならないのです。

こう説明しても、私たちには納得できる説明ではないかもしれません。

それは、ここで説明している論理とはどんなものか、等論理の概念が掴めないからではないでしょうか。

私たちには、論理思考は馴染みのないものであるので、私たちの習慣的な物事の捉え方である、知っている事とできる様にする事を結びつけた記憶の仕方では、論理の一面だけを捉えて論理の概念を作り考えるので、つじつまが合わない事も出来てしまう為、私の説明も納得した説明に、行動できる説明ならない事が理由ではないでしょうか。

「論理思考とは」

論理思考とは、つじつまを合わせる論法で、つじつまが合うだけに積み重ねができ、高度な事ができる様になる思考法です。

一方私たちの習慣は、他からの知識を得て、できる様にする習慣です。

他からの知識は、知識を作った人は論理的に考えて作ったかも知れませんが、それを言葉にする時点で読む人は、どんな論理でその言葉になったかは、あまり良く分からないで言葉で表現した事で考え行動する事になります。

問題はこの習慣を長く続けていると、本質が何か、どんな論理でできているのか等想像する事はあっても、実際に追求して考える訳ではないので、本質の曖昧な、論理の曖昧な言葉で表されてものだけで考え行動する為、論理の積み重ねができなくなり、高度な事の論理になると、見通せない、洞察できないのです。

私たちの習慣では、根のしっかりした物事の論理の積み重ねをして、高度な事を考える行う事ができない、物事の捉え方考え方をしているので洞察力が培われなく知恵が出せないのです。

知恵を出す為には、自ら物事の論理を解き明かし、その解き明かした論理を使い更に上の論理を考え解き明かす様な方法でないと、論理を積み上げて行く事はできないのです。

私たちが習慣にしている、他からの知識を基に考えるのでは、得ている知識の論理が曖昧なので、論理の積み重ねができないのです。

論理の積み重ねができなければ、他者が理解できない高度な論理は作れないので差別化ができなくなり、生産性を高くできないのです。

「なぜ、私たちは生産性を上げる事ができないのか?
(生産性を上げられない理由の分かり易い説明)」

私たち日本には、30年間も殆ど生産性を上げられなかった事実があります。

この間少子高齢化が進み、将来に対する不安が増して、国力の衰えさえ起きる状態になってきています。

この状態でありながら、なぜ私たちは生産性を上げられないのか?現在その理由も、解決策も見いだせない状態です。

私は、この状況が生まれる原因を追究して考え、解決策になる答えを見つけ出す事ができました。

私たちが日本の生産性が上がらない原因を見つけ出せないのには、3つ理由があります。

1つ目は私たちが当たり前に、何の疑いを持つ事もない習慣に原因あること。

2つ目が、私たちの習慣が、自ら物事の論理を解き明かし問題を解決するのではなく、他からの知識をあてにした解決法を取っているので、自ら問題を解決できる力が付かない事。

3つ目が、2を長く続けていると、無知の不知状態、分からない事がある事に気づけない、知っている事が全てだ、という状態になり易く、余計私たちの習慣を疑う事をしなくなってしまうので、私たちが日本の生産性が上がらない理由を見つけ出せないのです。

原因を見つけ出せないのは私たちが当たり前と思っている私たちの習慣に原因あるからで、何の疑問も持たない所に原因があるからです。

私たちの習慣は、現在グローバル市場で生産性を高くする為に必要に成ってきた、知恵を出す事や新たな付加価値を生み出す発想力が育たない習慣であるので、生産性の長期低迷を招いてしまったのです。

なぜ、私たちの習慣では知恵を出せなかったり、発想力を発揮できなかったりするのか、その理由は、私たちの習慣が、知恵や発想力の基礎になる洞察力を培えない習慣だからです。

洞察力を培う為には、私たちの習慣にはない、目に見えないものまで物事の論理を自ら解き明かし、物事を包括的に理解する必要があります。

しかし私たちの習慣はどう言う訳か、目に見えない物事の裏側など物事を支えているメカニズムや関係性、原因や本質等を追求して考え、自らこれらの論理を解き明かす事のない、表面的な観方に終始する習慣です。

これでは洞察力を培う事ができないので、知恵を出す事も発想力を発揮する事もできない為、生産性を上げて行く事ができないのです。

この説明を納得する為には、例えばなぜ、今のグローバル市場で生産性を高くする為には、知恵や発想力が必要になるか?この理由を良く理解し、物事を洞察するとはどう言う事を言っているのか等、私が説明している言葉の意味(どうしてその葉を使うのか等の理由)を理解しないと、私が言いたい事は伝わらない、ただそう言う事があるのだと事実を認めるだけで、あまり役立たないと思います。

私が説明した意図は、私たちの習慣では生産性を上げる事はできない事を理解し、これから説明する事を実現する為に、習慣を変える気持ちを持って頂き、行動して頂きたいのです。

物事を知っただけでは現在の世の中はあまり役に立たなく、物事の論理を自ら解き明かす事で、物事の起きる理由などを理解し、それを基に考え行動する事で、私たちの日本の生産性を上げる事ができるのです。
知恵を出す事も発想力もつくのです。

私たちの習慣の厄介な所は、物事を追求して考える事を殆ど行わないので洞察力を培えない為、私たちの習慣の欠点を洞察できないので、なぜ、長期に渡り生産性が上がらないのか、この原因も掴めないのです。

原因も分からないのですから、知恵を出そうとも思わないし、発想力を発揮しようとも思わないので、生産性が上げられないのです。

ここで説明した事を私たちの習慣では洞察できないので、何時まで経っても生産性低迷理由も分からない状態なのです。

私たちの習慣は、物事を追求して考える習慣、問題の原因を自ら解き明かす習慣ではないので、その欠点を補うために、物事の裏側などを説明した他人が考え出した知識を使い問題を解決している訳です。

自ら問題の論理を解き明かし、解決している訳ではない習慣なのです。

自ら物事の論理を追求して考え解明理解する様な事をしないと、ビジネスを始めとした物事を、目に見える表面的な事と、私たちが行っている物事の裏側などを説明した知識でビジネスをする事になり、洞察あるビジネスができなくなるので、生産性を上げられないのです。

なぜ、私たちの習慣ではビジネス等を洞察できないかと言うと、私たちの習慣では、目に見えないものは追求しないので言葉で表せる知識しか分からない為、その言葉で表せるものはどんな論理でできているかが曖昧なので、見えているものから本質や原因を見抜く力や、1つひとつの物事を見分けて、優れた判断をする力、洞察力がつかないからビジネスなどを洞察できないのです。

私たちの習慣は、ビジネスを始めとした物事を表面的に捉え考える習慣である為、ビジネスなどを洞察できないのです。

ビジネスや物事を洞察できなければ、優れた判断ができませんので知恵を出せないのです。

又発想力は、洞察力が基になる為、私たち洞察力が育たない習慣では、発想力、良いアイデアを出す事もできないのです。

洞察力を身につける必要があるなら、私たちが行っている習慣ではダメで、習慣を追求する様に考える、自ら物事の論理を解き明かせる習慣に変える以外、方法はないのです。

この事に、早く気づいて行動して頂きたいのです。