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MIアイデア発想塾は、生産性を上げる為に、質問力、バランス・スコアカード、インストラクショナルデザイン等を知恵ある方法で賢く使い、企業力を強化する組織です。

生産性を上げるとは

生産性に関係す言葉の説明

このページでは、このHPで頻繁に出てくる、物事を追求する様に考える事を私たちが習慣化する方法と、どうして私たちは、近年米国主導で開発されている、IT技術やビジネス手法等を、取り入れるのが遅いのか、その理由と、論理力とはなにか、を説明しています。

「追求する様に考える習慣をつける為にはどうすればよいか?」

私たちの物事の捉え方は表面的で、目に見えないものは追求して考える事をしません。

この見方捉え方では、見えるものが狭くなってしまうので、見識を広げる為に私たちは知識を増やそうとするので、知識は豊富に持っています。

しかし、私たちが記憶している知識は、どんな論理展開をして生まれた知識かは分かりません。行う事や事実を表現したものが殆どです。

その為、その知識を生み出した著者と同じ様には、再現しようと思ってもできない事になり、著者と同じ様には再現できません。

他からの知識で物事を再現する事には限界があります。

私たちは、著者の様に情報を再現しても、著者と同じ様な論理展開ができないので、情報の類推で問題解決を図る事になります。

物事を正確に復元する為には、情報から、著者の意を汲み取り、著者と同様の論理展開をして物事を進めなければ、著者と同じ様な結果は出せません。

文学の様に、書かれている事を、自分なりの解釈をして、済む話ではないのが、ビジネス書の様な何かをできる様にする為の情報です。

この論理展開の苦手な私たちが、どうすれば物事を追求する様に捉えられる様になり、論理力が培われるかが問題になります。

論理力をつければ洞察力が培われ、適切な判断ができる様になり問題解決力が増し、優れた知恵ある問題解決ができます。

論理力を養う為には、物事を追求する様に考える習慣化が有効に働きます。

追求する様に考える癖がつけば、自然に論理を追求する様になり、論理力が養われるからです。

理屈抜きに考える事を多くしなければ、物事を追求する様考えられる様にはなりません。

考えること自体、物事を論理に合わせる様に整理する事です。

私たちは、自ら考えないで他人の知識を当てにする方法を取ります。

この習慣を、自ら考える様にする為にはどうすればよいか?が問題です。

意識を持続できない私たちでもできる方法で、考える事を習慣化するのです。

習慣化とは、反復練習で身につけるものです。

最初は強制的にでも考えさせる質問力を使い考えさせ、それをある期間続ける事で考える事に慣れさせ、それを持続させる事でそのうち身につくのです。

質問は物事を追求する様に考えさせる効果があります。

最初は、質問力を理解して貰う説明をして、とにかく業務の中で質問してみる事です。

又は、当組織か質問力を理解した人を中心に、チームを組み、その人中心に、チームで業務に関した質問を多くし合う事です。
質問に慣れることが目的です。

次に、質問に慣れてきたら、お互いに業務を広く深く理解できる様な、業務を追求する様な質問をし合う様にする事です。

質問を通して、業務や物事を広く深く追求する様に考える習慣をつける事を目的に続ける事です。

チームでユニークな質問を考え、質問し合い、考えるのです。

質問と答えを考える事に慣れてきたら、自問の効果を説明して、自問を多くする様に促します。

自ら自問を多くする事はモチベーションが必要になるので、この点を考慮したバックアップを行う事になります。

この方法以外、私たちが物事を追求する様に考える習慣をつける方法はないと思います。

持続して意識を持ち続けられない、物事を無意識に行ってしまう事の多い私たちに、すぐ結果を出せない事にモチベーションを持ち続けろ、と言っても無理な話です。

常日頃から質問を浴びせ、考える事に慣れ、この慣れを進化させる(答えを考える、質問を考える、効果的な質問を考える、自問をできる様にする)様にして、目的を達成するのです。

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「なぜ私たちは新しいものを取り入れるのが遅いのか?(IT技術等)」

IT技術の普及の事で言えば、私たち日本のIT技術の国民への普及度は非常に低いのではないでしょうか。

韓国や台湾、中国にも負けているのではないでしょうか。

なぜ、先進国である日本が、これらの国に遅れを取っているか、その理由を考えてみます。

私たちは無意識に行動する事が多く、考える事特に物事を追求する様に考える事がないので、他人の知識を当てに問題を解決する習慣があります。

私たちは、考える事が少ないので論理力が育ちません。

私たちは、問題を解決しようと思う時、記憶や知識から問題解決を図る方法で、原因や本質を追求する様に考えないので、問題の原因や本質を理解できません。

目に見えるものと知っている事の類推で物事の判断を行うので、目先で物事を判断する事が多く、その場の雰囲気や状況に左右された判断を下す事が多くなります。

持っている知識と損得の感情(本音)が支配した判断を下す事が多くなります。
論理的に良し悪しを考えて判断を下さないのです。

IT技術の普及で説明すれば、IT技術は目に見えないものなので、IT技術の判断は他からの情報からする事になり、周りの環境や入ってくる情報に影響されて判断する事になります。

その為知識ではIT技術はよいとは思っていても、感情では、手間が掛かるから後にしようと、分かっていないのです。

私たちが、積極的に色々な事を考えようとしない事と同じ様に、知識で解決した方が楽なので、手間が掛かる原因を見つけ出し解決策を考える様な事は避ける傾向が強いです。

私たちは考える事が少ない為、論理力が育たないので感情優先(過去の経験)で物事の判断を下しています。

新しい技術などは、過去にはありません。
それで、ネガティブに捉えて判断するので、手間が掛かる事は避ける等の感情が優先するのです。

これだけ世の中が高度化複雑化多様化して、論理を組み立てて考えなければならない事が多くなっているのに、知識の類推で判断する論理力が育たない方法、自ら考える事の少ない方法ばかりを取っています。

これでは、論理力が育たないので、システム思考ができなくなり、複雑に論理を組み合わせる様な現在多くなってきている物事を、正確にできない事になります。

この捉え方でIT技術を見ると、できるだけ避けようとするか、世間では騒いでいるがよく分からない技術なので、ビジョン経営等と同じで行う事は行うのですが、表面的な捉え方で、本質を踏まえない方法で行うので、本来の目的を果たせない使い方になってしまうのです。

この感覚で物事を進めると、本質を捉えないで目先で物事を判断する事が多くなるので、苦労してIT技術を取り入れなくても、必要な時(経営者や担当者がそう思う時)に取り入れればよいと思ってしまいます。

こうして後へ後へとIT技術を使う事を遅らせている事が、時間が経てば、周回遅れの使い方しかできない事になるのです。

私たちの判断は本質を理解できない表面的な目に見えている事で判断しているので、目に見えない私たちが気づく事が遅いものは遅れている事すら気づかない事になります。

取り込んでみて遅れている事に気づく訳です

私たちは、目に見える様にならないと気づけない、物事を表面的に見る捉え方をしています。

この見方捉え方で身近な国内だけを見ているのが、私たちが日常行っている事です。

もともと私たちの見方捉え方は国内だけを見ていて、見方捉え方が浅く狭いのでは、海外で流行し始めてから取り込み始める様な、遅い取り組みになってしまうのです。

自ら積極的に、海外に情報を探しに行く事を殆どしないのです。

情報を積極的に探しに行かない上に、見方が表面的である為、追求する様に考えないと結果が出せない例えば、米国発の最新ビジネス手法の様なものを欧米の様に使えないのです。

それでも私たちが気づいていない最新のビジネス手法をコンサルタントは分かっていて、私たち日本に最新のビジネス手法を取り入れようと努力するのですが、私たちの見方捉え方考え方の壁に当たり、上手く取り入れる事ができないのが現実です。

何かきっかけがあれば、それもある程度私たちが潜在意識の中で理解が進んでいる状態で、きっかけがあれば、一気に新しいものを取り込むことが進むのかも知れません。

しかしこの方法では、常に後手、後手に回る事になり、新しいものを発想できないだけでなく、常に二番手に甘んじなければならなくなり、利益も取れない、低生産性になってしまう事になります。

私たちには権力格差がある上に、経営者を始めとして上層部が変化を早く捉え、積極的に手を打てないので、新しいものを取り入れる事が遅くなるのです。

気づくのが表面に表れないと気づけない事も、新たなものを取り入れる事が遅れるもう一つの理由です。

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「論理力とは」

論理力は、考える事を多くしないと養いません。

演澤法や帰納法的に考える事で、事実とのつじつまを合わせ、記憶したものを整理する事で論理力は磨かれます。

洞察力と論理力の関係は、色々な物事の関係性や構造、原因や本質等の論理を合わせる事を、広く深くして行く事で生まれるものが洞察力です。

洞察力をつける為には、論理力を多方面に広く深く広げて行く事が必須条件になります。

洞察力をつける基礎として働くのが論理力です。

論理力が付かなければ、洞察力は、養えない事になります。

論理力を育てるのに一番役立つ事は、洞察力と同じで、物事を追求する様に考える癖を作る事です。

この考え方を持つこと自体、論理力を使い物事の論理を解明理解する事を言うので、物事を追求する様に考えれば、論理力は自然に養われます。

なぜなら、物事を追求する様に考えること自体が、論理を探す行為だからです。

この論理力がビジネスにどう影響するかを考えてみます。

現在の問題は論理を高度化複雑化してできている問題が多く、問題を解決する為には、この高度化複雑化した論理でできた問題を、賢い論理展開をして問題解決を図る事が多くなってきています。

論理力を持っていないと理解できないし、解決できない問題が増えています。

又問題を理解し解決して行く為には、俯瞰視してシステム思考をする必要が多くなっていますが、これらの事を行う基礎が論理力です。

現在のビジネスで結果を出す為には、組織で行わなければ対処できないものが多くなってきています。

又物事自体が複雑になってきているので、組織内でメンバーが統一した考えを持ち、行動する事が必要になってきています。

その際、メンバー間で論理を合わせておかなければならない事が多くなります。

各メンバーが、論理的に会話し合わないと、統一した行動を取る事が難しくなります。

メンバー間で、論理的な会話が必要になるのです。

又、対外的にも論理力は必要になります。
顧客に自社製品を理解して貰い買っていただく為にも、論理的な説明は欠かせません。

私たちは、論理力がない為、例えばメンバー間のコミュニケーションも、論理で合わせるのではなく、感情を合わせるコミュニケーションする方法を取ります。

その為、双方に行き違いが生じる可能性があります。

本人は伝えたつもりでも、論理的な話ではなく感情的な話し方である為、行き違いが生じてしまうのです。

論理力のある人同士では、この様な行き違いは防ぐことができます。

私たちはなぜ、論理力が育たないのか?その理由の筆頭は、考える事をあまりしないからです。

では、私たちはなぜ、考える事をあまりしないのか?が問題になります。

追求して考えると、私たちの見方捉え方考え方が見えてきます。

私たちの習慣では、論理力が育たないのです。

私たちは一生懸命働いているので、悪いとは思っていないのですが、私たちのやっている事は、考えなくてもすぐ対応できる、他人の知識を借りた問題解決法を取っています。

考えなくても問題が解決できるのですから、楽な訳です。

追求する様に考える為に必要になる、色々な意識を長時間持たなくても、知識で問題を解決できるので、楽だからです。

常に色々な意識で物事を見て、物事を解明理解して行く方法の方が、意識を向けなければならない事が多くなり労力を使うので、より努力が必要になるからです。

どちらが先かは分かりませんが、私たちは無意識に行動する事が多いので、意識を色々な所に向けられないのか、楽をしたいからなのか、とにかく私たちは知識とその類推で問題解決を図る事が多いです。

私たちは、意識して何かを続ける事が苦手です。

勝間和代氏が書いた、7つのフレームワーク力でも、論理力を説明しています。

この本を読んで、実践してみる人は多いと思います。

しかし、その思考法を習慣化するまで昇華している人は少ないのではないでしょうか。

ビジネスに重要なスキルである論理思考です。

私たちの問題解決法は、米国で研究されたビジネスで効果が出し易いビジネスフレームワーク等を、問題解決のテクニックとして使う問題解決法です。

知識とフレームワークで考えても、それなりの結果は出せますが、優れた結果が出せるかは疑問です。

なぜなら、私たちの知識が十分に論理展開された知識ではなく、他人から借りてきたどんな論理展開をして生まれた知識かは分からない知識である為、フレームワークに沿って考えたとしても、独自性は出せないし、表面的な解決策になり易く優れた結果にはならないのです。

今は、大手企業の社員であれば、ある程度はこのフレームワークは知っていると思います。

しかし、この思考法を使い、優れた結果を出せたかと言うと、出せないのではないでしょうか。

その原因は、論理思考を追求して考えないで、テクニックとして使っているからです。

常日頃から考える事を多くして、論理思考を積み重ねて論理力を磨き考えるのではなく、問題が起きた時だけ論理思考をテクニックとして使っています。

私たちの問題解決法は、問題と記憶しているものを、十分に育っていない論理力で論理展開する事になり、広く深い論理展開にはならないので、その場限りの論理展開になってしまうのではないでしょうか。

私たちが持つ知識自体もどんな論理から生まれたかが分からない知識の上に、私たちの論理展開力が弱いのですから、優れた問題解決法にはならないのです。

常に物事を論理展開して考えていれば、問題が、既にあるその人の大きな論理の塊と接触するので、既知の広く深い論理の中へ、問題が組み込めて、優れた結果を出せるのではないでしょうか。